見出し画像

利己主義、利他主義、volunteer。それは「とりあえず駆け寄って」が答え。

コロナ禍のなか、利他、という言葉をよく耳にします。
そんなとき、昔よんだもので思い出す本があります。

鈍器本なるもの、厚い文庫本になります。

「すばらしい新世界」池澤夏樹

話の内容としては、ネパールの無名地域に治水用途の
風力発電機を設置するために現地へ行き、
そこで出会うボランティアの人や現地の人と交流していく話。

普通のフィクションの様にストーリーが進む中で
要所要所で著者のエッセイが盛り込まれていて
小説の構成も一風変わっていて面白いです。

読んでいて印象に残った一節を。


企業を動かしているのが使命と利であることはわかる。
その際に利の方を重視しすぎるのが問題らしい。

使命と利。
では金銭の形で入ってくる利がなければ、使命を果たすためだけならば、
人は誠実に社会に奉仕するのだろうか。

企業は金銭的な利でばかり動いて、社会を濁す。
不公平な社会を作る。
それならば、金銭の利に動かされない社会を作れば、
全てうまくいくのか。
社会主義はそういう実験だった。
それがそのまま官僚主義に堕することを人は予想しなかった。
それに、金銭の利という駆動力がないと社会は停滞する。
生産者から分配を司る官僚の方に実権が移行する結果、
生産よりも分配が重視されるというおかしな社会が出現する。

ボランティアの活動には金銭的な利がなく、
官僚的な権力もつきまとわない。
ボランティアは活動が要請される場所に赴いて、
その活動を実行する。それだけ。

鍵となるのは、自発的という言葉だ。
自分から動くのでなくては、ボランティアにはならない。
命令系統を作ってしまっては、権力が発生する。
いちばん基本の原理が自発性だからこそ、
状況に応じてもっとも適切な活動ができるのだ。

では、人に、利のためではなく動く意志はあるのか。

ボランティア活動では、人は利のためではなく働く。
なぜそういうことが可能なのか。

外部の者は、その点が理解できない。
外部の者は、その点が理解できないで、
結局のところ隠された利があるのだろうと考える。
場合によってはそこに偽善の匂いを嗅ぎとり、
善意の押しつけを非難し、裏の利があることを邪推する。

しかし、現実にさまざまな例外があるにしても、
人の中には目前の利のためでなく、
状況の要請に応じる形で働く意志がある。
人の精神にはそのための用意がたしかにある。
それは間違いない。

目の前で誰かが転んだら、とりあえず駆け寄って、
手を貸して起こす。
怪我がないか確かめ、歩けるかどうか見て、衣類の泥を払う。
「どうか気をつけて」と声をかける。

その行為に対して、それも親切な人と思われたいからだと言うのは、
よほどのひねくれ者だろう。
転んだ老女が実はとんでもない大金持ちで、
ひょっとしたら遺産が転がり込むかも知れない、
と考えて手を貸すわけでない。行動があるだけ。

この「とりあえず駆け寄って」というのがボランティアの基本姿勢なのだ。

世の中には、利ではない満足がある。
スポーツがそうだし、ボランティアもそう。
「一緒にするな、ボランティアはもっと崇高なものだ」
と言われるかもしれない。
しかし、気負いこむよりは、スポーツ並みに考えた方が案外長続きしたりして。

続きはコチラ!
https://note.com/repair_matrix/n/n2d49e289eefd

画像1

//////////////
コロナ禍の中、自分を色んな方向から見つめることのできる
内面をみつめることのできる心理学カードゲームを
楽しんでみませんか?

ゆるい気持ちでご参加ください (#^.^#)

↓↓オンラインイベントのスケジュールupdate↓↓
EventRegist、というサイトで最新のスケジュールを管理しています♪
https://eventregist.com/p/3rd_place_online_cafe_kai
カフェ会 noteBlog https://note.com/3rd_place_cafe
Instagram https://www.instagram.com/3rd.place.online_cafe_kai
Twitter https://mobile.twitter.com/saicorocafe
公式LINEアカウント
https://lin.ee/crMp4Ar をクリックしていただくか、「@eyf1819l」で検索して、友達追加してくださいませ!
関心のある方はコチラの問い合わせフォームにどうぞ!
https://forms.gle/y4z6DREzqYUM9uvG8





この記事が参加している募集

読書感想文