見出し画像

わたしが吉本ばななを好きなのは

いろんなところで吉本ばななの大ファンであることを公言して歩いている。そのせいか、たまにわたしがピュアな文学少女だとまちがわれるときがある。

たしかに、ある一部の領域ではピュアかもしれないけど、少なくともわたしは文学少女ではない。

吉本ばななしか読まないからだ。

正確にいうと、「読めない」の方が近いかもしれない。
わたしにとってのばなな作品は、「経典」だ。この世を生き抜くための。
あそこに、わたしがずっとふわふわと認識していたこの世の道理が、すべて詰まっている。わたしが気づいていたことよりもはるかに多くの量、はるかに高い解像度で。

だから、吉本ばななの作品が「好き」というと確かにそうだけど、わたしの中では好き以上のもっと深い意味を持っている。やっぱり「経典」だから大事、としかもう言いようがないかもしれない。わたしが彼女から受けた影響を言葉でいいあらわすには、私の生きた時間がまだ少なすぎる。

物語自体ももちろん面白いけれど、わたしはどちらかというと、彼女の示す世界観やこの世の見方をずっと見ている。
読めば読むほどその見方の解像度が上がるからだ。経典を読み込んでいると言ってもいい。その意味で、わたしがほぼ毎日繰り返し彼女の作品を読むのは夢見る文学少女だからではない。

吉本ばななの作品は必ず誰かが死ぬ。もしくは誰かを亡くして悲しみにくれる登場人物が出る。これは作者の元からの性質なんだろうが、とにかく主人公が冴えている人が多く、第六感の素質のある女性が出てくるのだ。かといって幽霊がガッツリ見えるわけではないのだけれど、直感や感覚がそこらへんの人よりも数倍鋭い人たちが出てくるのが彼女の作品の特徴。男女に限らず、そこに敏感でセンスのある人たちが出てくる。
わたしも目には見えないけれど、彼女と同じく、人間の預かり知らぬところで回っている存在を信じているタイプだ。誰よりもその点に敏感な彼女が見せようとしているこの世のあらゆる道理が、わたしには至極真っ当なものだと思える。

他の作家で、ここまでの「この世の道理」をつよく感じ共感したことはない。彼女の作品は一見現実離れしているように見えるが、わたしにとってはものすごくリアルで、目指す姿でもあるのだ。現状のわたしには、信じるに足る作家が吉本ばななしかいない。

吉本ばななが小説家だったから、わたしはたまたま小説を読んでいる、ただそれだけだ。そうでなければ本は読んでいなかったと思う。言葉の世界にも親しみを感じていないかもしれないし、ひょっとするとこのnoteにもいなかったかもしれない。
もし彼女が映画監督だったり、絵を描く人だったら、たぶん私はそれを好きになっていたはずだ。影響されて、感化されて、自分も映画に携ったり、絵を描くことを望んでいたかもしれない。

つまるところ、わたしにとって吉本ばななが小説家であることは、そんなに大きなポイントではないんだと思う。もし彼女が彼女の思想をもってなにか別の表現方法で世界に発信していたら、わたしは簡単にそちらについていったはず。たまたま、それが「文学というもの」だったから、彼女の作品をむさぼるように読んでいるだけで。

彼女に関する細かい文学論もどうでもいい。技術の話もどうでもいい。論評もどうでもいい。彼女が繰り返し訴えてくるこの世の道理を、本を閉じたあとの現実世界でどのようにまかり通っているのかを、きちんとこの目で確かめたい。ただそれだけなのだ。

わたしがいつも目を見張っているのは、物語のすすめ方やレトリックではなく、彼女が見ているこの世界そのものであり、彼女が作品にしれっと紛れ込ませたこの世の道理であり、その種類。
言わずとしれた『キッチン』や『デッドエンドの思い出』以外にも本当にたくさんの作品を世に生み出している彼女は、結局は同じような内容を、形を変えて、言い方を変えて、根気強く私たちに訴えている。わたしはそれを静かに受け取り、実生活の中で確かめるようにして生きている。まだまだ人生経験が浅くて幼いから、彼女の言おうとしていることを本当の意味でわかるのはまだまだ先だと思うけれど。

それでも、こんな子どものわたしでもたまに、いや割と結構な頻度で、彼女の言う道理が目の前で立証されることもある。そんなとき、わたしはこの上なくニヤついてしまう。「なるほど、これか」と。まるでテスト勉強をしていたところがまんま出題された時のようなニヤけ具合。そういう時にこそ、わたしは彼女の作品を「経典」だと思う。宗教という宗教はなくとも、カオスな世の中にひとつの真理が貫いていると思いたいのは人間の性なのか。なんでもいいから何を信仰しているか言え、と言われたら私はたぶん「ばなな教」と答えるだろう。自分の無意識をひとりの作家に預けてしまう危うさを重々承知の上、そう答える。

彼女が示すこの世の道理が何かは、ここでは言わないでおくことにする。私が受け取った道理はあなたが受け取るものと違うかもしれないし、言ったとしても人をとても選ぶものだから勇気がいるし、一言で言い表せるようなものでもない(言い表せたら、彼女はあんなに作品をしかも小説で書いてない)。そもそも、わたし自身が彼女の書く幾多の真理を研究している最中にあるから。

ぜひ彼女の作品に書かれたあらゆる「道理」を読んでみてほしい。わたしにはそれが「道理」にしか見えないけれど、あなたにはただの独特すぎる物語にしか見えないかもしれないし、異端の文学どまりになるかもしれない。

すくなくともわたしは、これからの人生で彼女の言う道理がどういうふうに立証されていくのか、その道理で見る世界が、とても楽しみで仕方ない。

これは誰にも奪えないかけがえのないもの。だからわたしの中でずっと光っている宝だ。




この記事が参加している募集

わたしの本棚

最後まで読んでくださりありがとうございます。 いいね、とってもとっても嬉しいです!