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あの味と父

私は大学生のころ、
函館に4年間住んでいた。
出身は札幌である。

函館は良い街かと聞かれると、答えに迷う。
北海道の田舎に行くと死にゆく街がそこかしこに存在する。
林の中から急に顔を出す墓地のゾクっとした感じが街からする。

そういった気配が函館の半分くらいには存在していた。
しかし、老いと若きのお互いのせめぎ合いのすえに和解、共存し函館を盛り上げようという気配ももう半分に感じる。

そんな函館に大好きなちゃんぽん屋があった。場所は有名な五稜郭の近くで、
内装はThe街中華の見た目で、野球の大好きな爺様(大抵野球中継が流れていてガン見していた)がやる気の無さそうに作る。このちゃんぽん屋の「皿うどん」が格別に美味いのだ。
お店の名前が長崎ちゃんぽん屋なので皿うどんを注文する客は少なかったように思える。

私は函館に遊びに来た人に美味い店連れてってよと言われると必ずここに来ていた。
皆、「違くね?」と言うのだがこれより美味いものを函館で知らない。
そして各々注文しようとする奴らを全力で阻止し、全員に皿うどんを注文させた。
皆、「おかしくね?」と言うのだが食べ始めるとうまいうまいと言って食べていた。

ある日、父が来た時にも連れて行ったのだが父は私の忠告を無視してちゃんぽんを注文していた。なんてことをしてるんだ、と憤りながらまた来なくては行けないじゃないかと次来る理由になっていた。

ちゃんぽんに大盛りはあるのだが、皿うどんには存在しなかった。顧客の要望を伝えてあげようと考え、2回に1回は大盛りありますか?と聞いていた。確実に私の顔は覚えているであろうおかみさんは、毎回「ごめんなさいね、皿うどんに大盛りはできないの」と回答していた。
おそらく私のことをだいたい1か月に1度くらい記憶喪失になる哀れな若人と思われていただろうがついぞ4年間、皿うどんに大盛りが追加されることはなかった。

なんにせよ、函館の思い出の味といえば私はイカでもウニでもなく皿うどんとなった。

大学卒業後、東京で就職した私はわかりやすいくらい「おのぼりさん」だった。
いかんせん、どの料理もある一定以上の料金を払うと必ず上等な料理が返ってきた。
私は昔からGoogleマップのお気に入り機能を使い料理毎の1位を記録していた。
東京で2年も経つ頃には、北海道に残るお気に入りは数軒になっており、函館は例の皿うどんのちゃんぽん屋のみになっていた。
しかし、この皿うどんは私にとっては最強だった。

東京で長崎の味を忠実に再現!みたいな店にはもちろん行ったし、汚美味いみたいな店にも、銀座の老舗みたいな店にも訪れた。
しかし函館のあの店は幾度となく王座防衛を果たした。

そして、彼女と函館旅行に行くことが決まりウキウキしてGoogleマップを開くと無慈悲な「閉業」の文字が目に映った。
コロナ禍を越えられなかったのか
はたまた、年齢の問題か。
あの味はもうこの世にない。

この「閉業」の文字を見てから私はある感覚に捕らわれるようになった。

私はあまり実家に帰省しない性質で東京生活6年目だが帰ったのが2度しかない、それも友人の結婚式と、自分の結婚報告のためで、あまり長居もしなかった。

しかし、この「閉業」の文字を見てから
ちゃんと定期的に帰省しようと思うようになったのである。
私は無意識にどこかであの味はまたいつか食べれるでしょという甘えが存在した。

もしかして、スケールは違えどこんな感覚なんじゃないか?親元離れて油断しながら親を亡くしたときの気持ちは。
そう直感的に感じた。

父とまた今度来ようと考えていた味はもうこの世からなくなってしまったが、いつもの味でも良いので父と食卓を共にしようと思う。
父を思い出にするにはまだ早いはずだ。

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