ピカレスク澤田

約15年の音楽活動を経てお笑い芸人に転身したピカレスク澤田が日々思うあれこれや、たまに…

ピカレスク澤田

約15年の音楽活動を経てお笑い芸人に転身したピカレスク澤田が日々思うあれこれや、たまに半生を振り返って綴ったりします。

最近の記事

歌詞とセルフライナーノーツ

「労働の自由」 作詞·作曲:澤田礼央 ハローワークの窓口で 「何か資格はお持ちですか?」 え?働いて生計を立てる資格って 誰にでもあるんじゃないんですか? 会計士とか危険物取扱とか自動車整備とか そういうのが有利? 「精一杯誠実に頑張ります」 口だけじゃねぇって ···それじゃダメ?経験がモノを云う? スピードが命?初心者お断り? あぁ なんてこった 中学の時、勲章だった英検3級が 社会では全く役に立たないなんて! このままでは最終的に金持ちのババァを 抱くしかないのか

    • 歌詞(その9)

      UNDER THE BLUE SUN燃えない愛を持て余している 夢の中で疲れ 覚めることを許されず 砂漠と氷河を行きつ戻りつ 出口のない逃避行は続く 傷付くことを恐れることを恥じない 奪われるものを持っている 捨てるものだけ選ばされ 謳歌する自由 犯される自由 スタートラインは復路から 約束された徒労 真っ青な太陽の下で 蒼ざめることも出来ない 凍った血が溶けるのを待つ 燃えない愛を持て余したまま

      • 政治的、なるもの(カルチャー)について

        〜怖そうな人、モノには近付かないでおこう〜 生命の維持という観点からしても、処世術的にも間違ってはいない態度である。 しかし、SNS等を定点観測的に見ていると、最近は「今はこの人を叩いても大丈夫そうだ」と認定した人を徹底的に叩く風潮らしい。 安全圏から一方的に石を投げるような行為が容認されてしまっている。 叩かれる側からしたら堪ったもんじゃないだろう。 そして、叩かれるのは主に「政治的に過激な主張、発言」をした人物である。

        有料
        100
        • ピカレスクの未発表漫才台本

          漫才「プロ野球、戦力外通告を受けた男たち」 作:ピカレスク澤田 以下、 澤=澤田 相=架空の相方 澤∶プロ野球、戦力外通告を受けた男たち、好きなのよ 相∶クビになったプロ野球選手に密着したドキュメントね 澤∶俺、出たいな〜 相∶見るもんだろ、あれは。出る方はしんどいよ 澤∶澤田礼央、43才。元プロ野球選手 相∶もうナレーター入ってる! 澤∶即戦力として期待されながら、1度も1軍のマウンドに立つことなく20年目の今期、戦力外通告を受けた··· 相:20年も待て

        歌詞とセルフライナーノーツ

          歌詞(その8)

          THE GREATEST ESCAPE 作詞·作曲:澤田礼央 2023年7月22日 死にたくないから生きているような奴ばっか うんざりさ うんざりさ だから逃げよう 逃げ切ろう 夢を見よう 夢の中へ移住しよう 宇宙の何処かに 太陽と月とブラックホールが 同時に見える惑星があるらしい 信じてくれなくてもいいけど あんた、ちょっと損してるね 重いのは良いけど 苦しいのは嫌だな リズムに対する感性さえ合ってりゃ バンドは組めるよ まぁ、結婚はしない方が良いけど 誰の心にも天

          お笑いに正解はあるのか?問題

          お笑いに正解はあるのか? 芸人の間でも、お笑いファンの間でも、しばしば議論になる問題です。 大抵は、お笑いに正解はない、だから難しい、と穏便に決着します。 果たして本当にそうなのか?と提言するのが本稿の主旨です。 結論から先に申し上げますと、 お笑いに正解はあります。 厳密には、唯一無二の絶対的な正解はないが、多種多様な形で複数の正解がある、ということです。 例えば、大喜利は複数の正解があるお笑いの最たる例でしょう。 お題に対して一番良かった答えを後で決めることは出

          お笑いに正解はあるのか?問題

          回想と回顧(番外編)

          前回のラストで、「小規模な大事件」の予告をしていたのですが、その小規模な大事件を振り返って、書くという行為が自分の精神的にキツ過ぎるので、閑話休題して、アマチュアミュージシャンからお笑い芸人に転向した経緯を綴ります。 約15年、音楽活動をしていましたが、その間、全くの鳴かず飛ばず。 ずっと低空飛行どころか、離陸すらしてません。 滑走路をグルグル走っていただけの15年間。 概ね楽しくやれてはいたんですが、最後の3年くらいはしんどいだけでした。 何故しんどいか? 「売れたい!

          回想と回顧(番外編)

          回想と回顧(その8)

          ART-SCHOOLのアルバム「LOVE/HATE」のリリースに伴うツアーの札幌公演。 その会場で僕は生まれて初めてナンパをした。 相手は当時20代後半か30代前半くらいのシングルマザー。男女のカップル1組と3人でライブに来ていた。 開場前の整列で整理番号が近かったので、フロアでも自然と近くに立っていた。 最初はナンパをするつもりは全然なく、何とはなしに会話をしただけ。 そもそも会話をしたきっかけは覚えてないけど、相手が自分と同じくART-SCHOOLの古参のファンで、自

          回想と回顧(その8)

          回想と回顧(その7)

          時間軸は前後するが、大学を中退する1年前くらいから、僕は地元の社会人中心の草野球チームに入っていた。 毎週日曜日の朝6時から昼まで。練習をしてから2試合というルーティン。 この草野球チームでは、社会性を大いに鍛えられた。それまでは世間知らずで、社会性もろくにないただのガキだった僕が、その後バイト先でそれなりに上手くやっていけてるのは、間違いなくこの時期に学習した色々のおかげである。 そもそも、何故急に草野球をやりたくなったのか。 遡れば中学生になって、入る部活を決める時、野

          回想と回顧(その7)

          回想と回顧(その6)

          「あたしが死んでも誰も悲しまないわ」 と彼女は言った 唯一悲しむ僕を振ったんだから仕方ないよ 当時、僕が書いた歌詞の一節。 Aさんに振られてから半年くらいの間、僕はひたすら歌詞を書き続けていた。 曲として完成しなかったものも含めればノート5、6冊ぶん、300篇くらい書いた。 全部Aさんをモチーフにした内容だ。 怖すぎる。イタすぎる。 しかも、僕はそれらの曲を商業流通させて、得た印税収入の全額をAさんに現金書留で送り付けようとしていた。 ウィーザーのリヴァース·クォモが日本人

          回想と回顧(その6)

          回想と回顧(その5)

          結末から先に言うと、Aさんには交際を申し込んであっさり振られた。 ···まぁ、散々引っ張った話題をたった一言で終わらせるのは、あまりにもサービス精神に欠けるというか、芸がないので、もう少し詳細を書きます。 大学には留年、休学期間を挟んで約6年在席していた。その間、作詞作曲をちまちまやってはいたものの、プロのミュージシャンになるという確固たる決意はなかった。 お笑いはやるものではなく、あくまで見るものだった。 かと云って、手堅く就職することには、前向きになれなかった。 大学生

          回想と回顧(その5)

          回想と回顧(その4)

          「笑顔は最大の攻撃にして、防御。デパートの受付嬢がにっこり微笑みかけてくるのは、なんでだと思う?おかしなことするんじゃねぇぞ、って意味だよ」 K先生は、こういう名言を普段から実にさりげなく言う。本人は別に意識してなかっただろうけど、他愛もない雑談の中に真理を潜ませてくる。 僕が在学中に恋に落ちた女性は、そのK先生のゼミの卒業生で、大学の学生課の職員だった。 彼女(以下Aさん)のどういうところに惹かれたのか、ざっくり云うと外見ですね。見も蓋もない云い方ですが、好きな食べ物のど

          回想と回顧(その4)

          回想と回顧(その3)

          僕が通っていた大学は元々は女子大で、僕が入学した年から共学になったんです。 だから、2年生以上は全員女子でした。 入学してから3年目、選択科目で受けた心理学の講義をきっかけに、社会心理学の教授(以下K先生)のゼミに出入りするようになったんです。 僕は文学部の所属だったので、本来なら心理学部のゼミには出入り出来ないのですが、K先生の計らいで、単位にならなくても良いなら良いよ、と出入りを許されたんです。 ゼミの生徒は前述の理由で僕以外、全員女子でした。同級生からは「脱法ハーレム

          回想と回顧(その3)

          歌詞(その7)

          rock show 作:澤田礼央 体を清める必要性に 気付けないほど疲れてるなら 今はjust sleep 初期衝動失くしても また始まるよrock show ビジネスと割り切るには 割に合わないギャランティーで 打ちのめされることにすら慣れたら 泣くことも笑うことも 生理現象に成り下がる 快楽主義者の末路は 本編よりエンドロールが長い映画のよう 退屈を満喫出来てこそ大人 モノは言いようね 子供のまま王様になる人もいる 損得勘定で考えりゃ 何だって損 幸せを突き詰めた

          歌詞(その7)

          回想と回顧(その2)

          初めて詩を書いたのは高校2年生。 きっかけは川本真琴さんの1stアルバム。 とにかく何かを書きたいという、猛烈な衝動に駆られてと云うか、創作活動とか意識することもなく、ノートに書き留めるようになりました。 その頃はメロディーに乗せる前提ではなかったので、歌詞ではなく詩でした。 ただ、きっかけこそ川本さんですが、作風には影響を受けてないですね。当時好きだった(今も好きですが)ラルクとかhideの影響の方が大きかったです。 詩ではなく歌詞の体裁で書くようになったのは、職業作詞

          回想と回顧(その2)

          回想と回顧(その1)

          どうも。札幌市在住のお笑い芸人、ピカレスク澤田です。 順番は前後しますが、自分がどういう経緯でお笑い芸人になったのか、画像ほど昔までは遡りませんが、振り返ります。 初めてお笑いをやることを意識したのは、高校3年生の時。仲の良かった(過去形)友達とコンビを組んで養成所に入ろう、という話になりました。 僕はツッコミで、相方がボケとネタ作り担当。 当時はお笑いにおけるツッコミの地位は明らかに低かった。コンビの華はあくまでもボケ。ツッコミはボケの隣に立って、たまに相方の頭を叩くだけ

          回想と回顧(その1)