運動後の飯はうまい

胸を張って言おう

昨日はものすごく充実していた

いつもの生活と少し違う生活

足早の帰宅と見せかけてボルタリングに行った

親友と待ち合わせの時間までに余裕があったから軽くショッピングして、2年ほど前から、マフラーを持っていなかったことに気づき、頭を悩ませながら気に入ったものを買った。ユニクロは偉大だ。

さて、本題のボルタリングである。

想像以上に面白かった

私は普段、進んで体を動かそうとはしない

家の中でさえ、手の届く範囲にいろんなものを置いて、自分から動こうとはしない

そんな私が初めて自分からボルタリングをした

初めて壁を登った

興味深いのは目で見ると届きそうなのに、実際は思っている以上に距離があること。手の順番と足の順番を意識しないと登れないこと。上に登りたいからと言って、手を伸ばすことに意識するのはよくないこと。

思っている以上に足の存在が重要だ。足を伸ばしただけで届いたりする。考えてみれば当たり前な気もする。だって、座っている状態と立っている状態とでは明らかに高さが異なるから。

だから筋力でなんとかする競技でもないし、さほど体力は使わない。そしてとても頭を使う。どの順番で手を動かして、足を動かすのか。それでも自分の思考と実際とのギャップが生じる。こんなこと、今まで錯覚やトリックアートでしか起こったことなかったのに。

2、3時間くらい呆気なくたった

時計は簡単に22時を指してしまって、帰ることになった

筋肉の限界よりも早くに手の皮の限界を迎えていたから、赤くなった自分の指たちをみて、次はしっかりテーピングしようと思った。その時は手の痛みばかりであまり自覚していなかったが、今日起きてわかったことはちゃんと体全身を使っていたこと。見事に全身筋肉痛だ。痛い。

着替え終わって、リュックのファスナーを閉めようとして笑ってしまった。手が震えて一向に動かない。スマホのボタンを押そうとして笑ってしまった。ボタンを押せない。こんなところにも腕の筋肉を使っているのか。なるほど。そして今更ながら気づく。この時から雲行きが怪しかったのか。なるほど。それは筋肉痛になるわ。

「運動後の飯はうまい」

この発見が一番大きかった気がする

今のこのご時世で、居酒屋以外の多くの店は22時には閉まってしまう。そんな中、ずっと電気のついているチェーン店には頭が上がらない。暗くなった街中を2人でぼんやりと歩いていると、松屋を見つけた。マクドナルドなどのファーストフード店にお世話になることは多々あるが、牛丼系のお店にはそれほど入ったことはなかったし、松屋も初めて入ったと思う。

メニューと睨めっこしながら、私はまたしても生まれて初めて「大盛り」を頼んだ。しかもお味噌汁、サラダ付き。

並すらも食べられない時だってあるのに、大盛りが食べたくなった。

そんな薄っぺらい理由で、勢いで、頼んでしまったものの、大盛りはやっぱり大盛りだった。存在感がすごい。語彙力を失う。

それでも無我夢中でご飯に食らいついた。会話は無し。2人とも食べるのに夢中だった。

うまい

その一言に尽きる。初めて知った。大切なことだからもう一度言う。

運動後の飯はうまい。

家に帰り、色々とやっていると余裕で0時を回った。またしても違う友人と電話をする予定があったため、電話をかけて、いろんな話をする。「いろんな」ね。便利な言葉だ。

時計を見るともう3時。いつもなら平気で起きていてもおかしくない時間なのだが、それは意味のわからない時間に仮眠をとったり、動いていないから元気なだけで、これほど動き回ったあとはさすがに疲れて、そのまま寝てしまった。

今日だって7時に起きないといけなかったんだから。とても充実してるでしょ?まだ月曜火曜の週の始まりよ?え?疲れてるかって?うるさいな、そんなのいつでも回復できるんだから問題ない。

朝の目覚めは良好。気分も良好。

体は少し昨日を引きずっているみたい。服を着るのも、背中をかくのでさえも、うまく力が入らずに困っている。何もかもいつもよりもやりにくい。腕の力って大事なのね。それ以外の痛みは、そこまで支障は出てない。はい、勝った。

いつもは気怠い週の始まりも、今日に限っては例外みたい

慣れない痛みよ、初めまして

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?