面白いと思われたい私 VS かわいいに興味を持った私
かわいいよりも面白いと言われたい
そんなふうに思っていた私は今、自分をかわいくすることに興味を持ち始めた
最近はこんな感じで自分に対する変化が増えてきて少し焦る。まるで自分が自分じゃないみたい。そんな典型文を少し鼻で笑いながら、自分の分析をする夜のこの時間が好きだ。
話がそれた
時を戻そう
もともと「かわいい」という言葉が苦手だった
小中学生のいじめっ子に散々「ブス」と言われてきた。その頃には「かわいい」という言葉は自分からは程遠いものだと思っていた。今更かわいいと言われても、お世辞にしか思えない。かわいいなんて言ってくる奴は何か下心があるに違いないのだ。
それよりは面白いって言われる方が嬉しかった。自分自身、面白い人が純粋に好きだったから。かわいくて面白味のないやつよりは、話していて面白いやつと一緒にいる方がいいに決まってる。
だからこそ女子の着飾りは鼻についたし、「あざとい」とかも嫌いだった
面白いことに、私は特にそういう女子から嫌われた。なんでも思っていることをありのまま喋ってしまう私は、クラスの目立つ男子に気に入られることが多かったからだろう。彼らは素の私を面白がり、いじり、楽しんでいた。でもどうやらそれをよく思っていなかったらしい。多くの女子を敵に回した。
かわいい女子はそういう男子に気に入られたくてかわいくなるのか、なるほど
陰口をたたかれ、ありもしない噂を流されるようになった頃には、そう自然と思うようになっていた。偏見ばかりで申し訳ない。もちろんそうでない人も多いのだと思うが、多感な時期の私にとってはそのように目に写っていた。
そんなことしてるから男子に嫌われるんだよ
若干哀れんでいたのも確かである。だからこそ、私は「かわいい」よりも「面白い」でありたかったし、偏見ばかりの「かわいい」を心の底から憎んでいた。
きっと羨ましいという気持ちもあったのだと思う
小さい頃に「ブス」を植え付けられた私にとって、かわいくなるという発想自体が恥ずかしいものであったから。彼女らが私をいじめるくらい羨んでいたのと同じように、私も彼女らを羨んでいたのは確かだと思う。無論、私はそんな理由で人をいじめようとは思わないが。
そんな私も歳を重ね、自分の身なりに気をつけるようになった
社会では「かわいい」「面白い」とか関係なく、「身なりを整える」という常識が存在する
それを意識しているうちにメイクをするようになった
おしゃれな服を着るようになった
今までは選ばなかったかわいいメイク用具。かわいい服たち。
自分にはもったいないと思っていた。似合わないと思っていた。そしてあのかわいいを目指す女子たちにどこか負けた気もして悔しかった。
でも一度かわいさを意識すると、世界がみるみる変わっていった
朝のクソ忙しい時間も少し好きになった
もう少し寝たい!時間がない!と戦いながら、自分の今日着る服を選ぶ時間。鏡の前に座る瞬間。そしてメイクをしている時間。
みるみる自分が変わっていく
もちろん、心の問題もあると思う。周りからすればそんな思い切り変わったわけでもないのに、と思われるかもしれない。それでも自分の中では明らかに何かが変わって、気持ちもリセットされて、今日もがんばろ!となれるのだ。
新作のリップを試してみたり、流行のふんわりとしたニットを買ってみたり。鏡に写る自分にかわいいって言ってみたり。
それでも私は変わらなかった
変わったけど変わらなかった
今までの自分では考えられないようなことをしていても、ルンルン気分になっても、結局私は私だった
気持ち見える世界が変わって、気持ち自分がかわいくなっただけ。
かわいいを目指していた女子たちみたいに誰かを羨んでいじめるわけでもないし、今でもかわいいよりも面白いという方が褒め言葉だと思っている。空気を読みながらも、相手を気遣いながらも、思っていることは言うし、素の自分を出している。
「あざとさ狙ってみよっかなぁ」
そんなふうに言ったら、友達全員に止められた。「お前はそのままでいい」うん、なんていい言葉。
それでも昔よりはお世辞にもかわいいと言われることが増えた
言われ慣れなさすぎて反応に困るし。思ってないくせに、とも思ってしまう。それでも悪い気はしないものだ。
ところで
夜更かしは美容の敵らしい
かわいいを意識とか言っておきながら、ふと思い出したように、このブログを書いてる時間を確認する
...
知るか!そんなもの!私はトルコ時間で生活してるんだよ!
そんなことを思ってるから、かわいいをいつも敵にしちゃうんだろうなぁ
なんちゃって
いつも終わりは突然に
P. S.
この文章は特に私の偏見に溢れています。気分を害した方はごめんなさい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?