生きるとか、死ぬとか
おじいちゃんが亡くなった。
自分の身近な人が亡くなったのは初めてだった。
不思議とそんなに涙は流れなかった。
病院のベッドで弱々しいおじいちゃんの姿を知っていたから。
もう私のことを覚えていないおじいちゃんを知っていたから。
おじいちゃん、あなたはいつなくなったの。
私の知っているおじいちゃんはきっと随分と前に無くなっていたのだと思う。
亡くなったのはこの前。でも無くなったのはきっと随分前。
痩せこけて、目を瞑るおじいちゃんを眺めて、最後にありがとうを伝えた。
そして数時間後、おじいちゃんは骨になった。
あの弱々しかったおじいちゃんからは考えられない、立派な骨だった。
これがあなたのおじいちゃんです。
そう伝えられても、私の知っているおじいちゃんじゃないから、わからない。
でもわかったのは、「死んで残るのは骨だけ」っていうことだけ。
そしたら今の私って何なんだろうって純粋に疑問に思う。
私の今の感情や記憶、経験、この「心」はどこに行っちゃうんだろう。
それらが消えるってどういうことだろう。
死んでいる状態は眠っている状態と似ているものだと思っていた。
終わりのない眠り
いつもは朝に目が覚めるけど、きっといつになっても目が覚めない
それだけ。
自分でさえも自覚がないだろうから、不思議だけど、きっとそんな感じなんだろうなって思う。
でも、現実問題、残るのは骨で、それさえも最後はなくなってしまう。
人間なんかに生まれてしまったから
感情なんか持ってしまったから
考えることができてしまったから
植物になりたかった。大腸菌でも良い。何でも良い。人間以外なら、きっと余計なことも考えなかっただろうに。
どうせ死んでしまうのに、どうして生きるのか。
それはきっと永遠の謎で、私の今の研究テーマ。
答えなんて見つからないことは知っているけど、それでも考えないと、自分がなくなってしまいそうだから。
そんな大して楽しくもないようなことを考えていたら、知り合いが子供を授かったと言う。
新しい命。
小さな子が生まれる。
ああ、生を受けた、笑ってる。
その純粋な瞳で何が見える?
生きるだとか、死ぬだとか。
きっとそれはこの地球に生まれてしまった以上、誰しもが抱える問題で。
答えのない問題で。
祖父が亡くなったとき、家族の繋がりを感じた。
祖母が泣き、父や伯父が泣き、その子も泣いた。
残された者、でも確実に繋がっている生命。
血はずっと受け継がれる。
その繋がりが美しいと思った。
死ぬものもいれば、生まれるものもいる。
そんな世界で、着実に生きた証として、その血は、遺伝子は、細胞は後世へと間違いなく受け継がれていくことを実感した。
骨になった祖父を見て、溢れてくる涙に、人間の感性の鋭さを感じる。
おじいちゃん、私はどうやら、ちょっと捻くれてる人間らしいの。
私のことを知っているおじいちゃんはさ、きっとだいぶ前になくなっちゃったから、もう私のことなんて覚えてないかもしれないけれど。
私だって大人になったんよ?
あーあ、おじいちゃんの好きなお酒くらい、一緒に飲みたかったなぁ。
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