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✦✦vol.11 リアルに閉じ込めないデュアル〜ポスト・コロナの変遷と適応✦✦

[REN's VIEW〜“その価値”についての考察]
リアルに閉じ込めないデュアル〜ポストコロナの変遷と適応


✦Virtual is insanity?✦


“これからの生き方として正しいのは、バーチャルかリアルか”


「コロナで人が出て来なくなったよね〜」
という話から、行きつけのバーでそんなお題の会話になった。
リアルにとどまるか、バーチャルに走るか。
この所は、そこかしこでみんなが語っている定番テーマではないだろうか。

✦既にあったフレーズ✦


“『デュアル・ライフ』というのはどうだろう?”

その翌日の夜のこと。この2年の生活を振り返り、ふとそんなフレーズが浮かんだ。
ライターの職業的慣習から検索してみると、残念ながらこの言葉は既にあった(勉強不足!)。
生活において、都市と地方に2拠点を持つこと。2点への定着がポイントで、気晴らしのための旅行など、一時滞在とは区別される様だ。
そもそも “デュアル”とは、二面性、二重性を意味する。ここでは、経済効率性と豊かな自然の“対比と包摂”なのだろう。

✦適応と変遷✦


リアルとバーチャルもまた、対比と包摂は可能だろうか。
僕自身の生活の変遷を見ると、主にバーチャル的なものの拡充があった。
例えば、自粛期間中には将棋サロンへは行きづらいので、『ぴよ将棋』というAIアプリを用いて千局以上プレイした。
人と指さない将棋には、戯れの要素はなく、一種のパズルゲームの様相を帯びる。それでも黙々と脳を働かせ指を動かしている内に、形には随分と詳しくなったし、対人でしていた頃には浮かばなかったであろう一手も、意識せずに自然と閃いたりする様になった。
この『note』アプリもそうだ。人に話したいテーマが浮かんで膨らんだ時には、独り言をブラッシュアップし、文章に纏め上げてアップする。誰とも会わなくても、考えたことを発信することができる。

バーチャルではないが、“一人空間の充実”もあった。
飲み歩けない時期の対処法として、部屋にバイクマシンを置いた。好きな音楽を聴きながらひたすらに漕ぐ。サウナの様に汗をかけるし、無心に漕いでいるなかで、ふとしたアイデアが浮かぶことも多い。
ハードのダーツボードも設置した。やはり音楽を掛けながら淡々と投げ込む。ハードボードは麻を圧縮したものなので、深夜でも音を気にせずに投げられる。
1畳ほどのスペースと数万円の初期投資によって、春夏秋冬、昼夜・天気を問わずいつまでも遊び鍛えることができる様になった。

それでもさすがに飽きてくる頃には、時短要請も解除され、地中から姿を現す春の虫のように、街へと繰り出す。
浮いていた遊び金。図らずもなされた小さな貯蓄を用いて、この時ばかりは気前よく散財する。そこには、リベンジという意味合いは少し薄いかも知れない。
勝手にメリハリがついてしまった。

✦人間存在の多面性→中途半端?✦


食欲、性欲、支配欲。

人間は衝動的欲求に突き動かされる動物でありながら、と同時に、

計画性、自己犠牲、精神性。

即時性を超えた神の真似事の様なこともする。
動物と神様の間を往き来する。

プライバシー、自己実現、幸福追求。

個人のテリトリーを守り、固有性や満足感を充実させながらも、

公共、連帯、協働。

社会や国家や家族という集団的単位の恩恵も受ける。
個人でありながら、避けがたく大きなものの構成員でもある。

AI論を書いたとき、その属性について、
“飽きない・恐れない・疲れない”
僕はこれを、『AI恐怖の3要素』と考えた。テーマは「将棋と人口知能」だったので、少しAIを敵と見る向きもあった。
AIの強烈な属性とは、一言でいえば “迷いの無さ”だった。
人間というのは中途半端な存在だ。
ただそれ故に、恐れながらもその恐怖を克服して素晴らしい一手を棋士が指したとき、その勇気と意思の貫徹に人は感動を覚える。
人間の帯びる共感や共鳴とは、実はこの存在的中途半端さから来ているのではないかと、今になっては思う。
「強い・弱い」という観点から離れて見れば、迷いながらも共感や共鳴の力を借りて進んでいくのは、生きるプロセスとして楽しい。解へと突き進む計算とは異なり、紆余曲折の彩りにも満ちている。

✦ボーダーレスの意味する多様性✦


二者択一はやめよう。慣習や固定観念に基づく役割的決めつけはなくそう。
これは、2000年辺りに僕が学んでいたポストモダン(現代哲学)の基本だった。

その頃、アキラさんという2歳年上のダンサーの隣人がいた。ハウス・ミュージックにのせた創作ダンスが得意で、人をワクワクさせる天才的な踊りをする人だった。
僕らは互いの部屋を行き来して、音楽やTVドラマや表現の話をした。
僕はアキラさんから、尽きることのないイメージの源泉的思考を学んだし、アキラさんは僕に、どこかで聞いてきた言葉の意味をよく尋ねた。

「“ジェンダーレス”ってどういう意味なの?」

「男女という垣根をなくす。男らしさとか女らしさというものに、無理にこだわらない考え方ですね。この頃は、流行りのスタイルなんじゃないでしょうか」

「そういう人って誰?」

「うーん、そうだな。妻夫木くん(妻夫木聡)とかですかね(20年近く前の会話だ)」

「境界を取り払うってことは、そこから自由になるってことだよね。彼だと、何かピンと来ないな」

「じゃあ、アキラさんなら誰が浮かびますか?」

「美輪明宏。人として、全部の魅力が溢れているよね」

ボーダーレスという時に、中性化するのも一つの答えなら、全部マックスも答え。今思い出しても、この会話の中にはアキラさんの自由な創作の原点が滲む。

シンプル故に当たり前の様で、必ずしも世の中はそうはなっていない。

「実体験が大切だ」

「いや、これからはITこそが成長分野だ」

例えば、遅々として進まない教育改革においても、この発想は活かせそうだ。課外体験授業と、タブレットを活用した情報リテラシーやスキルのインプットを、同時拡充すれば良い。
「授業のコマ数や時間は決まっているからそれはムリだ」と言う人もいそうだが、心配には及ばないだろう。
今となってはどっちつかずになってしまった “みんなで同じ向きの席に座って行う、紙の教科書を使った知識の詰め込み”を削減すれば良いのだから。

✦ポストモダンとポストコロナ✦


コロナ渦は、僕たちの生活に強烈な制約をもたらした。
しかし見ようによっては一方で、オンライン診療、テレワーク、旧習にとらわれたルールや前提を見直し、バーチャル空間を駆使したテクノロジーの活用を促し、解禁したという側面もある。

個人が活用するAIテクノロジーの発揮する威力については、note記事、

で紹介させて頂いた通りだ。

バーチャルとリアルの2拠点を往き来する “広義のデュアル・ライフ”
拠点は、1でもなければ、絶対的な答えもない。
して見ると、成立するデュアルには他にも沢山のバリュエーションがありそうだ。ライフ、つまりは生き方の可能性は、価値観や感じ方の深まりに呼応して拡がっていく。
考えるに連れ、それは悪くないイメージに思われて来た。
次回、行きつけのバーに行ったら、早速みんなで話してみたいテーマになった。




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野咲 蓮
メッセージ・コンサルタント(人物・企業のリプロデュース) 著書:人間を見つめる希望のAI論(幻冬舎刊)

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