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日本橋「八木長本店」9代目・初の女性社長に聞く「これからの食」後編


『出汁という宇宙』(2021年、幻冬舎刊行)
創業1737年。江戸時代・中期からおよそ300年に渡り、鰹節を始めとした出汁の食材を扱う『八木長本店』。
その代表の西山麻実子氏が、食材の選び方・活かし方を、イラストやコラムも交えながら丁寧に解説します。
毎日のお味噌汁から季節の保存食まで、この一冊で出汁の使いこなしは自由自在に。余すところなく、奥深い「出汁の世界の魅力」を伝えます。
そして、9代目・女性社長の願う“私たちのこれからの食”とは〜

インタビュー後編〜『出汁という世界』以外にも思うこと)


✦“この頃のライフ・スタイル”について


「さて、ここからは後編なのですが、少し出汁を離れて、西山さん個人のお話も聞いてみたいと思います」

「わたくし個人の、ですか?」

「西山さんのご商売は昔からの食材を担う……こういうのは何と言ったら良いのでしょうね、」

「伝統商店(笑い)」

「いいですね、伝統商店(笑い)
そうした伝統食材を学んだり扱ったりされている西山さんの“普段のライフ・スタイル”にもとても興味があります。
ご自身の生活では、お仕事を離れたときの嗜好としては、どういうものを好みますか?
音楽とか、ファッションとか、あるいはオフの日の過ごし方なんかでも良いのですが」

「もともと私はクラシックを勉強していたので、音楽界にも関わりが深くて。その繋がりで、友だちの演奏会なんかを聴きに行くことが今でも多いですね」

「たしか、国立音楽大学を卒業されていましたね」

「そうです。そこのピアノ科でした。大学を卒業してから6年ほどは、生徒さんを取って教えたりもしていましたし、ピアノ・トリオを組んで演奏会なんかもしょっちゅうしていました」

「それは凄い。本格的ですね」

「ただ、この世界に入ってからは、“鍵かけちゃう”って感じでスッパリと止めたんです。そうですね、その時は仲間の演奏を聴くのもイヤになるくらいでしたけど……」

「打ち込んだものを振り切るのは、とても辛い事です」

「でも、暫く経ったらそういうのも忘れて、今では本当に大きな楽しみになっています。ですから旧い馴染みの方には、私のことを“ピアノを弾く鰹節屋”なんて呼ぶ人もいましたよ(笑い)」

「それもまた、素敵なネーミングだと思います。どこか愛着の様なものも感じられて。
そうするとやはり、お好きなのはクラシック音楽なのでしょうか」

「うちの大学は、たぶん音大のなかでもわりと音楽の幅が広くて、ジャズなんかで活躍されている方とかもけっこういるんですよ。なので、クラシックだけでなくジャズのコンサートにもよく行きますよ。“良いなぁ”と思える音なら、ジャンルは問わず何でも聴きます」

「なるほど。ちなみに一人、特に好きなアーティストを挙げるとしたら?」

「誰が好きかなぁ……色んな人がいて迷いますけど。あぁ、『チック・コリア』が好きです。この間、亡くなってしまいましたけど」

「チック・コリアですか。僕も大好きです。どのアルバムも一枚一枚が芸術品だと思います。でも常識や伝統から見たら、かなり“ブロークンな音楽”ですよね」

「確かにそう、ブロークンかも(笑い)。そういうのも全然好きです。感覚が天才的で、すごく面白いですよね」

「この頃の音楽ではいかがでしょう?」

「桑田佳祐さんとか、良いですよね。メロディが覚えやすいし、声もとっても素敵。
それと、私は鎌倉出身なんですよ。あの方は高校が鎌倉学園で学年も一緒だから、たぶん同じ電車にも乗っていたはず、そういう親しみもあって」

「それは確かに身近な感じがしますね」

「一応、“元”湘南ガールですから(笑い)」

「サザン・オールスターズと日本の食文化をこよなく愛する湘南ガールに、今お話を伺っております(笑い)」

「あとは、色んなお店を食べ歩くのも好きですよ」

「そうですか。そういう時は、やはり和食のお店に行かれるのですか?」

「いいえ。実は私、洋食も大好きですし、強烈な味、例えばそうね、激辛なんかもわりと好きです。
それと、特にラーメンは、勉強も兼ねてちょくちょく食べに行きますね」

「ラーメンは出汁の勉強になりますか?」

「ラーメンこそ出汁ですよ。最高峰の出汁はラーメン。それを知らなかったら、今どきの出汁は全然語れません。
“化学調味料を使わない流行”というのが最近は出てきてますよね。いわゆる“無化調”、そういうのを面に堂々と掲げているお店なんか見ると、“本当かしら?”なんて気持ちでつい、ふらっと入って行ってしまう。意地悪なおばさん(笑い)」

「実際、食べてみてどうなんですか?」

「本当に皆さん、努力されていると思います。原価だって掛かるし、仕込みも丁寧にされるのは大変でしょうけれど」

「同じ作り手だからこそ、見える一面もあるのですね」

「突っ込まれた所を聞かれて、すごい緊張してしまいました。これで良かったのかしら?」

「クラシックとお出汁に始まり、ご趣味はラーメンとジャズ。
商売では“基本中の基本”といいますか、先代からの厳しい教えを忠実に守られている印象がありましたが、プライベートでは、垣根なくパワーのあるものや目新しいものを楽しまれている感じがとても新鮮でした。
青春時代のお話も聞けて光栄です。意地悪なインタビュアーですみませんでした(笑い)」

✦“食”について今思うこと


「広く世界を見渡しますと、この2年の間に、家で食事をする機会が増えたり、生活を見つめる時間が増えたり、更にはSDG'sという“ライフスタイルの新しいコンセプトの提案”もありました。
それに伴って“食”というものを今、改めて捉え直そうとしている方も沢山いると思います。
一方では、フリーズ・ドライ商品なんかもどんどん開発され、進化して、要するに食生活というものがドラスティックに変化している状況だとも言えそうです。
この本を通じて、先生はそうした方たちに“どういう食生活を過ごしてほしい”とお考えですか?」

「やっぱり、この2年間というのは本当に大変だったと思うのよね、皆さんがそれぞれに」

「特に今年は、終わりの見えない様な自粛期間も続きました」

「みんな2年も我慢しちゃってて、もう飽き飽きしちゃってる、色んなことがね。それで、テレビやラジオなんかで悪い話はどんどん入って来ますしね、新しい株が出ちゃったとかね。
日本人というのはとても真面目だし、そういう危機管理みたいなものもちゃんとできていると思うから、むしろ、そのちょっと増えた時間を使って、“何か楽しいことをやれるといいよね”っていう提案ができたらなぁとは思います」

「なるほど、それは発想の転換ですね。“空いた時間のちょっとした活用で、食を豊かに楽しもう”ということですね」

「私の様に仕事ででもしていない限り、毎日昆布で出汁を取って鰹節を使ってなんていうのは難しいとは思うんですね」

「確かにそうかもしれません。そうすると何か、始めるきっかけの様なものがあったら良いですね」

「日本には年中行事というものがありますよね。お正月に始まり、3月3日のお雛様とか。いわゆる五節句に出される行事食というのは各地に違っていて、なおかつ、とても大切な伝統食なんですよ。
ですから、例えば“お正月にはお出汁を取ってお雑煮を食べる”とか、そういう所から始めてみるのはいかがでしょうか」

「それでしたら、時期も近いですしちょうど良いですね。それで“いつものお雑煮とはちょっと違うな”とか、新鮮な発見があったら楽しいですね」

「実際、年に一度だけ12月にうちを訪れてくれるお客様も実はけっこういます。お婆ちゃんがお孫さんを連れて、そのお孫さんがやがて、またご自分のお孫さんを連れて……。それが、もう何代も続いている様なお家もけっこうあります。
なので、九十歳近いお婆ちゃんにうちの若い子が『あなたより分かっているわよ、3歳から私はここにいるんだから』なんて叱られちゃったりもする事もあるんですよ」

「微笑ましいシーンですね。思わず目に浮かびます」

「うちだけでなく他の鰹節屋さんも、お正月に良いお出汁を飲んでもらいたいと思ってこの時期は一生懸命削っているわけですから。そういうものをぜひ買って頂いて(笑い)、このお正月はお出汁を取って、一から美味しいお雑煮を作って欲しいと思います。
使うのが鰹節とも限りません。それこそさっきおっしゃられた四国なら、美味しいイリコでお雑煮の出汁を取るでしょ?それで良いんですよ。これが正解なんていうものはないんです。
例えば京都の人なら白味噌を入れたり、お餅だって四角いのもあれば丸いのもあったり、そこに入れる具材もみんな違いますよね。まさに日本の食文化の豊かさを感じられる事なんです。各地で違いますから」

「そんな“故郷のお雑煮”を、今年は家族みんなで作ってみたりしたら、よい思い出になるかもしれません」

「そうなったら嬉しいです。こんな大変な時期だからこそ、そういう体験をして頂けたらなぁと思いますね」

「そうやって作ってみて満足された方が、更にそれを定着させたいと思った場合には、日々の食事のなかで出汁をどういう風に位置づけたら良いでしょうか。例えばお味噌汁とかになりますか?」

「そうですね。お味噌汁なら手軽だし、美味しくできるし、とても良いと思います。
毎日ムリして続けようとするよりも、お味噌汁を必要とするメニューなのかが大切な視点ですね」

「なるほど」

「パスタを食べる日もあるでしょうし、今日はオムライスにしようとか。ですから、まずはその日の献立が和食なのかどうか。
“今日はいいお魚が入ったから塩焼きでもやろうかなと思ったときは、出汁を取ってお味噌汁”とか。そういうセットにしてみるというのが、自然に少しずつ慣れていく秘訣かもしれません。
昔は、ご家庭の台所では毎日の様にお出汁を取っていたと思います。それはご飯とお味噌汁というのが、当たり前のように定番だったからなんですね。
今は、色んなメニューがあるなかで、出汁の存在をどこかに残して頂けたらなぁと思うんです。若い方でしたら、趣味とか遊びの感覚で。もしのめり込んでも、その分だけ楽しめる広がりと深さが、この世界にはありますから」

「これから生まれて来る、“新しい出汁の世界”ですね」

「そうなってくれたら、本当に嬉しいことです」


✦出汁という宇宙


「最後に、宇宙に対する西山さんのイメージを聞かせてください。この本を手にした時、カバーデザインと共に“とても素敵なタイトルだな”と思ったんです。
宇宙はお好きですか?お好きだとすれば、どんな所に惹かれるのでしょうか」

「宇宙ですか……。取り立てて知識もないですけど、私が感じていることで構いませんか?」

「もちろんです。イメージですから、感覚的な方が面白いです」

「星を眺めるのが大好きなんです。小さい頃から、星とか月とかをよく眺めていて。いつも、“あそこに誰がいるんだろうな?”とか思っていたんですよ。
そしたら最近アメリカが、宇宙軍でしたっけ、SFみたいなことが現実味を帯びてきて。たぶん私の想像ですけどね、今、あっちこっちで戦争したり仲悪いでしょ、この星では。そんな事を言っている場合じゃなくなる様な気がする。全地球が一つにならないと、“外からの何か”が来るのかもしれない。“神様がそうさせるんじゃないか”とか、最近はそんな事を考えています(笑い)」

「未知と言いますか、何がいるのか分からない空間みたいなイメージなんですね」

「そうなんじゃないかって。そういう事を考えたりしませんか?あり得ないと思う?」

「僕もいると思います、“何か”が(笑い)。
大人になった今でも、それは変わらずいると思っていますか?」

「えぇ。絶対に“何か”いて、そう思ったらウキウキしません?人間の形をしているかどうかまでは分からないけど、面白い生命体とか。
それと、行ってみたいというよりかは、たぶん想像しながら見るのが好きなのね。分からないことだらけで、どこまで行くか分からないくらいの深さがあって。奥が見えなくて、夢がある世界」

「深遠なのに開放的で、ロマンにも満ちたイメージです。そういう世界に、西山さんは魅力を感じるのですね」

「お話を伺ってみて一つ興味の沸いたのは、“出汁について今、西山さんはどれくらいまでを分かっているのだろう”という疑問です。どう思われますか?」

「それはもう、本当に“これくらい”(2センチほどの指の隙間を作る)。まだまだどこまで行っても、ほんの一部しか分かっていないと思います。
分かっている事ですら、不思議だなと思うことばかりなんですよ。例えば昆布は、長く煮るほど柔らかくなって味がよく染み込むんですが、“どの塩梅が理想か”なんて科学的には説明できない。
ましてや、昆布と鰹節がこんなにも合うなんて。そもそも一体誰が発見したんだろうって。考えられます?2つを合わせただけで、旨味が天文学的にアップする。しかもその凄さが、自分で取ってみても簡単に分かる。
いつも“凄いなぁ”って思っています」


✦小さな鰹節屋さん


「最後に少しだけ、昔の話をしても良いですか?古い思い出話。お話をしていたら、ふと久しぶりに思い出したのね」

「ぜひお願いします」

「私のイトコが、築地の場外で最後までしていた小さな鰹節屋さんなんですけど。そのお店が私の修行先だったんですね。もう何年になるのかしら。随分前から、長いことやっていたと思います。そこの叔父に、一から十まで全てを教えてもらって。
鰹節以外にも色んな節を、叔父はブレンドして、出汁取って、入札して買ってきた物がどんな味になっているのかを、汁仕立てにして毎日食べさせてくれた。そこのお昼は、決まってお蕎麦なの(笑い)。
それが、あまりにも毎日違うんでびっくりしたんですよ。物凄いなと思って。この世界は凄いことだなって。
“とにかくミラクル”っていうくらいの奥の深さ。鰹節だけじゃないんですよ、サバとか、ムロアジとか、色んなものをブレンドして蕎麦汁を仕立てるわけ。その状況によって、毎回毎回、香りが違ったり味が違ったり、ブレンドする凄さね、それもびっくりしたし」

「お話を聞いているだけで、僕も食べてみたくなります。今でもそこには、よく顔を出されるのですか?」

「築地再開発で、埼玉の方に工場ごと移ってしまったんです。去年ですね、移転したのは。そこが無くなってしまったのは、本当に哀しかったですね。
最後の日には、叔父はもう亡くなっていて、修行の時にその蕎麦を食べさせてくれた伯母がまだいたので、もう九十近いのかな、写真撮りに行って、二人で一緒に写真撮って」

「そうでしたか……」

「その時は寂しかったですね。そういうお店はいっぱいあったんですよ、小さな鰹節屋さん。海苔もそうだし、お茶屋さんもそう。どこの街にも必ず一軒、お茶屋があって鰹節屋さんがあって、海苔屋さんがあった。地方に行くとまだあるけど、もう、殆ど残ってないかな」

「移り変わり行く風景をずっと見て来られたのですね。それがきっと、“出汁という世界を残したい”という西山さんの思いの源泉なのですね」

「少し感傷的になってしまってごめんなさい。言いたかったのは、つまりね……
出汁というのは、比喩でもなんでもなく、宇宙に引けを取らない奥行きのある世界なんです」

「普遍と創造を併せ持つ、素敵な出汁世界のお話をたくさん聞くことができました。
今日はありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました」

■ 西山 麻実子/ニシヤマ マミコ
株式会社八木長本店代表取締役社長(9代目八木長兵衛)
YAGICHO COOKBOOK LABORATORY 主宰
料理研究家
東京生まれ。国立音楽大学ピアノ科卒業。
300年近くにわたり各種出汁の食材などを取り扱う八木長本店の社長を務める傍ら、企業研修、専門学校等における講義、国内外でのワークショップを通じて、日本食に欠かせない乾物食材の使い方、調理方法など和食文化の伝承に貢献している。
また気軽にお出汁を楽しむ料理教室(YAGICHO COOKBOOK LABORATORY)を主宰し、毎年多くの卒業生を輩出している。

©️野咲蓮 2021.12.22

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