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✦✦vol.7〜テクノロジーのもたらした平等と、新しく深遠なる世界✦✦

[REN's VIEW〜“その価値”についての考察]
テクノロジーのもたらした平等と、新しく深遠なる世界


✦続・一人でできること

大阪桐蔭野球を素にして“一人でできること”についての考えを巡らせた後、少し経ってから棋士の藤井聡太五冠が思い浮かんだ。
こちらはチーム・スポーツではない。
“盤を挟んで、一人の人間と向き合う” 将棋だ。


✦新しいツールのもたらした平等

新年の集いで師匠の所に顔を出しても、礼儀正しく挨拶をして帰ってしまうと言うのだから、社交に戯れるよりも今は、とにかく鍛錬したい
“指し盛り”なのだろう。
“指す”と言っても、この頃は対人での研究会などは行わず、家でAIソフトを駆使しながら研究を深めて行くのが主流の様だ。
「たぶんソフトとかにかけたら(検索したら)、怒られるんですけど」
NHK杯テレビ将棋の感想戦で、若手棋士が自らの指した手についてそう述べていたから、ライバルと言うよりは“疑似師匠”の様な存在なのかも知れない。

テクノロジーのもたらした良い変化としては、少し遡れば菅井竜也八段(現A級棋士、岡山県出身)などを走りとして、地方出身の棋士の誕生・活躍が増えて来た(高田明浩四段・35年ぶり岐阜県出身、黒田尭之四段・43年ぶり愛媛県出身、など)。
“何処でも何時でも研究できる様になった”ことが、地の利のもたらしていた差を解消したと言えよう。
ひとりでも、将棋と向き合えば強くなれる世界になった。
そこから見れば、出歩いたり人との関わり持つことを制約したコロナ渦という環境変化が藤井五冠をより一層に強くしたという一面は、確かにあるのかも知れない。

その藤井五冠よりも、昨年度の年間勝率の高かった若手棋士が現れたらしい。
伊藤匠五段で、年齢は藤井五冠と同じ19歳だ。
ポスト・AIソフト
ポスト・コロナ
研究するための手段も環境も、それに対する心構えも変遷して行く。これから出てくる棋士たちは、どこまで強くなっていくのか。進化できるものなのか。

✦進化に試される真価

テクノロジーに飛躍的な進歩が見られた時、旧来からの自分を捨てられた者が勝ち、自分の連続性に固執した者は敗れ去る。それは、鉄砲伝来後の戦国時代や明治維新から得られる “歴史の一つの必然”だ。
その意味において人間は、自我や意思よりも、実は適応能力の方が遥かに強いのかも知れない。そしてそれは、驚くほど早い。
ただ、テクノロジーによって解決された嘗ての手間や厄介事を、それでいて懐かしんだりもする所に、“人間の不思議な可笑しみ”もまたあったりはするのだが。
何れにせよ僕たちは今、明治維新以来の “テクノロジーがもたらす革新的進化”を体験している。
ダイナミックな変革に晒された時、人間は様々な向きに光を放ち、たくさんの教訓や興味深い大きな出来事が現れる。厳しい試練や不安と同じくらい、楽しく生きるためのテキストにも満ちている。
例えば明治維新ならば、坂本龍馬から“爽快な開花”を味わうこともできるし、大村益次郎から“朴訥な順応と応用”を学び得るし、西郷隆盛からは
“美徳を全うする生き様”を感じ取ることもできるだろう。

✦人間と世界と人工知能

いま盤上で起きている事とは、人間が、AIの凄さを実証しているのか。それともAIが、人間の凄さを引き立てているのか。
旧くから繰り返されて来た、テクノロジーと人間の関係性(或いは主導権)への問い。
答えは物の見方によるし、人間のこれからに掛かっているとも言えるだろう。
ただ、人間とAIが組み合わさって、これまでには見たこともない将棋が現されている事だけは確かだ。

“1秒に数億手読む”とも言われる人工知能。
その形のない知能が紡ぎ出していく樹形図の連鎖、“億の乗数”という深海を、潜る様にひとり、藤井聡太五冠は読み続けていく。一体そこには、どんな世界が拡がっているのだろうか……。
“叶うなら、人智を超えた人工知能よりも、その一人の人間の知能が見ている深遠なる世界を覗いてみたい”
同じく一人の人間として、ふとそんな事も心に浮かんだ。

野咲 蓮
メッセージ・コンサルタント(人物・企業のリプロデュース) 著書:人間を見つめる希望のAI論(幻冬舎刊)


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