こうして私は「生きてる実感」をとりもどした【モンゴル旅🇲🇳】⑤一期一会の先に
旅については今回で終わり。
生きてる実感を得た気づきを振り返る。
思い立って、9月の頭、私はモンゴルへ旅だった。そして帰ってきた今、思うこと。
◾︎前回まで
世界は、でっかいよ
まずひとつ言えること。
日常で見える景色が変わった。
これは、視覚的な話。
できる限り遠くを見るようになったから。
モンゴルの大地は、信じられないほど、圧倒的に広かった。
圧倒的に、だ。
そんな大地に降り立って、大地を踏みしめ、果てしなく続く地平線に目をやる。
5キロ、10キロ先だろうか。
あの先は中国大陸か。
果てしなすぎてよくわからない。
でも、大陸がずっと続いていることはわかる。
そんなとてつもなく大きな存在にふれ、いつもみている世界の狭さを思い知らされた。
私の日本での日常は、常に人と何かのやりとりをしていることが多い。
仕事のことだけでも、ものすごい数だ。
本社内のスタッフ、施設のスタッフ、求職者、クライアント。
移動中の電車内、歩いている時にすら、隙間を惜しんでメッセージを返したりする。
気づけば手元に目をやってる。
顔を上げれば、ビルだったり、無数の人に囲まれていると気づく。
周りを見ても、街を見ても、携帯をすぐにみたり、あわただしく動く人であふれている。
それが私の日常だ。
一緒に旅をしたモンゴル人の2人。
彼らは大地の中で、自然と遠くに目をやっていた。
もちろん、都会に生きる恩恵はある。
だけれど、私の日常で失われている何かが、確実にモンゴルにはあった。
生き物ってこんなに美しいのか
この感動も大きかった。
生き物が、生き物なんだよ!
旅の途中に私が出会った動物たちは、どれもこれも美しかった。
牛や馬や、羊や、山羊がのびのびと生きている。
生き物達が大きく、しっかりしている。
物理的に大きいというわけではなくて。
生き物としての生命の力の強さが、大きく見せているような気がした。
本来の生き物はこんなにもいきいきとするのだ。
きっと私たち、人間も。
日々、私は人に囲まれ過ぎているかもしれない
モンゴルは人口が350万人程度。
これは横浜市と大体同じだ。
その人口が、日本の国土の4倍の土地に点在している。そしてその半分の約200万人は首都にいる。
世界一、人口密度が低い。
だから、ほとんど人に会わなかった。
でも、さみしくない。
むしろ、こころが落ち着いた。
圧倒的に広い自然に、人がいないことの贅沢を知った。
人は好きだ。でも、疲れることもある。
価値あるものは人間関係だけではない。
むしろ日々、人と関わりすぎなのではとさえ思った。
人間関係以外にも、この世界には美しく、豊かなものがいくらでもある。
生死のはざまを体験した人の前で、私は何が言える?
日本語ガイドのエルデネくんの言葉からも、気づかされることがたくさんあった。
私は、彼にたくさん聞いてみたいことがあった。
モンゴルの素晴らしさは何なのか。
どんな人たちがいるのか。
なぜ日本語を学ぼうと思ったのか。
日本に住んだ時、どんなことを感じたのか。
馬に乗るってどんな気分なのか。
空港からの移動の車中、800キロの陸路の車中、砂漠や草原を歩きながら、たくさん話をした。
仕事の話、家族の話、友達の話、価値観の話。
そんなことを、モンゴルで誰かと分かち合うなんて、想像してなかった。
後で聞くと、そんなに話しかけてきた観光客は私くらいだそうだ。
私にとって、旅とは、人生とは、やっぱり人との出会いだ。
遊牧民の出身で、18歳までは自然の中で育ったエルデネくん。過酷な軍隊での経験もある。
そもそも私とは、体験していることもみている世界も全く違う。
大変だったよ、でもそれで今の自分がいるから感謝しているんだという。
異国で出会ったよく知らない青年。
それでも、すべてを糧に、健やかに生きてきたこと、家族を大切に思う気持ち、心のあり方が目と表情に全て表れていた。
そんな彼は、人生で2度死にかけた話をしてくれた。
1度目は13歳の頃、雪山で。
「この手を離したら死ぬ」状況になったこと。
2度目は14歳の頃、森の中で。
森の中で落馬し、夏に数日間彷徨い続けたこと。
いずれも、奇跡的に助かっている。
「今日死ぬかもしれないし、明日死ぬかもしれない。だから今が大切。今を楽しまなきゃ」
自然に対する愛も深い。
「この自然が守られること、平和が一番大切」
「水の大切さを、自分は本当によくわかっている。この世界には、無駄も多いよ」
自然の偉大さ、水の貴重さ、平和の大切さ。
こうして書くとチープだけど、「体験」してわかっている人の言葉は深く伝わってくる。
生き物として、自分よりはるかに「でっかいな」と思った。私が悩んできたことなんて、はるかにちっぽけだ。
そして、こうも言ってくれた。
「日本人は、相手を思いやり、他者を尊重する心が素晴らしい。私は日本人を尊敬しているよ」
そういって、やわらかく笑った。
私もそれなりに人生経験を積み、いろんなことを感じてきたとおもう。
でも、わかった気になっていることが、私は、私達は、あまりに多い。
結局、自分のことさえ、よくわかっていない。
自分達が素晴らしいということさえ、感じられずに、閉塞感を感じている人も多い。
もっともっとと、何かを求めている。
どうしてなんだろう。
私は自分の祖国を思い浮かべた。
幸せとは、なんだろうか。
そう問われた感じだった。
得たものは?
今もモンゴルの大地を思い浮かべることがよくある。
あの日、あの時、あの大地にいた自分を思い出し、深呼吸をする。
圧倒的に小さい自分。
自分の小ささを思い出す。
その瞬間、あわただしくても、ふっと肩の力が抜けるのだ。
私はモンゴルに、何も求めずに行った。
何かを得ようなんて思ってなかった。
見たことのない景色がみたい。
ただそれを感じに行った。
ただそこで、生きてただけ。
景色を楽しみ、感動し、ひと口ずつ食事を味わい、語り合い、歌い、笑いあい、泣き、眠った。
すべての感情が、美しいと思った。
日本のことを考えるのもやめていた。
自分の役割や責任なんてものを考えない。
ただ生き物としてそこに存在し、思考をとめて、
心だけをつかう。
そうしようと決めて、モンゴルに行った。
それはとても豊かなことだった。
その結果、私が得たものは大きすぎて、まだ言葉にしきれない。ここには書ききれないこともまだまだある。
でも明確に「生きる」ということについてヒントをもらった。
手放していいと思えるものは、たくさんある。
私にとって本当に大切なものは、
そこまで多くない。
私はモンゴルで、何かを得ようとしなかった。
むしろ、手放すことで軽くなった。
自然や人の大きな器に、
心と身を委ねるだけで、満たされた。
自分の心の声だけを大切にする。
それこそが私にとって、紛れもない
「生きてる実感」だった。