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「悪いな」と思うことは国や地域によって違うし、人によって違う。 分かっていても目の当たりにするとやっぱりそれなりにショックを受けるものだ。許容範囲なら慣れるしかない。

Lane CoveのLunar new year のイベント。

オープニングで市長のお言葉があり、そのあとすぐに大書(2m x 4m)のデモンストレーションに。

大書の文言は「新年快楽 おめでとうございます」
チャイニーズに日本語も添えて。

そのあとはワークショップ。
準備されていた230枚の紙は2時間ちょっとで売り切れ終了。
ボランティアの中国人のおばさんと二人でやってたんだけど目の回るような忙しさだった(無料だからどんどんくる)。

もう一人インド人だろうボランティアのおじさんは集合時間に2時間遅れて到着。遅刻に対する謝罪の言葉は一切なし。

悪いと思っていないのだから言うはずがない。日本人からすると仕事に2時間遅れるなんてなかなかのしでかしだが、国によってはそうではない。この辺はもう諦めと慣れである。次に絶対に使わなければいいだけのことだ。

そしてハーイと差し出したオレの手を、墨で汚いからと握手を拒否。まあ差し出したオレも悪いんだろうけど、てんてこ舞いのさなかで頭が回らなかったし、子供たちの世話をしてればどうせ汚れるんだがな。どういうつもりでインクを使って汚れるの前提のワークショップのボランティアをすることにしたんだろう。価値観の違いは奥が深い。

一人一回一枚というのを、ずるしてくるのは大体あの国の人。
「あれ、さっき書いたよね」その子に聞くと横からママが
「いやあれは彼女(妹を指さしてる)が書いたのよ」という。
いやいやいやいや、絶対にそんなことはない。
「この子には書かせられないの?」とか押してくる。
日本人なら根性が腐っているのかと思ってしまう。日本人ならね。

こんなところで喧嘩になってもしょうがないからどうぞとやらせる。
さっきと違う字を選んで書いたその子は、さっきと同じサインをする(前に書いたやつを妹が広げたまま持ってるんで、サインが見える)。
「ほら、さっきと同じサインだよ」と俺は言う。

ママはどうしたか。

サインのための赤ペンを子供から取り上げ、「この子は妹の名前を書いてあげたのよ」と言って、別の名前を書きこんだのだ。そこまでするか?
こういうことを子供の前で通用させようとする親って一体…。
日本人なら根性が腐っているのかと思ってしまう。日本人なら、ね。
価値観の違いは奥が深いのだ。

「悪いな」と思うことは国や地域によって違うし、人によって違う。
違うと頭で分かっていても目の当たりにするとやっぱりそれなりにショックを受けるものだ。許容範囲なら慣れるしかない。

外国人が日本に来てあれこれ文句を言うのも自分たちの基準と違うからだろう。それを「外国の人はこんなに文句を言っている」と書き立てる輩がいるから真面目な日本人はそれを世界基準と思っていいものまで変えてしまおうとしてしまう。

逆に全く世界基準に沿っていなくて本来変えなくちゃならないものを、外国様の都合が悪いからと言って、同じ輩がいいようにまつり上げて変えさせないように仕向けていることもあるよ。笑えないけどさ。

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