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その後も運転手はバスの車内中に響く声で歌い続け、俺以外の乗客はそれを心から楽しんだ、と思う。

アパートをでようとしたときにはバスの時間まであと5分。早く行っちゃう可能性もあるから、とにかく急がなければならなかった。

靴紐が片方ほどけたまま上り坂を猛ダッシュ。赤信号にもひっかからず無事交差点を渡り終えてバス停には予定1分前に到着。

今渡ったばかりの交差点にバスの姿は見えなかったので(とい面の交差点を右折してバス停に入ってくる)、ゼぇゼぇ肩で息をしながら「セーフ!」と内心喜んだ。

信号が変わるのを気にしながら靴紐を結び、立ち上がって太陽(天照大神様ね)に手を合わせて1日のみんなの安全を祈る。そしてバッグから小銭入れを出して準備。料金は$2.10。電車よりも安い。

と、いつもより軽い小銭入れに入っていたのは$2コイン一1個と5Cコイン1個。あと5C足りない。慌ててカバンも含めたポッケというポッケを探したがコインは出てこない。

「まじっすか、神様~」。日頃だらしなく小銭をあちこちに放置していない、このきっちりと整理整頓を好む、清く正しい自分を恨む。

仕方がないから札入れから$5.00紙幣(と言ってもオーストラリアのはプラスティック幣)を取り出してポケットに仕舞い、最近読み始めたばかりの奥田英朗の『最悪』のページをめくる。視線をときどき交差点の信号に向けて、バスが来ないかも確認する。

その時すでに到着時間を微妙に回っていた。が、バスが来る気配はない。本『最悪』を読む。信号が変わる。車が流れる。バスは来ない。本『最悪』を読む。信号が変わる。車が流れる。バスは来ない。

そうやって地球の自転に身を任せる形で無為な時間を流れるままにしていたが、さすがに7分過ぎればもうバスはやってこない。俺が来るより早く行ってしまったんだろう。ここではよくあることだ。『最悪』なんか読むからだ。俺のバカ。

仕方がないからちょっとでも先に歩くことにした。『最悪』をカバンに仕舞う。その黒のカバンには黄色で大きく「X」とデザインされている。普段は「X-men」の「X」だと思っているが、こうなると「ダメダメ」の「X」に見える。

歩きながら、先ほど手を合わせたばかりの天照大御神様に毒づく。「いやいや、まだ発車時刻前だったじゃないですか。あんなに走ったのに。ついおとといも電車が早く行っちゃって。俺なんか今そういう流れっすか?悪いことしましたっけ?」

ふと振り向くと、さっきの交差点の信号が変わり、右折してくる車の流れに565のバスがいるのが見えた。「えーー、まじ???」

随分歩いたのでさっきのバス停にはもう戻れない。次のバス停でキャッチするには走るしかない。走る。さっきの猛ダッシュより速く走る。

次のバス停は前方の信号のちょい先。このままだとバスに抜かれる可能性もあるけれど、信号に引っかかってくれさえすれば俺の方が早くバス停に到着する可能性がある(歩行者対象の信号はない)。

だから走る。とにかく走る。
おそらく俺の足の回転は人間の視力では捉えきれなかったはずだが、それを証明するすべを持たないのが残念だ。

寸でのところでバスに抜かれる。
頼みの信号も美しい青が光り輝いている。赤に譲る様子はない。
「まじっすか、神様…」
世の中は無情だ。甘くなんかない。

諦めようとしたそのとき、なんとバスがウインカーを出して、スピードを緩め、先のバス停に停車したではないか。前方のドアが開く。下車する人がいたのだ。「まじっすか、神様…」

俺はその間に漸く追いついてバスに掛け乗り、ポッケからさっきの$5.00プラスティック幣を出して運転手に渡す。陽気で上機嫌な運転手は、よくわからん民族歌謡みたいなのを体を揺らしてハミングしている。まあ、これがオーストラリア流だ、と思う。そのはずだ。

俺がそんな状況をすんなり受け入れる度量の大きさを持ちながら、「お釣りが面倒でごめんね」と心の中で謝る優しさも備えて待っていると、運転手はチケット代わりのレシートとともに「Thank you!」と言いながら$3.00くれた。「まじっすか、神様!!」。

お釣り分の小銭は運転席脇のケースに十分あった。にも拘らず、なんの躊躇もなくだ。 この運転手、$2.90ってのが計算できなかったのか、単に面倒くさかったのか、気分が良すぎてチップをくれちゃったってことなのか。

その後も運転手はバスの車内中に響く声で「ララララ~♫」と終点のチャツウッドまで歌い続け、俺以外の乗客はそれを心から楽しんだ、と思う。

空には青く晴れ渡り雲一つない。太陽は燦々とその光を輝かせていた。

神様に微妙に弄ばれた感のある朝だった。

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