私の病歴と服薬歴について(Part5)

長すぎてうんざりしてきますね(;´・ω・)でもまだまだ続きます(汗)
影響を受けやすい方は見ないことをオススメします😢結構重い内容です。

ようやく休職に入り、実家で休養しながら父の治療を受けつつ、無事FD専門心療内科にて治療をスタートさせた私でしたが、この後とんでもない悲劇が待っていました。

まさかの緊急入院することに

2018年11月16日:ミルタザピンを1錠に増やしてもらったことにより食欲が増しました!そこで何故か調子に乗った私は、夜、分厚めの豚肉サイコロステーキみたいなものをフライパンで焼いて食べてしまったのです。

これが悲劇の始まりでした・・・


その豚肉サイコロステーキを3,4個食べた直後・・・あ、なんかやばい。胃酸が大量に分泌されている感覚になり、どんどん気持ち悪くなりトイレにこもりました。嘔吐まではいかなかったのですがとにかく吐き気に苦しみ3時間くらい便器に突っ伏していました。結局寝る直前までとんでもない吐き気に悩まされ(永遠に終わらない二日酔い状態)、夜も何度も中途覚醒してしまい、ぐっすり眠れなくなりました。

2018年11月18日:翌日には治るかと思いきや、症状はどんどん悪化していきました。何か食べようと思ってもすりリンゴやゼリーを口にした瞬間、胃酸が逆流する感覚に襲われ、頑張って食べたら動けなくなります。胃酸が出なさそうな食べ物を必死に探しました。おかゆは重たいのですが、あまり胃酸が出なかったため、ひたすらおかゆを食べ続けました。

夜も全く眠れなくなってしまったため、日曜日ではありましたが緊急で医師に電話しました。総合病院なので日曜は閉まっていますが、医師や看護師さんたちがすぐに駆けつけてくれました。(この神対応には今でも感謝してもしきれません)

そして血液検査をしたところやはり栄養失調になっていて、ケトン体が出ている(絶食状態の時などに産生されるもの)と言われました。今の状態はとても危険なので緊急入院するように言われました・・・。

今低体重の方や食事をほとんどとれていない方は、医師にどの程度体重減少したか報告し、栄養状態を調べてもらいましょう。私は医師に「体重減少・栄養失調によるリスク」を何度も説明されました。冬になればインフルエンザやノロウイルス等が流行ります。万が一インフルにかかった時、健康な方は数日間寝ていれば治りますが、低体重で栄養失調になっている患者さんは症状が悪化し、危険な状態になるリスクがあるため、入院治療をしてしっかりと栄養をつける必要があるのです。

2018年11月20日:日曜日から緊急入院をすることになり、再度全身検査を行いました。ありとあらゆる他の身体の部位を検査し、本当に精神の病気なのか、心療内科での治療で良いかどうかを確かめるためです。全身検査は血液検査、心電図やレントゲン、バリウムなどなど・・・1週間くらいかけて行いました。

この時点で夜全く眠れなくなってしまったため、追加で

●ミルタザピン15mgを2錠に
●夜は睡眠導入剤のゾルピデム10mgを1錠
を処方されました。

(ミルタザピンを2錠にしてもらったのは自分から頼んだからです)
ところがそれだけ薬を増量されても全く体調は改善しませんでした。むしろ身体は鉛のように重くなり、ボーっとしてますます具合が悪くなっていったのです。


バリウムで判明した衝撃の事実


2018年11月後半:医師たちから「レミさんの胃腸の動きを検査します」と言われました。

胃腸の動き、特に食べ物を飲み込んでから胃に流れ、十二指腸に流れていく様子はバリウム検査といったドリンクテストをしなければ分かりません。胃カメラだけでは分からないのです。

私は2018年に2度も胃カメラをしており、その検査結果を見せたところ胃腸はとても綺麗で問題ないとのことだったため、胃カメラはしなくてよいことになりました。

バリウム検査前日は怖くて怖くて眠れないし、当日は吐き気が酷くて動けないし、涙も止まりませんでした。今考えても異常な症状ですよね。思わず母に電話し仕事を休んでもらって傍にいてもらいました。健常者からしたら、何を甘えたことを!と思われるかもしれませんが、当時は心、というよりも「耐え難い身体症状」に悩まされていたのです。甘えでもなんでもなく、鬱・パニック状態が一番重症な時期でした。

※ちなみに余談ですがアメブロを見てくださってる方は分かると思いますが私はテロが横行していた時期に一人でヨーロッパやアジアをバックパッカーしまくるくらい危険なことを平気でしてしまうほどの人間です(笑)そのくらいたくましい精神力を持ってる私のような人間でも、精神病になってしまうんですよ・・・(;’∀’)

さて、バリウム検査の結果ですが3つの事実が判明しました。

①胃下垂になっていること

骨盤あたりまで胃が垂れ下がっていました!(あとで写真を見せてもらいました)ただ医師曰く

胃下垂そのものは問題ではない。胃下垂でもご飯を普通に食べられている人も沢山いる。胃下垂であることが病気なのではなく、問題なのは、胃腸が機能せずご飯を食べられないことだ。

とのことでした。胃下垂に悩まれている方もいらっしゃると思いますが、胃下垂そのものを「病気」とは言わないようです。ただ胃下垂になっていて、かつ胃腸がきちんと動いてくれなくて食べ物を食べられないのが病気なんですね。

さらに

②胃と十二指腸の動きがとても悪い

ことも判明しました!医師からはこう言われました。

レミさんの場合は知覚過敏が酷いだけかと思っていましたが、胃の動きが非常に悪いです。たったこれっぽちのバリウムの液ですらきちんと流れて行っていません。特に胃から十二指腸へ排出されるまでの動きがかなり悪いです。それは消化不良に悩まされて当然でしょう。

私の胃と十二指腸の動きがかなり悪いという事実が判明して良かったのですが、私はもう胃腸が一生このまま動かないんじゃないかと思って絶望して、検査後に母の膝で大泣き(笑)医師も大げさな私のリアクションに苦笑いしながら一生懸命慰めてくれました。

胃腸は緊張状態の時も動きが悪くなるものですよ。今回のようにバリウム検査といった緊張するような状態の時に胃腸が動かなくなるのも、ありうるんです。だからそんなに落ち込まないで大丈夫。

さらにもう一つ判明したのが

③とんでもない知覚過敏

医師に「今気持ち悪い、辛いと思う部分に手を当ててみて」とバリウム検査中に言われたのでバリウムが入ってるあたりを手で押さえました。その状態を写真で残してもらったのですが、後日見てみたら、手で押さえた部分は胃ではありませんでした!笑 私は胃下垂なので実際には胃はもっと下の方にあったのです。この事実から、私はかなりの知覚過敏になっていることが分かりました。

入院中に良くなるどころか体調悪化


2018年11月末:入院した部屋は大部屋で4人の方が入ってきました。夜はいびきをかいて寝る患者さんがいたため、不眠気味になりました。また、昼間は更年期の患者さんや、病気の症状のせいで熱くなってしまう患者さんがいたため、真冬にも関わらず冷房がついていました。私は栄養失調でガリガリだったのでジャンバーを着て乗り越えました。

入院といっても閉鎖病棟ではなく開放病棟だったため、精神疾患の患者さんが他にほとんどいなかったのは良かったのですが、流石に大部屋での生活はストレスが溜まりました。また、最初はフラフラで歩けず車いすを使っていたのでお風呂も数日間禁止でした。

さらに恐怖のシラミ事件が起こりました。この事件に関してはブログにも書いてますがどこかで紹介しますね(笑)わけあって私は髪を切って毎日ニット帽をかぶる羽目に( ゚Д゚)

さらに栄養をつけるため高カロリーの点滴を24時間つけることになりました。これが割と大変でした!血が逆流したり、点滴していた腕が腫れたり、トイレに行くにも常に点滴を持ち歩かなければいけないので(-_-;)さらにトイレでは毎回尿の量を検査していました。水分量も毎日つけていたり、食事量もチェックをつけられていました。連日の検査と、四六時中記録されていることにだんだん精神的にもキツくなってきました( ;∀;)


ちなみに体重は点滴の効果もあって43~44kgをウロウロするように。一見見た目は細見でスタイルがよく見えましたが、入院食もほとんど食べれない状況だったため、かなり辛かったです。


鏡が汚くてすみません(-_-;)これが43~44kgあたりの時の体型です。一見そこまで病弱そうには見えませんが、これでも十分ボロボロでしたw

パニック発作が止まらなくなる

2018年12月上旬:毎日いびきをかいて寝る患者さんがいたため、不眠が加速してボロボロになりました。夜は12時まで全く寝付けないし、途中何度も何度も目が覚めるし、朝は4時頃に目が覚めます。身体は鉛のように重く、吐き気で辛いので身動きがとれません。ただの生き地獄でした。朝食が出されるまでの4時間くらいは布団から動けないままボーっとしているだけ。

食事もまともにとれませんでした。病院食を出されても3割くらい食べてその後は布団にうずくまって吐き気や腹痛との闘いです。時には洗面所にひたすら突っ伏しているかトイレにこもっているか。洗面器を常に持ち歩いていつでも吐けるようにしていました。ここまで来ると自分は抗がん剤治療でもやってるんじゃないかと錯覚してきたのです。

精神疾患って「心の問題」だと思われがちですが、私の場合は全く違いました。

えげつない身体症状にひたすら悩まされるのです。

毎日インフルエンザと胃腸炎・二日酔いが襲ってきてるようなものでした。しかもいつ治るか分からない。毎日が拷問だったのです( ゚Д゚)

そのうち食べている途中で頭がキーーーーーーーンと割れるような感覚に陥りました。このキーンと割れる感覚は入院してから始まったのです。その割れる感覚になった途端、ご飯を食べようとしても身体が硬直するようになりました。寝る時も目がガッツリ冴えてしますのです。


今となって思うのは、脳がどんどん破壊されていく感覚だったということです。パニック障害やうつ病は「脳の病気」です。脳が誤作動を起こしたり機能しなくなったりするため、日常生活もままならなくなります。私の場合は悪化したきっかけは脳の「キーーーーーーン」という割れるような音。怖いですよね・・・

そしてその脳が割れるような感覚になってからは、突然呼吸困難になったり、吐きそうになったり、身体がけいれんし始めたり、めまいやふらつきが襲ってきたり、とにかく居ても立っても居られない、身体不調に襲われました。

これが私を今後苦しめていく「パニック発作」の始まりでした。ここからは30分おきにパニック発作が出るようになったのです。発作が起こると全く身動きがとれなくなるため、布団に潜り込んでいました。寝る前は特にけいれんを起こすので、怖くてナースステーションに行って看護師さんたちに慰めてもらいました|д゚)

パニック発作への治療スタート

2012年12月半ば:ここで医師からパニック発作に対して

●アルプラゾラム(ソラナックス)0.4mg(ベンゾジアゼピン系精神安定剤)を朝晩処方されました。

それ以外の薬は
胃薬
●アコファイド3錠
●タフマック3錠
●追加でモサプリド3錠(消化管運動改善薬)
●六君子湯→半夏厚朴湯に変更して3包(神経性胃炎や喉のつまりに効果あり)

精神薬
●ミルタザピン15mgを2錠 (抗うつ剤)
●ゾルピデム10mgを寝る前に1錠(睡眠導入剤)

でした!どんどん薬漬けになっていきます(;’∀’)仕方ないですね。ご飯も食べれないし眠れないんだから。モサプリドはある程度胃腸の消化運動を助けてくれる作用があった気がします。また、半夏厚朴湯は胸のつかえや痛みにある程度効果が出ました。

こうして突発的に襲ってくるパニック発作への治療が12月半ばからスタートしました。パニック発作は予期せず起こります。私の場合はネガティブなものを観たり聞いたりした時、すぐに発作を起こしていました。また、些細な漫画のシーンとかでも発作を起こすし、過去に仕事をしていた時のことをフラッシュバックのように思い出しては、泣いたり騒いだりしていました。いよいよヤベェ人間へと変貌していったのです・・・。

ちなみに食事はソラナックスを飲むことで少しずつ食べられるようになってきました。それでもパニック発作はなかなか止まりません。ソラナックスでは効き目が弱かったのです。医師からは自己コントロールするように指導を受けましたが、コントロール不可能なレベルで発作が頻発していたので、どうしようもありませんでした。

2018年12月20日あたり:私はあまりにも大部屋がストレスだったため二人部屋に移動させてもらいました。差額ベッド代が発生しますが精神疾患で入院される方は、お金に余裕があれば個室に入ることを強くオススメします。大部屋でのストレスは予想以上に強いです。自分がいくら我慢しようと思っても、自力でコントロールできることには限界がありますからね・・・。

二人部屋にうつった私ですが、そこの部屋のおばあちゃんもいびきが地響きレベルだったためさらなる不眠に陥りました((+_+))そしてどんどん体調が悪化していったのです。


希死念慮が湧いてくる

2018年12月後半:入院しているうちにどんどん発作が酷くなり、身動きも取れなくなってきた頃、ふと

「こんな発作が一生続くんじゃないか?発作と闘いながら生きていけるんだろうか?仕事できるんだろうか?結婚して子供つくることはできるんだろうか?」と漠然とした不安に悩まされました。

そして解決方法を色々考えた結果

「自死すれば全てが解決される!」

という異常な思考回路に陥ったのです。もう完全に憑りつかれたように、狂ったようにそう考え始めました。これは明らかに鬱状態が究極に酷かった時のことでした。もちろんそれがヤバイことだという認識はありました。なので看護師さんや主治医、親にも相談しました。

生きる希望を失いました。希死念慮が出てきているんです。どうしたらよいでしょう。

すると主治医がポロっと一言

ううん・・・そこまでくると精神科の領域になってしまうな・・・。

へ?それは待ってくれ。という感じでした。閉鎖病棟に送り込まれた人の話を患者さんから聞きました。何もない真っ白な部屋に監視カメラをつけられて24時間監視され、一人では何もさせてもらえない。全身を縛り付けられて・・・

そんな恐ろしい話を聞いていたので絶対に閉鎖病棟にだけは行きたくない(*_*;と憤慨し、猪突猛進な感じで無理やり「退院させてくれ!」と懇願し、勝手に実家に帰りました。


無理やり自宅に戻り療養開始

2018年12月末:ところが実家に戻っても希死念慮は消えてくれませんでした。マンションの高い階から下を見下ろして、ここから飛び降りようかなとか、紐を見つけてはこれを使おうかな・・・とか。そんなことばかり考えていたのですが、どうしても家族や友人、恋人の顔を思い浮かべるとそんなことができる勇気が湧きませんでした。私がいなくなったらみんな泣いて一生後悔するのかな・・・など沢山悩みました。

実は遺書まで書いていたのです。遺書を書きながらだんだん馬鹿らしくなってきて、捨ててしまいましたが、それほど追い詰められていました。

希死念慮が湧くと一体どこでどうやって命を絶つか?を考えますが、そもそも外に出られる体力も気力もないため、悶々と頭で考えます。でも一番先に頭に浮かぶのは「迷惑をかけたくない」でした。結局命を絶つことは色々な人に壮大な迷惑をかけます。それがとても嫌だったし、何よりお墓の前で私の大好きな人達が泣き崩れている様子を思い浮かべたら、やはり生きなきゃいけないのかな・・・と思ってはいました。


そうとはいえ発作は毎日襲ってくるし、ご飯はまともに食べられないし、夜は眠れないし・・・辛い毎日でしたが、ここから少しずつ光が見え始めました。(つづく)


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