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大武優斗の右腕が語る、大武優斗の凄さとは?(運営 小泉真俊インタビュー)

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兄の背を追いかけてソフトボール、野球の道へ

――野球を始めたきっかけについて教えてください
 兄がソフトボールやっていて、兄についていくうちに流れでやったという感じでした。初めの頃はサッカーとソフトボールどちらもやってましたが、そのうちソフト一本に絞りました。

――ソフトボールから野球に転向したのはいつ頃ですか?
 小学6年生までソフトを続けて、中学上がる時に兄が硬式野球をやっていたということで、兄の背中を追って硬式のクラブチーム入りました。

――中央学院に進学を決めた理由を教えてください
 元々は高校野球やる気はなくて受験を考えてたんですけど、中学の監督から野球やれと言われ、紹介された中央学院に進学しました。元々繋がりがあったことと甲子園出場経験があるということもあり、迷わずに入学を決めました。

野球に集中できる環境で濃密な練習を

――高校時代に掲げていた目標について教えてください
 高校時代の目標は千葉県で優勝すること、そして甲子園出場でした。そのために毎日練習に取り組んでいました。

――千葉県優勝を目標としていた当時の練習に対する思いなどを教えてください
 スポーツクラスということもあり12時まで授業を受けて、13時からは6時間ほど練習でした。1つのメニューが30~40分で終わって間延びすることなく、効率的に取り組んでいたと思います。練習の最後には実践練習があって、そこで毎日投げてるれるコーチがいました。毎日200球以上投げてくれて、今思うと鉄腕だなという印象でした。

――中央学院はトレーニングに力を入れていたとのことですが、当時の練習について教えてください
 ピッチャー陣は硬式球を投げるだけではなく大谷翔平選手がやっているような他のボールを使ったトレーニングや体の使い方を身につけることをしたりと、現代的な練習をしてました。
 一方野手陣は沢山走って沢山打つという昭和チックな練習でしたね。なので野手陣はピッチャー陣に嫉妬してました。

――チームメイトとの印象的なエピソードはありますか?
 毎日のようになにか問題が起きて怒られてました。練習でヘトヘトになって終わったらみんなすぐに帰るという感じでした。

甲子園中止の中でも感じた先輩の凄さ

――夏の甲子園中止の第一報を知った時はどういった感情でしたか?
 
春のセンバツがなくて、流石に夏はあるだろうと思っていました。ですが甲子園中止と聞いて、「あ、甲子園って無くなるんだ」と驚きを感じました。そんな中でモチベーション保っていた先輩方はすごかったと思います。

――自分の代ので印象に残ったことはありますか?
 春の大会は自分が最後の打者になってしまいました。あの時は代打で出場し点差もかなり離されていた状況でした。カウントはフルカウントで、見逃せば出塁して望みを繋げた場面でしたが、欲を出して打ちにいって凡退してしまいました。打ったのが高めの真っ直ぐで、自信を持って見逃していけなかったというのは、当時はかなり悔いが残りました。

――最後の夏の大会では千葉県ベスト4という成績でしたが、振り返っていかがですか?
 自分たちのチームは不変性を大事にしてきて、アップのやり方も練習と試合で一切変えず、常に変わらない力を出すことを意識してきました。しかし準決勝の木更津総合戦はいつもと違うことをしてしまいました。いつもは学校でバッティング練習をして試合会場へ向かうという流れでしたが、その日は試合会場のZOZOマリンスタジアムの近くの学校を借りてバッティング練習をして会場に行くという流れでした。
 過去に先輩から「いつもと違うことをしたら負ける」と言われていて、「何かいつもと違うな」と感じていて、案の定負けてしまいました。シートノック後の円陣もいつもと違っていて、怖さを感じていたところ、気付いたら負けていました。

大学進学時の"賭け"と、後押ししてくれた親の存在

――武蔵野大学アントレプレナーシップ学部に進学を決めたきっかけはなんですか?
 引退してから将来について考えてみた結果、お金持ちになりたいと漠然と思うようになり、そのためには社長になるしかなくて、大学では経営学部に行こうかと考えてました。指定校推薦の枠の中を探していたら武蔵野大学のアントレプレナーシップ学部を見つけました。調べてみると、当時はまだ1期生しかいなかったので実態はよくわからなかったが面白そうと感じ、賭けに出た感じでした。
 親が背中を押してくれたというのも、大きな要因でした。自分の親は基本的に「ダメ」と言うことはなく、「頑張りなさい」と応援してくれました。そういったこともあり入学を決めました。

――このプロジェクトを知った時どう感じましたか?
 「ほんとにやるのかな?」という感じでした。最初に知ったのは、Slackで大武さんが武蔵野の学生に向けて宣言した時でした。大武さんが起業など色々している人というのは知っていたので、またなんか言ってるよと思った矢先、このプロジェクトがNHKに取り上げられてました。この時に、本気なんだと思ったと同時に、実現するのが大変そうだなと感じました。
 そんな時、大武さんからお誘いの連絡が来て関われるチャンスだと思い、迷わず「やります」と即答しました。人生の中でも最も大きな決断だったと思います。

―ー現在、運営ではどのような仕事をしていますか?
 プロジェクト成功のために全体の総括やチーム決め、費用負担の協力を仰ぐ資料作り、広報をしています。

――やりがいを感じる時はどんな時ですか?
 『あの夏を取り戻せプロジェクト』という大きなパズルがあるとして、一つ一つのタスクが終わるごとにパズルのピースが埋まっていく感じがして、成功に近づいていると感じがします。

――高校時代の野球部での経験が活かされているなと感じたことはありますか?
 やり続けることですかね。高校までの10年以上の野球人生で続けることの大切さを学びました。これがこの仕事にも活きていると思います。

頼れる兄貴と行動力のある代表の存在

――同学年の運営メンバーである宇佐美さんはどのような人間ですか?
 一言で表すと、「兄貴」っていう感じです。日常生活では兄貴感全くないですが、仕事の時や何かを相談した時は、「宇佐美和貴という人間は頼れる人間だな」と感じます。「何かを相談するなら彼だな」と思います。

――代表の大武優斗とはどのような人間ですか?
 自分の夢を大きな声で公言できるのは凄いと思います。正直なところ、「俺は甲子園で大会を開く!」と宣言することは、自分はためらってしまいますし、それを実際に行動に移すところは本当に凄いです。
 彼にも事務的作業など苦手なことがあるので、そういったところは自分たちが全力でサポートしていけたらと思います。

――小泉さんにとって甲子園とはなんですか?
 「なくてはならない場所、憧れの場所」だと思います。自分が小学校でソフトボールをやっていた頃、年に数回もらっていた冊子にソフトボール経験者で甲子園に出場した選手たちが書かれていました。自分もその冊子に載りたいと思って、練習に励んでました。

選手が笑顔で終えられるプロジェクトに

――運営メンバーとしての今後の目標について教えてください
 当時の選手が笑顔で11月29日の甲子園セレモニー、30日、12月1日の交流戦を終えることです。

――プロジェクトに参加する約1000名の選手へメッセージをお願いします
 
プロジェクト成功は自分たちだけではできません。皆さんの協力が必要です。みんなであの夏を取り戻しましょう。

――最後に応援してくださっている方々へメッセージをお願いします
 大武さんを中心に2020年当時の選手たち約1000人が成功のために一丸となって動いてます。ご協力お願いします。


プロジェクト公式サイト:https://www.re2020.jp/
公式Twitter:https://twitter.com/remember__2020
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