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広島とプロレスと私



はじめに

私はプロレスを好きになった時期から、死ぬまでに必ずやりたいと決めていたことがあった。

それは、【自分が生まれた土地でプロレスを観戦する】ということである。



私が生まれたのは広島県だ。


広島に生まれたと言っても、両親やその祖父母が広島県人だった訳ではない。
母方の祖父が2年に1度転勤する職場環境だった事もあり、最後に流れ着いた広島県で、母親が"里帰り出産"のような形で私を産んだ。
廿日市市にある小さな産院で産まれたのだが、先日この記事を書くタイミングで調べてみたところ、その産院は既に無くなってしまったようである。時の流れとは実に儚いものだ。


出生直後、両親が生活拠点を置いていた千葉県に戻り、何度か引っ越しながらも数年前まで千葉で生活してきたので、生まれだけは広島県になった。それ故、私は広島弁を喋れる事は出来ない。
それでも、幼少期は「自分の生まれた土地と、育った土地のチームを応援しよう」という何となくな理由で、応援先に広島東洋カープと千葉ロッテマリーンズを選んだくらいだから、広島の地に対して思い入れのような何かがあったのかもしれない。


とはいえ、広島という土地に行くには、幼少期から気の重さを感じていたのも事実である。
私が生まれた時から現在に至るまでの間、母方の祖母と父の折り合いが悪く、子供ながらに険悪な雰囲気を感じ取っていたからだ。

そういう空気に触れ続けると、円満な関係の家族というものが何なのか、今でも私には分からなくなってしまう。




2023年夏、私の「広島でプロレスを見たい」という願いは、思わぬ形で叶うことになる。

不吉な話と気怠さを連れて…。


不意の広島訪問と因縁

「祖母の転院の手続きで、どうしても広島まで来てもらえないだろうか?」

2023年7月中頃、家族とのグループLINEで、このような話が出た。

広島に1人で暮らしている祖母は、既に80歳を超えていた。
近頃は訪問介護も受けていた事は家族のLINEで度々耳にはしていたが、認知症を患い介護施設へ入居を予定していたものの、入居当日になって本人が「家に帰りたい」と猛烈に拒絶した事で、この決定は宙に浮いてしまったのだという。

介護施設の入居が急遽無くなった事で、別の病院への転院を迫られることになったが、祖母と血縁関係のある人間の同意無しに転院することは出来ないらしい。

そこで、祖母と血縁関係にある孫の私に、今回白羽の矢が立ったという訳だ。
祖母の娘婿にあたる父親では、このサインが出来ないのだという。

ただ、同意書にサインをするためだけに、ま東京都内から広島へ向かうことになる事に対して、孫の私は酷く不快感を覚えていた。母方の祖母には、正直なところ良い印象を抱いていなかったからだ。

当初から両親の結婚に反対し続けたという祖母のいる広島に、家族共々里帰りする時には常に張りつめた緊張感が漂っていた。
父と祖母が電話で話そうものなら、一方的に祖母が父への不満を捲し立てて、父が黙って聞き続けるという光景を目にしたのも、1度や2度ではなかった。

そうした様子を幼少期から見ていた私は、仲の良い他所の家族の存在を非常に羨ましく思ったものである。


十数年前にあった母の葬儀以降、祖母も私たちを【娘婿の家族】という、どこかよそよそしい雰囲気で接するようになっていた。
葬儀の時に、泣きじゃくる家族を宥めながらも父の悪口を漏らす祖母から、私が話を反らそうとした所で祖母に一喝された事も、私の祖母に対する不信を極める要因となった。


「父さんが婆ちゃんと会うと、婆ちゃんが反発するだろうから、お前と後見人さんで書類にサインしてくれないか。父さんが裏でサポートはするから。」

今回、広島まで同伴するという父親は、私にLINEでこのような事を伝えてきた。
確かに、父が祖母と会ってしまえば、祖母が態度を硬化させて決まるものも決まらなくなってしまう事は、予想がついたし理解も出来た。しかし、孫の私が、父と祖母の一生埋まらぬであろう不仲に巻き込まれ、最前線に立たされる事に関してだけは不満があった。
何故、子が親の盾にならなければいけないのだ、と。

往復切符や宿泊費、移動距離等を勘案して、今回は新幹線を使った移動に決めたのだが、それでも平日はセットで3万円以上はかかる。幸い、職場に事情も通ったことで2日間の有給休暇を取得することには成功したが…。

この決して安くはない"想定外"な旅を少しでも良いものにしたいと思った私は、1日目の夜に広島で行きたいバーに行き、2日目は広島観光に出向く事にした。これは、広島まで来た意味を1つでも増やそうという、幸せ探しのようなものである。

そんな矢先だった。
広島行きの直前、プロレスのスケジュールを眺めていると、偶然にも1日目の夜にプロレスの興行があることを知ったのである。

新日本プロレス


これは何という奇跡だろうか?

東京都内では殆ど毎日のように組まれているプロレス興行も、地方開催(しかも平日)となると狙わないと行けない。
それなのに、前述のように狙っていない日に偶然興行が入っていた。
これは、神の天啓に違いないと思った私は、無我夢中で興行のチケットを押さえたのである。

地獄同然だった今回の広島行きが、オセロが引っくり返るようにして天国へと変わった瞬間でもあった。


祖母との再会と私の決意

迎えた広島行き当日。

行きの新幹線は東京駅から片道約4時間に及ぶ長距離移動で、この間に暇潰しとしてプロレスの試合などを見ようとも考えたが、試合のスゴいシーンには声が出てしまうタイプ故に、新幹線車内で試合を見るのは早々に断念した。
到着後に祖母や父との面会や書類手続きも控えていた為に、おちおち飲酒も出来やしない。結局、WALKMANで音楽を聴きながら、時折眠りについて移動時間をやり過ごす事にした。


昼前に広島へと到着すると、先に到着していた父と合流して、広島の病院に入院する祖母の元へと向かった。

この日の流れとしては、祖母の後見人を務める女性と合流後、同伴して祖母の新しい転院先へと向かい、転院に同意する書類へと私がサインするというものだった。

介護施設への入居を拒否した前歴がある為、祖母が今回の転院を拒絶する可能性も否めなかったが、後見人にその不安を吐露すると「恐らくその心配はない」との回答だったので、その言葉を信じる事にした。
"感動の再会"なんて要らない。私はただ、粛々と転院手続きにサインをすれば良いだけなのだから。


久々に見た祖母は、意外なほど変わっていなかった。
白髪混じりの髪は白一色になり、歩く姿に弱々しさは見られたものの、80歳を過ぎても2本の足で立つ事は(かろうじて)出来ていた。

転院先の病院で、後見人が祖母に過去の経歴をヒアリングする機会があり、私もそこに立ち会ったのだが、祖母の人生遍歴のようなものに少し触れることが出来たのは、今振り返ると良い事だったのかもしれない。 

転勤族だった祖父の影響で、2年おきに私の母や叔父が転校していた事。その事で子供に苦労を掛けたという事。山登りが好きだったという事etc…。

とはいえ、ヒアリングの最中、後見人に「もう早く死にたい」、「長生きするもんじゃない」と洩らす祖母を見て、私はどうしようもないやるせなさに襲われた。

「そんな事を聞くために、私は3万円以上もかけて広島まで来たのか」という虚しさと、「俺は絶対そういう事を言わない人生を送ってやる」という決意にも似た何かが、この瞬間私の中で生まれたような気がした。
母や叔父が既に亡くなっている事も、もしかしたら関係していたのかもしれない。


祖母と私が言葉を交わす機会は少なかったけれど、転院後は感染防止対策もあって面会が基本的に出来ない事を考えれば、今回会った事で後悔は残らないとも感じた。
そういう点では、(言い方は悪いが)私の中で一つの区切りは付けられたのかも知れない。

「早く死にたい」なんて言わない人生を、これから私は送ってやる。
面会後、私は密かにこう決意した。

何故か広島で食べることになった、牛タン定食


夢だった、広島でのプロレス観戦

祖母の転院手続きが無事終了して、九州から来ていた父親と食事をして別れた私は、広島駅からJRと徒歩で30分近くかけて広島サンプラザへと向かった。


新日本プロレスの真夏のシングルリーグ戦・『G1 CLIMAX』。


前述のように、元々予定があった日に地方でプロレスが行われていた事も、不意に広島という地でプロレスが見れた事も、まさに奇跡のような出来事だった。


平日の地方開催にもかかわらず、会場には2,006人の観客が集まった事にも驚かされた。
都内でも、この規模の興行が平日に行われる機会なんてそうそう無いし、あったとしても単独開催でこれだけ集まる光景に、新日本プロレスの底力を感じずにはいられなかったのである。


近くにいた子供達の、選手の名前を叫んで決めポーズをしていた姿を見て、純粋なプロレスの楽しみ方とかに触れられた気がして、私は嬉しい気持ちになった。

子供達がやっていた、『UNITED EMPIRE』の決めポーズ


新日本プロレスの主力選手の一人である、内藤哲也の人気っぷりも凄まじかった。

結果として内藤が今年のシングルリーグ戦を制する事になったのだが、今振り返ってみると、大の広島東洋カープファンである内藤が、"第2のホーム"とも言うべき広島での公式戦に勝利して優勝戦線に踏みとどまった事実は、優勝を語る上で欠かせないターニングポイントだったような気がしている。

そんな瞬間を生で見れたことが、私は非常に嬉しかったのだ。


内藤に対する声援の量も今大会で一番突き抜けていたし、この盛り上がりを広島で体感できた事は、今夏の一つの思い出になった。


広島でプロレスを見終えて思ったことがある。

またいつか必ず、広島でプロレスを観に行きたい、と。


広島で経験した、新たな出会い

プロレス興行を見終えた後は、広島市中区舟入町にある『アカプルコ』に足を運んだ。

関西を中心に活動するプロレス団体・ダブプロレスの所属レスラーのレイパロマが営んでいる飲食店。

広島に行ったら、是非1度行ってみたかった店なのだ。

『アカプルコ』の店主にして現役プロレスラーのレイパロマ


前述したプロレスの興行が始まる辺りの頃、SNSのメッセージで面識のない方からメッセージが届いた。
なんでも大会後に、私が行こうとしている『アカプルコ』まで、その方が車で送ってくださるというのだ。

面識のない方からのお誘いに当初は警戒心を抱いてしまったものの、程なくして会場でご挨拶した事で、警戒はすぐに解けた。

広島サンプラザからは車で10分ほどの距離に、『アカプルコ』は存在していた。
プロレス観戦に続き、広島でもう一つの夢が叶った瞬間でもある。


手ごろなサイズと価格で食べやすいタコスと、手作りのカレーライス、酒、プロレスの話題で人と盛り上がる空間。
都内のプロレス系飲食店とはまた違った趣が、『アカプルコ』にはあった。

車で店まで送っていただいた方に、帰りもホテルまで送っていただき、私の長い広島1日目は終了した。
こうして土地の人々に優しく接していただける事は、旅をする時には毎回感じてしまう。
(ありがとうございました!)


翌2日目は、夕方に新幹線で帰京する予定だったため、時間がある日中を利用して宮島を観光した。

宮島に足を運んだのは、恐らく13~14年振りだったと思う。
親に連れて行ってもらった以前とは違い、フェリーに乗るのも、どこに行くのも、行き先を私が全て決めた事に「大人になったとは、こういう事なのだろうか」という感慨も覚えた。

真夏の酷暑で移動時は日陰を探すのに苦労したが、厳島神社にも行けたし、揚げた『もみじ饅頭』も食べることが出来た。


揚げもみじ


一番印象に残っているのは、『千畳閣』を訪れた時だ。
建物内に冷房器具は一つも無いのに、建物に吹き込んでくる風は冷房の如く心地よく、気付けば30分以上も座り込んでしまった。

あの涼しさには、今でも衝撃を受けている。

千畳閣から見た絶景


宮島観光を終えると、路面電車に乗ったり、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島の前まで行ったり、新幹線の乗車時刻が迫るギリギリまで辺りを散策した。
今回の広島観光で、私が行きたかったところには大体行くことが出来たように思う。


普段プロレス観戦等で遠方まで行くと、主目的の観戦ありきになってしまい、現地観光が出来ていなかったことに改めて気付かされた。
こういう土地にしかない場所や産物を訪れる行為は、旅をする上で大事な事なのかもしれない。


まとめ

最初は気乗りしない理由で行くことになった、2023年夏の広島。

それでも、帰る時にはまた行きたいと強く思う程、今夏の私にとって忘れられない思い出と場所になった気がする。


広島で諸々作った思い出も、3万円以上の出費以上の価値を私に与えてくれた。
広島に来れて、本当に良かった。

そんなことを感じた、2023年夏の広島旅行なのでした…。









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