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Vol.12「救われない休日と大型犬の尻尾」


Illustration&picture/text Shiratori Hiroki


 代々木公園で昼寝をしている大型犬のことを考えながら、僕はあることも同時にぼんやりと考えていた。実際には腹話術のような具合で声に出している自分と声を出していない自分の狭間の部分でもって考え事をしていた。みんなもそうゆう時ってあると思う。野菜売り場できゅうりの痛み具合を確認しながら、子供をあやしている母親だとか、今は父親も含まれるのかもしれないが。(でもそんな父親はまだ見たことはない)
そう、それで僕は大型犬を見ながら別のことについて考え事をしていたんだ。そして何というか幸いなことに、もしくはラッキーなことに犬の尻尾が不規則にパタパタと地面をはたく度に、それまで僕は何について考えていたんだろって、ハッとする感じで忘れちゃうんだ。犬の方も気まぐれで地面をはたくもんだから、3分とかそのくらいの時間はあったはずだったんだけどね。それでも実際は昔好きだった人の横顔を思い出せる程度のもので、ちっとも面白くなんかなかった。むしろ大体の場合において、犬の尻尾は30秒もじっとすることはできなかったんじゃないかな。だから、たいていの記憶は人生が楽しくないだとか、お金がないだとか、はたまた昨日も眠れなかったとか。
そうゆう考えごとを何度もセーブできずに繰り返していた感じに近かった。これは正直、けっこう参った。つまり散文的なことをぶつぶつと唱えながら、同時に頭の中では生活のことについても考えられるわけだからさ。僕は休日の午後になってもある意味では救われないタイプの人間ってことになる。


 それで二つのこと考え続けるゲームにも飽きてしまって、公園の出口を探し始めた。どうゆうわけかわからないけど休日はフリスビーをして遊ぶ大人って結構いることに気がついた。わざわざどこかのデパートで「これをください」って買いに行ってるのを想像しちゃうとさ、大人もちょっとは可愛く思えてきて、その後、遊び終わったフリスビーについては深くは言及しないけど、みんなは往々に想像できるよね。僕はそうゆうのが分かるようになるのにもっと多くの時間がかかるけどね。
往々にして僕は代々木公園を後にして近くを散歩することに決めた。休日の使い道なんてそれ以上もそれ以下もないのだから。


INFORMATION

白鳥寛大
2001年生まれの巳年

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