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Vol.11「振り返ると自分が水泳をしている」


 最近続けていることがある。大学卒業の目の前にして気がつけば、自分の生活リズムのようなものに違和感のようなものを感じながら、日々を過ごしていた。言い方を大きく捉えるとすれば、ある種の人生のゴール地点のようなものを見失っていたのかもしれない。中学生の頃は部活や授業という中で縛られることで生活の軸が私を形成して、それに違和感も感じなかった。高校に進学してもほとんどの場合、それは変わらない。しかし、大学生になって自分の時間を管理するようになって時間の捉え方が変化することで、一日のリズムが崩れ始めた。
 それは一日、一週間、一ヶ月のように日をまたぐ感覚が曖昧になり、気がつけば大学を卒業するまでの四年間を具体的に思い出すのが困難になってしまっていると言える。例えば山に登り行くとき、山頂という明確なゴールが設定されていると中継ポイントで残りの食料や備品の管理をメモし、山頂までの流れを具体的に把握できるのだが、どこがゴールかわからないとなるとそれは大きく狂いだし、精神状態も同じく、曖昧で不安定になる。そんなような具合で私は大学生活を過ごしてしまっていたのだ。


 つまり、私が言いたいのは時間の感覚を取り戻すために水泳を始めたのだ。趣味とはまた違う、私的な、またはささやかな時間を過ごしたと思い出せるために水泳を始めた。一週間を彩る生活の中に、ある種の中継ポイントとして、その日の水の中にいる時間を作ることで、その前後を明確に思い出せるようになるのでは?と考えたのだ。それは水泳をすることで文章に句読点を打つような作業として。
 これを読んでる方の中には「いやいや、それは日記を始めるべきでは?」「そんなものは暇人の遊びだ」と突き放されれば何も言えないが、皆さんの中にもそういった時間を管理する句読点のようなものは存在するように感じる。週に一度、決まった時間にお気に入りのマグカップにコーヒーを入れ、何も考えずにどこかセーブするような時間が。それともいつもの帰り道でなく、遠回りして公園の猫を見に行く金曜日の夕方など。そういったものだと思ってくれると幸いである。
 よって私は水泳を始めたのだ。時間を取り戻すために。もしくは振り返って思い出せるようになるためにも。


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