見出し画像

【製本記】 かえるの哲学 03 | 職人ことばは粋なれど

本をつくってばっかの日々。編集者として本を編みながら、時間を見つけては製本家として本をこしらえている。編集した本は世にでて光を浴びるが、製本した本は暗所に埋蔵するだけの習作も多く、せめてここに記録する。

目引きした穴を使って『かえるの哲学』を綴じていこう。麻糸を用意し、蜜蝋の上を数回すべらせて蝋引きする。製本用の先の丸い針に通し、するりと抜けないように針の根もとで留める。いざ、かがりはじめ。

この本は「フレンチ・ソーイング」という手法でかがることにした。これはわたしが最初に覚えた糸かがりで、ロンドンの製本教室で習ったものだ。フレンチと聞いて、教室の誰かが「フランス生まれの手法ってことですね?」と尋ねた。すると、熟練の製本職人である先生は「知らん」と答えた。


この正直な職人先生に「製本の指南書を買うなら、この一冊」と太鼓判を押されたのが『Manual of Bookbinding』という本だ。同書において、かの手法は確かに「French sewing」の名で紹介されている。糸を掬いながらかがることで折丁と折丁をつなぐもので、針と糸さえあればできる手軽さがいい。かがり台を用意して支持体のテープを加えれば、強度を補うこともできる。

しかし、このフレンチ・ソーイングという呼び名は、日本では通じない。それに気がついたのは『美篶堂とつくる美しい手製本』を編集していたときのことだ。美篶堂は長野県伊那市を拠点とする手製本の工房で、創業者である上島松男親方は製本歴60余年。戦後の日本の製本史を築きあげてきた人物だ。そんな美篶堂による指南書を編みながら、首を傾げた。このかがり方の正式和名が、調べれば調べるほど、わからなくなってしまったのだ。

戦時下に出版された『圖解 製本』には「帳簿テップ綴」とある。「ケトル・ステッチ」と呼ぶ人もいたが、英語では折丁の端で行うステッチを指すことばなので違和感がある。そのケトル・ステッチの和訳として「釜綴じ/絡め綴じ」ということばもあるようだ。はたまた「フレンチ・リンク」や「リンク・ステッチ」と呼ばれるケースもある。

製本を学ぶ人が初期の段階で覚える基本的な手法にもかかわらず、名称が揺らいでいるのだ。なんて、おもしろいんだろう。


これに限らず、製本をめぐる用語には一筋縄ではいかないものが多い。

背の天地の装飾「花布(はなぎれ)」は「花切」と表記されることもある。英語の「headband」から「ヘドバン」と呼ばれることもあり、また「頂帯(ちょうたい)」という訳語もある。別の訳語として「端布/端切(はしきれ)」があり、やがて「花布/花切」の字があてられたという説も。

また「フランス装」という国名を冠した様式は、日本ではそれなりに知られているものの、日本以外で「French binding」といっても通じない。かつてフランスに流通していた仮綴じ本にかかっていたカバーを日本の職人が模したのがフランス装で、海外では「様式」としては認識されていないためだ。

それから、製本に使う接着剤の呼び名も独特だ。膠などの天然糊に対して、化学糊全般を「ボンド」と呼ぶ。表紙や見返しには麩糊と化学糊と水を混ぜたものを使うのだが、これがなぜか日本の製本職人のあいだで「糊ボンド」で通っている。でも、待てよ。ボンドはそもそも商標だし。

いやはや、製本用語は校閲さん泣かせだ。


指南書づくりはあらゆる事柄をことばに置き換えてゆく作業でもあるから、こんなふうにことばが揺らいでいる状況は、編集者としては悩ましい。他方、製本家として手を動かす分には、ことばの揺らぎなどこれっぽっちも気にならない。目の前の本をつくることにはまったく影響ないのだから。

用語を口伝えてきた製本職人たちも、きっとそうだったのだろう。「いつものアレな」で通じるなら、それでOK。個々の経験と技だけがものをいう世界で、呼び名一つにごちゃごちゃこだわるのは野暮ってものだ。ましてや日本の製本界は、長らく受け継がれてきた和本の水脈に、洋本という大河がどっと流れ込んだ。転換期である明治時代の職人たちは、新しいことばをいやというほど浴びたはずだ。二つの川はときに互いの水を溶け合わせ、ときに相手を飲み込んで、渦を巻きながら時代の激流を走り抜けてきた。

さて、かがりが完了した。糸を掬いながらかがることで、背にジグザグとした綴じ目が現れる。これがまた愛らしい。『美篶堂とつくる美しい手製本』には、この綴じ目を見せる本のアイデアが載っている。ちなみに、同書ではこのかがり方を「糸かがり」と記すことになった。あまりに網羅的な表現だが、この本によって特定のことばが固定化されてしまうことを避けた。

綴じ目の上から、薄くボンドを塗る。これはまだ仮固めなので、背にうっすら膜ができる程度でいい。この塩梅をことばで伝えるのはむずかしい。

さきほど「指南書づくりはあらゆる事柄をことばに置き換えてゆく作業でもある」と書いたが、逆にいえば、ことばにできないことはあっさりとこぼれ落ちる。自分の仕事を否定するようなものだが、実際、手の技は言語化できない加減こそが肝であり、とてもじゃないが紙の上では伝えきれない。どんな指南書も、そのことを噛みしめながら、苦心のうえに編まれている。


●『美篶堂とつくる美しい手製本』美篶堂(河出書房新社)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?