【製本記】 かえるの哲学 04 | 古い糸と新しい糸
背を仮固めした『かえるの哲学』を化粧断ちする。「化粧断ち」とは本文を仕上げ寸法に断裁することで、天、地、前小口(本文の開く側)の三方を手動の断裁機で切る。この断裁機は10年ほど前に「えいやっ」と購入したものだ。わたしにとっては高い買いものだった。
こうして道具を増やすたび「死ぬまで製本をつづけるのだから」といいわけめいたことをつぶやく。死ぬまでつづけることに迷いがあるわけじゃないのに、なぜそうしてしまうのだろう。
製本家は、大小さまざまな道具を必要とする。ルリユールなら、なおのことだ。それに比べて編集者は圧倒的に身軽だ。ノートPCの入ったリュック一つ背負っていれば、新幹線でも喫茶店でも仕事ができる。
そんな編集者の軽快さを好ましく思う一方で、製本家としてはこの20年、専門店や蚤の市をコツコツ探し歩き、少しずつ道具集めをしている。結局、わたしは巣づくりをしたいのかもしれない。納得のいくものだけにみっちりと囲まれた、本づくりの空間がほしい。手の仕事が主役だった古きよき時代の工房に憧れているのだ。
わたしの仕事部屋は4畳半で、このまま道具を増やしていけば、そう遠くないうちに「みっちり」するだろう。でも、憧れているのはそこじゃない。
数年前、コペンハーゲンでマレーネさんという製本家の工房を訪ねた。繁華街からすぐのところにある半地下の工房は、窖(あなぐら)のようだった。年代もののシザイユ、飴色のエトー、手垢にまみれた木槌……使い込まれた道具がひしめくその場所は、日常とは切り離された聖域であり、時代に取り残された異空であり、わたしの憧れそのものだった。
そこには、途方もない時間が降り積んでいた。紙を断ち、花布(はなぎれ)を編み、革を剥(す)いた昔日の職人たちの思念がしんしんと降る雪のように辺りを覆い、壁に床に染み込んでいるのだ。そしていま、積年の残雪が蒸散して道具の一つ一つを艶めかせ、漂う空気に霊妙な重みを与えている。
亡き師からその工房を受け継いだマレーネさんは、その場所でたった一人で仕事をしている。棚と棚の隙間に、柔和な微笑みをたたえた師の写真が飾られていた。
マレーネさんは実に素晴らしいつくり手で、デンマークの権威あるコンクールで優勝したこともある。彼女のつくった本を見せてもらい、一冊一冊に感嘆した。そんな彼女ですら「本をつくって食べていくのは大変。ときどき窓掃除のアルバイトをしてるのよ」と語った。ショックだった。
貴田庄さんの記した『西洋の書物工房』には、17〜18世紀の製本業は「今の社会における地位よりはるかに高く、金銭的に恵まれた職業であった」とある。それは、絶対的な貴族社会や世襲制への固執の上に成り立っていたことであり、これらを肯定する気持ちにはなれない。それでも、産業の主軸だった手仕事が絶滅寸前の淵にまで追いやられたことを歯がゆく思う。
時代の趨勢といってしまえばそれまでだが、手仕事でしかつくれない本は確かにあり、それは400年経っても壊れない。これは紛れもない事実だ。
この時代、手の仕事一本で食べていくのはたやすいことじゃない。規模の経済が利益を生む構造の外側で生きていくことは、勇気や覚悟というきれいごとではごまかせない辛さを伴う。だからこそ、マレーネさんが背負うものは厳しく、そして眩しい。歴史に鍛えられた技術を受け継ぐことは、誉れある仕事だ。彼女がいなければ、どれほど多くが失われただろうか。マレーネさんは託された工房に身を浸し、その重圧を静かに受け止めている。
翻って、わたしの背中にあるのはぺしゃんこのリュックだけだ。明日わたしが製本をやめても誰も困らないし、何かが失われるわけでもない。わたしが道具を増やすたび「死ぬまで製本をつづけるのだから」とつぶやくわけは、この身軽さゆえの後ろめたさにあると思う。軽やかさは自由といいかえることもでき、しあわせなことだ。けれども、漂泊の寂寞と表裏一体でもある。
伝統ある場所でしか紡げない糸があるように、新しい場所でしか紡げない糸もある。そう考えてはいけないだろうか。古い糸が切れそうだというのなら、新しい糸を縒り合わせればいい。たとえ貧弱で頼りない糸だとしても、互いの色が少々違っていても。こうして同じ時代を生きているのだから。
さて、化粧断ちを終えたら丸みをだす。背にゆるやかなカーブを与えて「丸背」にするのだ。つづけてバッキングを行う。これは「耳だし」とも呼ばれる工程で、本文を手機械に挟み、ハンマーで背を叩いて押し広げる。すると、両端に小さな隆起ができる。この隆起が上製本には不可欠なのだ。
トントントン……マンションの上下階に響くのを気にしながら、ハンマーで背を叩く。この音は、400年前の製本職人が聞いていた音と大差ないはずだ。
●『西洋の書物工房』貴田庄(朝日新聞出版)
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