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子育て哲学「教育はすべきか?」

<子育ててつがく>
○正解や結論を出すものではなく、
 ひたすら考えや価値観を出し可能性を出す。末広がり
○どの考えも否定しない
○なるべくみんなが分かるような言葉を使う。
○色んな思考を楽しむ

ここでは、こんなルールでやっていきます。
コメント等もこのルールに沿ってお願いします^^

今回の問い、 

「教育はするべきなのか?しなくてもいいか?」
というクローズドクエスチョンで。


教育すべきか否か。

子どもは元気に育てばいいと
一緒に楽しむ生活以外は何もしない人もいると思います。

はたまた、一から十までスケジュールを決め
難関学校へ入学、という人もいると思います。

両意見とも、
驚くほど
どちらも居ます。

同じ人間なのに不思議。



あれした方がいいのか、
そこまでする必要はないのか、

しなかった反省と、
し過ぎた反省で、
日々頭がぐるぐるしていますよね。

どうなんでしょうかね?
教育ってする必要が
あるのかないのか。


「もし人類私達だけならどうする?」

こういう時、
まず世間体を外す為に
「もし人類私一人だったらするのか?」
という事をよく考えます。

もし、私と子、2人しか人類がいないのなら、
多分、難関校の受験勉強はしない、
そう思います。

しかし、他生き物と一緒に生きていく為、
動植物の事、
自然現象、
危険回避、
衣食住の事、
等は、死ぬ気で覚えさせます。

だって、
それ知らないと死んじゃうから。

でも、
とするならば、
生きていく為の知識を
きちんと覚えさせ考えさせるなら、
難関校レベルの知識と考えは、
必要となってくるでしょう。

結局、
有無を言わさず
頭の中に毎日叩き込む作業が
必要になってきますね・・・

子どもがやりたくないと泣いても
生きていく為には必要なの!
と叱り、
やらせるかもしれません。


とはいえ、
一方で、
教える学ぶ生活だと
上下関係出来そうだし、
楽しく生活も出来なさそう。
管理が必要になってくるし。

今日1日を生きるために
必要な事だけ、
その場その場で教えたりして、
それ以外は特に考えず、
空いた時間は楽しむ事だけを
一緒にやって過ごすのも
いいかもしれない。
だって、明日世界は終わるかもしれないし。

どちらにしても
生きるには
最低限何かを教える必要はありそうだ。
人間が生き残るには、
情報を受け継いでいくのが良さそうだ。
その「中身」だなぁ、問題は。


一旦、現実に考えを戻して。

「生きている場所で状況は変わる?」


これがもし北海道と沖縄だったら、
衣食住はかなり異なります。

生きている場所で何が必要なのか、
教育内容も異なります。

日本なのかアフリカなのか、
それでも大きく異なります。
雪国なのか、
暖かい海なのか、
砂漠なのか、
険しい山の中なのか、
湿地なのか、
街なのか。

ずっと同じ場所で生きるなら、
よほどの事がない限り
自然状況は変わりません。

沖縄が雪国にはならないし、
北海道が常夏にはならない。
(長い年月をかければ変わるかもしれないけど)

長い歴史が
自然と共存する術を教えてくれ、
教育によって受け継げば、
対策はとれ、生きやすい。


「生きている時代によっても変わる」

農耕牧畜が始まった時に、
狩猟採集をやっていた人は
反対した時代があったのかどうなのか・・・

定住すると決めれば、
農耕牧畜の知識と技術は必須。

「猪と戦えない奴が、
鍬持って〜うんぬんかんぬん・・・」

なんてブーブー言われたんだろうか、
昔の人は。

インターネットが普及した今、
農耕牧畜時代から大きく変化し始めていますよね、
時代。
(産業革命等もあったけど)

第三世界で生きる。

教育、変わりますよね、そりゃ。

モデルチェンジなのか、
マイナーチェンジなのか、

いや、まさか時代の変わり目に
出くわす事になるとは。

教育は、
みんな同じ知識技術を同列に叩き込む時代から、
自分で創造工夫して考えていく時代になりました。

創造に強制は合わなくて、
大人が上下関係をもって教え込むやり方から、
発案を支えていく、学びを手助けするというスタンスに変わりました。

乳幼児期に自己肯定感を育てると、
自然と好奇心や探究心・学習する姿勢が育ち、
学びが深くなるという土台あってこそですが、

なんというか・・・

自動車の自動運転のようなものでしょうか。

最初の
生きる喜びや、
学習意欲をプログラムすると、
勝手に学んで育っていくという。

事故を減らすには
最初から事故をしにくいような作りにすると、
確かに運転手任せにしなくていい。

教育も、
学びの基礎工事を徹底すれば
多少風が吹いても倒れない。。。

そうなると、
20年間気合い入れて親が教育しなくても、
なんだかもう少し心持ち軽くなるような。

ただ、
その基礎工事の
乳幼児教育の現場も
子育て世代も
余裕なくて疲弊しているので、
限られたところでしか
まだネオ教育は機能していない気はしますが。。。



教育は何かしらすべき
という考えに寄っているけど・・・

「教育、やめた。の視点に立ってみる」

今日から
子どもに何も教えません!
学校も行かなくていいよ〜

となったとする。

何するんだろう、うちの子。。。
とりあえず遊びまくるのかな。

教育がなくなった世界のことを考えると、
どうやって種の保存をしていくのか。

学ぶ以外の伝達手段というか、
生き残る手段。

例えば、
今後いっさい人類は発展しませんと
世界が決めたとして、
生活も保障します、
となったとして、
「変わらない世界」
になったら、
多分何事もその内慣れてくるから、
大人に教育は必要なくなる。
変わらないから
何年も同じ。

子どもには一定の教育は必要だけど、
ある一定の水準を満たしたら終わり。

人間は変わらなくても
自然は変わるから、
進化をやめてしまった生き物は
その内淘汰される。

ウイルスが進化すれば、
人間は簡単に減りますしね・・・
それに対抗して人間も進化しないと
生き残れない。

ということは、
全てに進化がある限り、
教育はやめられないのか。

最初から脳にチップを埋め込むとか以外は、
教育は必要か。

では、
教育すべきか、
しなくてもいいか論は、

するしか選択肢がほぼない、
という事になるのかな?

止まってしまうと
生き残れないのは
マグロだけじゃない。


最後に。

教育はするとして、
その方法ですよね
問題は。

内容はその都度変わる。
方法も変わる。

そしてタイムリーに
最近方法が変わってきている。

その幼児期の教育方法、
ぜひ、
ここで一緒に考えていきましょう。



なんだか、長々と考えていますが、
基本、結論を求めるのではなく、
過程がどこまで広がるか、
思考を泳ぐ感じなので、
こんな感じです。

元々まとまらないものですが、
文にするまでにまとまらず
色んなお題で考え
掲載までに長くなりました。

今後徐々に
分かりやすく思考を綴っていくようにしていきますね^^;


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