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事件解説シリーズ 西サハラ問題#2 ~スペイン最後の植民地~

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今回は事件解説シリーズ 西サハラ問題第2回です。

前回: https://note.com/rekishinoakuma/n/neba58b3bf702

次回: https://note.com/rekishinoakuma/n/n1092c0e43cd9

スペイン最後の植民地

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モロッコ国旗
1956年にフランスから独立を果たした

 1880年代に進出して以来スペインは西サハラの支配を続けてきましたが第二次世界大戦後になると他の欧米列強が戦後処理の一環として植民地の喪失を課せられた一方で大戦から距離を置いたスペインの植民地は手つかずのまま残されました。しかし、そんなスペインのアフリカ植民地経営もフランス領北アフリカの動揺によって危機にさらされるようになり、1956年モロッコ独立によって植民地喪失の危機が現実問題となっていきました。

歴史の悪魔チャンネル 事件解説シリーズ 西サハラ問題

スペインによるモロッコへの植民地返還の過程
スペインはモロッコに譲歩を重ねつつ西サハラを死守しようとした

 モロッコの独立に対しスペインは1956年にセウタ・メリリャ(現スペイン領)を除くリーフ地方を返還、さらに1958年にはタルファヤ地方1968年にはイフニ地方モロッコに返還する一方で西サハラ開発を行うなど西サハラは継続して支配してきました。

 スペインが西サハラを継続して支配した理由としては西サハラに燐鉱石を中心とした潤沢な資源が存在することと、西サハラを開発することで経済を向上させて1960年代の反政府運動の展開による政権の動揺を克服しようとしたことなどが挙げられます。

 西サハラを除くモロッコに隣接する植民地が返還され、さらに1968年に別のアフリカ植民地である赤道ギニアが独立を果たしてもスペインが西サハラに自治を与える動きはありませんでした。しかし、1960年代に西サハラ開発が進むにつれ住民がメディアを通じてアジア・アフリカ諸国の独立動向を知ることで独立に対する意識が高まり、1973年ポリサリオ戦線が結成されてスペインの植民地支配に対する抗争が開始されるとスペインは西サハラの自治を検討するようになります。

 こうして1974年にスペインは西サハラの住民に対して翌年上半期に住民投票を行う旨を発表し、同年7月10日に国際連合に同地域住民の自決権行使を提案しましたが、それに反発する国が存在しました。その国はモロッコモーリタニアです。

歴史の悪魔チャンネル 事件解説シリーズ 西サハラ問題 (1)

西サハラ地域の自治権を巡る各国の主張
国際司法裁判所はモロッコ・モーリタニアの正統性を認めつつも
住民投票が望ましいという結論を出した

 モロッコとモーリタニアは歴史的経緯から同地域の領有を主張し、国際司法裁判所に提訴しました。モロッコが西サハラの領有を主張した背景として1971~1973年王室転覆クーデター未遂事件が発生するなど国内情勢が不安定化したという事情があり、当時の国王ハサン2世は国内の不満の矛先を外へと逸らすために西サハラ領有へと政策を転換していったのです。

 提訴に対して国際司法裁判所は1975年10月にモロッコ・モーリタニア両国と西サハラの合法的絆は認められるが住民の自決が望ましいと結論を出し、同地域の帰属問題は住民投票で問われることが決められました。


緑の行進

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緑の行進を記念して発行された100ディルハム紙幣
緑の行進を機に西サハラは分割されることが決められた

 もし西サハラで住民投票が行われるとなると投票結果によって同地域の独立は確実となるため同地域の領有を主張するモロッコはなんとしても住民投票を阻止する必要があったのです。そこでハサン2世の下で1975年11月6日に約35万人が非武装で南部国境を越境する「緑の行進」と呼ばれる官製デモが断行されました。

 緑の行進を受けてスペインは国家体制の変化に瀕していたため西サハラの住民投票を投げ出し、西サハラ住民を除いたスペイン・モロッコ・モーリタニアの3ヵ国によってマドリード三国協定が締結されました。協定ではスペインの同地域撤退後にモロッコとモーリタニアが分割統治をすることが決められ、これをもって約100年間にわたるスペインによる西サハラ支配は終わりを告げることとなったのです


次回はスペイン撤退後の西サハラ紛争について解説していきたいと思います。それでは皆さん次回お会いしましょう!

【参考文献】

◎ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

◎日本大百科全書

◎中山雅司「西サハラ問題と国連による解決」
『創価大学比較文化研究』1992(9):109-150

◎飯島みどり「イスパノアフリカ史試論 : 20世紀スペインの植民地問題を手がかりに」
『岐阜大学教養部研究報告』1993(29):27-44

◎部谷由佳「西サハラの変容と国際社会 –アフリカ最後の「植民地」の自立と共存に向けて-」
『アジア文化社会研究』2011(12):59-80

※『日本大百科全書』『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』は JapanKnowledge 及び コトバンク でご覧になれます。


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