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世界の国家解説シリーズ パキスタン#4~パキスタンの対外関係~

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今回は「世界の国家解説シリーズ パキスタン」の第5回です。

↓ 前の記事をまだ見ていない方は下記のリンクにお越しください。 

初回: https://note.com/rekishinoakuma/n/n6b8ee0427c29

第2回: https://note.com/rekishinoakuma/n/n8d4e4883b1cb

第3回: https://note.com/rekishinoakuma/n/ndb067e20885d

第4回: https://note.com/rekishinoakuma/n/ndb067e20885d


 前回は第三次印パ戦争と核開発競争についてお話ししましたので今回はインドとの関係から視野を広げてパキスタンの対外関係について話していきたいと思います。


【パキスタンの対外関係】


 パキスタンの対外関係は常にインドの動向と冷戦の対立構造が大きく絡んでいます。インドとパキスタンが独立した当時の世界はアメリカ合衆国を中心とする資本主義陣営=西側陣営とソビエト連邦(現:ロシア)を中心とする社会主義陣営=東側陣営が対立する「冷戦」の時代でした。アメリカ・ソ連はそれぞれ自国の勢力を拡大しようとしていたためインド・パキスタンも冷戦下の対立構造に組み込まれることとなりました。

米ソ中印パ

※図1:冷戦当初のアメリカ・ソ連・中国・インド・パキスタンの関係


 インド西側陣営・東側陣営のいずれの陣営にも属さずにアジア・アフリカ諸国との友好関係を重視するいわゆる「非同盟主義」の外交方針を取っており、1954年には中国との間に「平和五原則」を宣言して相互の領土問題について平和的に解決しようとしました。

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水色:東南アジア条約機構加盟国とその植民地(1955年時点)
黄緑:バグダード条約機構加盟国とその植民地(1955年時点)
ソ連(赤)を封じ込めるうえでパキスタンの存在は欠かせない


 それに対抗してパキスタンアメリカに接近し、1954年には東南アジア条約機構(SEATO パキスタンは1972年に脱退)を結成し、さらに1955年にはバグダード条約機構(METO 1959年に中央条約機構:METOに改名 1977年に解散)を結成するなど西側諸国としてソ連の勢力拡大を封じ込める南アジアの重要な国家となっていきました。

印パ中ソ

※図2:中ソ対立・印中対立以降のインド・中国・パキスタン・ソ連の関係
図1と比べてみると関係が変わっているのがわかる

 しかし、1956年以降になるとインド・パキスタンの対外関係も変動していきます。1956年以降の中ソ関係の悪化1959年以降の中印関係の悪化によってインドはソ連との友好関係を強化する一方、パキスタンは中国と接近するようになりました。パキスタンと中国の接近はソ連とインドの両方を牽制するためにありましたが、ソ連解体後もインドがアメリカと接近するようになったため対インド牽制の役割は今も変わっていません

 1971年の第三次印パ戦争の際にも中国はインドの「侵略」を批判し、バングラデシュ独立に対して「満州国の再現」であるとするなどパキスタン支持の姿勢を取っていました。


 冷戦が終結してソ連が解体した後もパキスタンはアメリカと軍事的に結びつきを強めながらも中国との関係を重視してきましたが、2011年にその関係が大きく変わっていきました。


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※写真1:イスラム系武装組織「アル=カーイダ」指導者 ウサマ=ビン=ラーディン
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の首謀者とされている
2011年に殺害された際にはパキスタンに隠れ住んでいた


 2011年5月2日にアメリカ特殊部隊がパキスタン国内でイスラム系武装組織「アル=カーイダ」の指導者であるビン=ラーディンを殺害するとパキスタンは自国に事前通告なしで作戦を行ったこととアメリカが自国の主権の侵害をしたことを理由に反発し、それに対しアメリカ側もパキスタンがビン=ラーディンを匿ったのではないかと疑うようになったのです。

 さらに同年11月に北大西洋条約機構(NATO)のアフガン国際治安支援部隊(ISAF)がアフガニスタン国境を爆撃中に24名のパキスタン兵士が殺害される殺害される事件が発生すると米軍とISAFが謝罪をしなかったことからパキスタンはアフガニスタンとの国境を閉鎖し、ISAFへの物資輸送を停止するなどNATOのアフガン作戦に支障をきたすような形で応じました。

 こうして米パ関係が悪化していき、2018年にはアメリカのトランプ大統領がパキスタンが武装勢力を野放しにしたという理由でパキスタンへの軍事援助を凍結するにまで至りました。

 アメリカとの関係が悪化する一方でパキスタンとの結びつきをより強めたのが中国です。ビン=ラーディン殺害の際には中国はパキスタンを全面支持しており、パキスタンの当時のギラニ首相は中国とパキスタンの関係を「ヒマラヤより高く海より深い」と親密ぶりを強調しました。また、パキスタン兵士24名が殺害された際にも中国外相がパキスタン外相と電話会談して「中国側は事件に大変驚いており、強い懸念を表明する。事件は徹底的に調査し、真摯かつ適切に処理すべきだ」と表明し改めてパキスタンを支持することを強調しました。

パキスタンルート

中国からアラビア海へ通じるルート
パキスタン経由ルートのほうが圧倒的に短い距離でアラビア海へと出ることが出来る


 中国とパキスタン関係の重要性は対印牽制などの軍事的な観点にとどまらず地政学的な観点でも高まっていきました。中国からは海路でアラビア海に行く際に通常はモルッカ海峡やロンボク海峡を経由しないとたどり着けませんが、パキスタンという陸のルートを経由することでモルッカ海峡やロンボク海峡を経由するルートよりも短縮してアラビア海にたどり着けるのです。経済が発展している中国にとって対外進出を図るうえでもパキスタンは欠かせない国となっているのです。


 次回は国家解説シリーズパキスタンのまとめに入ります。また次回お会いしましょう!

【参考資料】

◎米、パキスタンへの軍事援助を凍結 テロ組織野放しと - BBCニュース
https://www.bbc.com/japanese/42576538

◎清水学「米・パキスタン研究の背景」- IDE-JETRO
https://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/Download/Seisaku/pdf/1203_shimizu.pdf

◎堀本武功「インドの戦争-印パ戦争と対中国境戦争-」『平成 27 年度 戦争史研究国際フォーラム報告書』
http://www.nids.mod.go.jp/event/proceedings/forum/pdf/2015/07.pdf

◎日本大百科全書

※『日本大百科全書』は JapanKnowledge 及び コトバンク でご覧になれます。


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