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世界の国家解説シリーズ パキスタン#1 ~歴史とインドとの関係➀~

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 今回は「世界の国家解説シリーズ パキスタン」の第2回です。

↓ 前の記事(初回)をまだ見ていない方は下記のリンクまでお越しください。 https://note.com/rekishinoakuma/n/n6b8ee0427c29

 今回の内容はパキスタンの歴史とインドとの関係です。パキスタンの歴史は国家としては第二次世界大戦後の1947年と他国と比べてその歴史は浅く、パキスタンが歩んできた歴史もイスラム教と隣国インドの存在が非常に重要になっていきます。


【パキスタンの歴史】

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赤:イギリス「大英帝国」の最大領域 
濃い赤:イギリス領インド帝国の領域 国境線は現在の国境線であり当時の国境線ではない


 パキスタンの歴史は20世紀初頭のインドから始まります。当時のインドは19世紀半ばからイギリスの統治下にあり、イギリス国王がインド皇帝を兼任する「イギリス領インド帝国」としてイギリス人の支配を受けていました。その領土も現在のインドに加え現在のパキスタン・バングラデシュ・ミャンマーを含む現在のインドの領土を大幅に超えるものでした。

 当時のインドは宗教では全人口の殆どがヒンドゥー教徒でしたが、ムスリムが少数派として全人口の約2割を占めていました。そうしたインドのムスリム達の間で自らが少数派であるがために人口・政治上で不利を蒙るのではないかという危機感が生まれていきました。

 こうしてインドのムスリムたちは1906年に「全インド=ムスリム連盟」を結成し、インドをヒンドゥー教徒・ムスリムの2民族で分離してそれぞれの国を持つことを主張しました。さらに1940年に開催された全インド=ムスリム連盟ラホール大会で「ラホール決議」が採択されると、ムスリムが多数を占めるインド北西部・東部にムスリムによる独立国家の建設を目標とするなど次第に具体化していきました。

 こうした独立国家の構想は「パキスタン」という国名にも表れています。国名の由来は諸説ありますが、そのうちのひとつの説として

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パキスタンを構成する州とその頭文字


PPanjab (パンジャーブ州)

AAfghan (アフガン・北辺辺境州)

K(i)…Kashmir (カシミール州)

SSindh (シンド州)

TAN...Baluchistan (バル―チスタン州)

PAK(i)STAN(パキスタン)

というパキスタンを構成する州の頭文字を繋げたというものがあります。そうなると「パキスタン」の名は国家が建設される土地の名称ということではなく、構成する地方の名前を組み合わせた民族と土地に由来しない非常に人工的な国家構想であるということが伺えます。

Ideal印パ (2)

全インド=ムスリム連盟・インド国民会議派がそれぞれ考える独立構想
濃緑:パキスタンの領域 黄:インドの領域

 しかし、全インド=ムスリム連盟による独立国家構想は当時ガンディー・ネルーらが指導的立場を担っていたインド国民会議派の主張と相反することとなりました。インド国民会議派はヒンドゥー教徒・ムスリムが共存する「統一インド」を提唱しており、パキスタンも含めたインドの独立を提唱していたからです。こうしたインド・パキスタンの対立関係は独立以前から顕在化していましたが、独立後両国の関係は一気に戦争にまで発展し現在に至るまで大きな禍根を残すこととなっていくのです。


次回はパキスタンの歴史・インドとの関係の続編がありますので長くなりますが次回も読んで頂ければ幸いです。また会いましょう!

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【参考資料】

◎日本大百科全書

※『日本大百科全書』は JapanKnowledge 及び コトバンク でご覧になれます。

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