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素人でもわかる永世中立国#3 ~武装するスイス2~

「歴史の悪魔チャンネル」へようこそ!

今回はシリーズ「素人でもわかる永世中立国」の第3回で前回のスイスの中立政策の続きを説明していきたいと思います。

【前回の記事】

第1回: https://note.com/rekishinoakuma/n/n9ef917c745ed

第2回: https://note.com/rekishinoakuma/n/nbf75b7523edc


【スイスと国際機関】

 スイスは永世中立国として世界からテロ・紛争のリスクが少ないことやホスト国としての公正性を保つことが出来ることからスイスの都市ジュネーヴには国際連合欧州本部・世界保健機関(WHO)など国際連合の機関の本部が数多く置かれていますが、スイスの国際連合加盟は2002年と他の国と比べ遅いです。

スイス 国際機関

スイスの国際機関加盟の可否
スイスの中立政策は国際機関の加盟にも影響を及ぼす


 スイスの国際連合加盟が遅くなった背景として国際連合への加盟がスイスの中立違反にあたるのではないかという懸念がありました。国際連合では集団安全保障の観点上ある国が国際平和に危機をもたらす行動をした際には全ての加盟国が協力してその国に制裁をかけなければならず、集団的な行動をとらずに中立的な立場を取ることは許されませんでした。

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国際連合の旗 スイスは2002年になってようやく加盟した

中立国 国連加盟

スイスとその他中立国(一部)の国際連合加盟年
他の中立国と比べてもスイスの国際連合加盟は遅い方である


 その一方でスイスは永世中立国である以上自衛戦争以外の戦争に介入することは許されず、平和時でも時には集団的な制裁に参加しなければならない集団安全保障の概念はそぐわないものでした。そのため、1986年の国際連合への加盟を問う国民投票では反対が75%と否決され、2002年に再び国民投票を行った際には賛成54%にのぼったことででやっと加盟が実現したのです。

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ヨーロッパ連合(EU)の旗 加盟は軍事的援助の義務を除けば可能である

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EU加盟国(青)に囲まれたスイス(オレンジ)
スイスは欧州統合とスイスの独自性の狭間に位置している


 では現在ヨーロッパで27ヶ国が加盟するヨーロッパ連合(EU)はどうでしょうか。スイスの隣国ではリヒテンシュタイン以外の国家はみなEUに加盟していますが、EUはあらゆる面でのヨーロッパの統合を目標にしており、政治的な独自性を保とうとするスイスの方向性とは相いれないためスイスは未加盟の状態です。しかし、EUで可決されたEU法をスイスで独自に国内法化する「スイスレックス」EUとの間に双務協定である「バイラテラルI」を調印するなどスイスは独自性を保ちつつEUとの関係を持っています。また、連邦内閣はスイスのEU加盟は加盟国の軍事的な相互援助義務がない限り中立違反にはあたらないとしています。

 またスイスは永世中立国である以上自衛戦争以外の戦争は許されておらず、また他国と軍事同盟を結ぶことも他国と対立するような政策をとることも不可能であるため、北大西洋条約機構(NATO)のような安全保障条約に加盟することは出来ません。


【なぜスイスはそこまで中立にこだわるのか?】

 世界中に中立国はオーストリア・スウェーデン・トルクメニスタンなど数多く存在しますが、スイスの永世中立政策は他国と違いその歴史も長く、中立国としての国際的な信頼をも得ています。ではなぜスイスは「永世中立国」という国のありかたを選んだのでしょうか。そこには2つの「契機」があったからです。

 スイスは14~15世紀に現在のオーストリアを支配していたハプスブルク家と戦争して独立を果たしました。当時のスイスは軍事的な強国であり、イタリア戦争に介入してイタリア半島への領土拡張を図りミラノ公国を攻略しようとました。

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マリニャーノの戦いを描いた19世紀の作品
この戦いを機にスイスは領土拡大を放棄することとなる

 しかし、1515年マリニャーノの戦いでスイスはフランス・ヴェネツィア連合軍に惨敗してしまいました。それを機にスイスは領土拡張を諦めて中立国として歩み始めるようになりました。これが1つ目の「契機」です。

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三十年戦争の戦いのひとつである「白山の戦い」の様子
スイスは国内分裂の恐れから戦争に対しては武装中立政策をとった
これによってスイスの武装中立の歴史が始まるのであった

 2つ目の「契機」1618~1648年に発生したヨーロッパ史上最大規模の宗教戦争である三十年戦争です。三十年戦争は元は元々西ヨーロッパで主流であったキリスト教の宗派であるローマ=カトリック教会(旧教)と16世紀の宗教改革によって成立したキリスト教の新しい宗派であるプロテスタント(新教)の対立から発生した戦争であり、当時のスイスでもローマ=カトリックとプロテスタントが共存し、過去には両派の対立によってスイスが分裂しかけた過去がありました。

 三十年戦争は新旧宗派のいずれかの陣営に所属するかが求められていましたが、当時緩い連合体であったスイスはいずれかの陣営に所属することでスイスが再び分裂する恐れがあったため、いずれの陣営にも属さずに1640年国境防衛軍を創設し、1647年にはスイスの各州による全スイスの国防規定である「防衛軍事協定」が締結されるなどスイスは事実上の「武装中立」状態になりました。

 こうしてスイスは1674年「武装中立」を基本外交政策にすることが明確に宣言され、1815年ウィーン会議永世中立国としての国際的な承認を得ることになるのです。


 今回も長くなりましたが、次回は第2・3番目の国家であるベルギー・ルクセンブルクの中立侵犯について解説していこうと思います。それでは皆さんまた次回お会いしましょう!

【参考文献】

◎加盟国一覧 | 国連広報センターhttps://www.unic.or.jp/info/un/un_organization/member_nations/

◎小久保康之「スイスのEU政策」『日本EU学会年報』2016 36:268-286
https://www.jstage.jst.go.jp/article/eusj/2016/36/2016_268/_pdf/-char/ja

◎広瀬 孝文/ボーチェック ボレスラフ A.「永世中立と国際連合 : スイスとオーストリアの国連外交の比較研究」『聖徳学園岐阜教育大学紀要』1976 3:28-56

◎SWI swissinfo.ch
https://www.swissinfo.ch/jpn

◎スイスの歴史 | スイス政府観光局
https://www.myswitzerland.com/ja/planning/about-switzerland/history-of-switzerland/

◎日本大百科全書

※『日本大百科全書』は JapanKnowledge 及び コトバンク でご覧になれます。


 


 





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