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邪馬台国畿内説に赤信号!? のデータ


IntCal(イントカル)という言葉をご存知だろうか?
文化的遺産や化石などに存在する放射性同位体・炭素14(14C)を測定し、暦年代を特定するための国際的なワーキンググループの名称で、ここで公開されたデータは地質学的な時間に定義を与える「ものさし」となる。

2020年、その最新版「IntCal20」に、国立歴史民俗博物館(歴博)が中心となって測定を進めてきた日本産樹木年輪のデータが採用された。
(※歴博のプレスリリース↓参照)

堅苦しい話はこれくらいにして……
その結果何が起こったかというと、弥生時代から古墳時代の年代観が約50年もずれることになったのだ。
具体的には、今まで卑弥呼の墓とされてきた箸墓古墳は、卑弥呼の時代より約50年も後に造られたものだったことが分かった。
つまり箸墓古墳は、卑弥呼の墓ではないということである。
(卑弥呼が死んだのは西暦247~8年頃と推定される。死後約50年も経って墓を造るなどということはありえないから)

歴博といえば、2009年に箸墓古墳の築造時期を「240年~260年」と推定し、さらに「箸墓古墳が卑弥呼の墓である可能性が高い」と主張したことで知られる。
ところが今回発表されたデータでは、箸墓古墳は「290年~300年代前半」の築造となり、自らのこれまでの主張を打ち消す結果となった。

ただしこの事実は、世間ではほとんど知られていない。
まあ発表されたのが2020年夏なので、マスコミも「コロナのせいでそれどころじゃなかった」のかもしれないが…。
そのせいか、プロである考古学者の間でさえも、あまり知られていないとも聞く。

当の歴博も、歴史を塗り替えるほどのビッグニュースであるにもかかわらず(HPには「年代観が大きく見直される可能性もあります」と書いている)、積極的にPRしていない。
むしろかなり地味に、というか″なるべく教えたくないかのように”発表しているところは、「複雑なんだろうな」と思わず突っ込みたくなる。

いずれにせよ、邪馬台国畿内説の陣営には「きわめて都合の悪いデータ」であることは間違いない。
かつて「箸墓イコール卑弥呼の墓」説に飛びついた各メディアには、ぜひ取り上げて欲しい話題である。

実はこの話、私も先週紹介したNPO法人守山弥生遺跡研究会の田口理事長に教えていただいたばかり。
まだまだ「ニュース」としての価値はありますよ!
(※守山弥生遺跡研究会については↓の記事参照)

つい辛口なコメントばかりになったが、この件についてはさらに面白い話もあるので、続きはまた…。

そして今週も―

トロフィーをいただきました。

皆様どうもありがとうございました!


★見出しの年輪の画像は、みんなのフォトギャラリーから 4yournote913さんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。


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