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【主婦勉!】神社のあれこれについて知りたい~熊野編①~

想像以上の難産だった日本神話と諏訪神を終え、
やっとサクサク他の神社を調べられるぜ!
と思っていたが、
次に調べはじめた熊野神…
複雑すぎぃぃぃ…
熊野よ...お前もか...orz、状態で
またもや難産に突入してます。

恐れ多くも神様などに
迂闊に手をつけようとしたのが
そもそもの間違いだったのか。
でも調べれば調べるほど
やっぱり面白いんだよなぁ。

神社のあれこれ、といいながら、
もはや、
”そこに祀られている神様のあれこれ”
になってしまっていて、
タイトルを読んで
興味を持ってくださった方の中には、
その神社の建築様式とか、
祭礼のあれこれなんかについてを
期待されていた方も
いらっしゃったかもしれず、
申し訳ありません…

というわけで
熊野神を調べ始めたはいいけれど、
前に日本神話をまとめた時に
もうあんま関係ないなと思って
ほぼほぼ流してしまった
"天孫降臨"以降の
"神武東征"話を理解してないと
話が進まない気がして
しばし途方に暮れていた。
またやんの... 日本神話... 
終わったはずだったのに...

と恨んだところで
もはやどうしようもない。
調べないことには前に進めないのなら
もうやるしかない。

しかも熊野あたりは、
いっときめちゃくちゃハマって、
あのあたりの主要な神社を
巡りまくっていたこともあるし、
石上神宮や神倉神社などの
個人的に好きな神社も
ここに関わってくるので、
しのごの言わずに調べます。
まぁ知らないよりは
知ってる方が良いしね。

というわけでいきなりですが、
熊野を理解するために
「簡単日本神話〜神武東征編〜」
からのスタートです。
天孫降臨後の世界です。

※日本神話をはじめから知りたい方は
こちらをどうぞ。↓↓

さて、地上界を治めるべく、
天から派遣された、
天照大御神(アマテラスオオミカミ、以下アマ姉)の孫ニニギ。
そのニニギと木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)との間に
生まれた子供、の、
そのまた子供の一人が
後の神武天皇である。

神武天皇という名前?は
亡くなられた後につけられたそうだが、
ややこしくなるのでここでは
すべて”神武天皇”で統一する。

日向国(今の宮崎〜鹿児島あたり?)に
生まれた神武天皇、
幼い頃から優秀で、
45歳の時(唐突!!)の時に
当時、世界の中心(!!)と思われていた?
奈良盆地、大和平野あたりこそ
天下を治めるのに適した場所だ、
だからそこを制圧してやろう!と志を立て
一念発起し、実行に移すことにした。

45歳?遅くない?
当時の寿命それくらいでしょ?
などと思ったあなた、ご安心ください。
神武天皇、127歳まで生きたそうです。
長生きー 超人ー すごいー
なので45歳などまだまだひよっこなのです。

で、日向を出て大分→福岡での数年を経て、
広島→岡山あたりでそれぞれ7〜8年を過ごし、
(この時点でもう50代も半ば!)
いろいろ準備に準備を重ね、
目指すは世界の中心地!奈良!あたり!
と意気込み、
満を持して難波の碕で戦いを挑むも
(相手は大和の土豪、長髄彦(ナガスネヒコ))
まさかの初戦敗退。

なんで?なんでなんで?
俺らなんなら神だよ?神が負けるの?
ちょ、みんな集合!
何が悪かったのか話し合おう、っつって
反省会をした時に出たのが、

「俺ら、東に向かって戦いましたよね?
東って太陽が昇る方角じゃないですか。
太陽ってことはつまりアマ姉。
つまり俺ら結果的に、
アマ姉に向かって
弓矢引いちゃったってことになりますよね?
これ…ヤバくないすか?
たぶん今頃アマ姉カンカンすよ。
絶対勝てる訳ないヤツですよ。」
という目からウロコの問題点。
たしかに〜!ですよね~!

だったら
太陽(=アマ姉)を背にして(味方につけて)、
西に向かって
戦ったら勝てるんじゃね?って話になり、
紀伊半島をぐるっと回って
熊野あたりから上陸。
そこから進軍することにした。

だが熊野に降り立った時に、
一頭の巨大な熊(荒ぶる神の化身)が現れる。
そしてなんか"シャーッ!!"つって
威嚇されたー!と思った次の瞬間、
バタバタと倒れる仲間の兵士たち。
神武天皇もしかり。
なんとその巨大な熊は、
毒を吐いてきたのだ。
大ピーンチッ!

と、そんな状況にも関わらず、
どこかから、
一振りの大太刀を持ってくる男…
熊野の土豪、高倉下(タカクラジ)だ。

彼によるとその大太刀は
ピンチを知った高天原から
差し入れられたものらしく、
それを渡された神武天皇が、
その大太刀を握った途端、
(気を失っていたはずでは…)
荒ぶる神は切り倒され、
兵士たちの意識も戻ったんだそうだ。

その不思議な大太刀=霊剣の名は
「布都御魂(フツノミタマ)」。
この剣はのちに、
石上神宮(奈良)のご神体となる。

また余談だが、布都御魂はもともとは
この神社シリーズではすでにおなじみの
雷様こと建御雷神(タケミカヅチ)のもので、
彼自身は鹿島神宮(千葉)のご祭神なんだが、
布都御魂が石上神宮に祀られて
鹿島に戻らなかったので
2代目が作られ、それが今、
鹿島神宮の神宝になっている、
とのことである。

という訳で、話を戻そう。

そんなこんなで神武軍は
また進軍するんだが、
険しい熊野の山中で道に迷ったりして、
もう迷走も迷走。

またも見かねた高天原の皆々様方が、
「もう!なにやってんの!」つって
八咫烏(ヤタガラス )を道案内として派遣。
八咫烏は太陽の化身ともされている…って
言われているけれども、
”高天原が送ってきた太陽の化身”って、
それもうアマ姉とは違うん?
っていう話なんだよな…

八咫烏は日本サッカー協会のシンボルマーク、
日本代表のエンブレムに
使われていることで有名。
勝利に導く、的な。

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3本足であることには
天/地/人を表す数字だとか、
太陽を表す数が三だったとかなんとか
諸説あるらしい。

また”熊野のカラス”にまつわる話として、
歴ヲタとして見逃せないのは、
幕末に活躍し早逝した長州の天才、
高杉晋作が遺した(と言われる)有名な都々逸、
『三千世界の烏(カラス)を殺し、
主と朝寝がしてみたい』だ。

これはwikiによると

熊野の牛玉宝印の札の裏に書いた
約束事を破ると、
熊野のカラスが一羽(または三羽)死に、
約束を破った本人も罰を受ける、
とされていたことから
「ほかの男たちとの約束を全て破り、
熊野のカラスを
ことごとく死なせてしまうとしても、
あなたと朝寝をしていたい」と、
遊女の想いを表現したものである。

ということだそうで、
いやー、いいっすね。熱い。
洒落てる。カッコいい。
こんなこと言ってみたい。

と全然話は逸れたけれど、
そんなこんなで八咫烏の道案内で、
どんどん進軍し、
あれやこれやと戦いながら、
ついに、初戦敗退を喫した因縁の相手
長髄彦(ナガスネヒコ、以下髄彦)と再度対戦。

思わぬ苦戦を強いられる中、
神武天皇の弓先に金色のトビが留まるという
劇的エピソードというか、
あ、これもう勝負決まったね的展開が。

あまりの金のまぶしさに
戦闘不能に陥る髄彦軍。(うそー)
いまだとばかりに神武軍は降伏を迫るが、
全然応じない頑固一徹・髄彦。

そんな時に、
髄彦が仕えていた主、神ニギハヤヒも
髄彦を説得しにかかるが、なぜか拒否。
ニギハヤヒは髄彦を見限って神武側につき、
勝負は決する。

その後神武天皇は橿原にたどり着き、
そこで初代天皇として即位し、
日本という国が建国されたのだ。
これが2月11日。
なので、今も2月11日は建国記念日と
なっているのだ。

ちなみに、即位した後に
神武天皇の宮、
つまり皇居があったとされる場所が
今の奈良県の橿原神宮なんだそうだが、
ここは明治になってから、
明治天皇によって創建されたお宮だそうなので、
比較的新しいんですね。

と、神武東征話はざっとこんな感じだ。

ニギハヤヒと聞くと、
ジブリの『千と千尋の神隠し』に出てきた
ニギハヤミコハクヌシを思い出すなと思って
いろいろ調べてみたけど、
そうか!という納得のいく説があまり
見当たらなかったので、
気にはなったけどもう飛ばそう。
話全然進まないもんね…

という訳で、いよいよ熊野信仰です。
熊野と言えば熊野三山なので、
まずは
・熊野本宮大社
・熊野速玉大社
・熊野那智大社
これを調べた上に、
更に気になる島根の熊野大社も少し調べたく
これは3回くらいに分けないといけないかも。

※あくまで何者でもない素人主婦の
ちょい調べですので、
間違っているところもあると思います。
ざっとこんな感じかな程度でお楽しみください。

※神様のお名前を略したりしてけしからん、
とかあるかと思いますが、
長い名前による知識吸収の挫折を避けたく
このような形にしています。
悪しからず…

※神様の名前は、
出典や活動時期によってもいろいろ異なるので、
ここに記している名前は
必ずしも最適な名前ではないかも知れません。
個人的に一番メジャーそうな名前を
勝手に選んで書いています。

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