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スカーフ

大学三年の夏と冬、僕は百貨店で中元・歳暮バイトをした。中元・歳暮バイトと言っても、売り子でも配送員でもない。「お問い合わせセンター」での電話対応、今で言うコールセンター業務だった。お問い合わせセンターは、百貨店の巨大な配送センターの建屋内の一室に、中元と歳暮の時期だけ臨時に設置される部署だった。

当時はまだ、百貨店が配送センターを丸抱えしていた時代だった。顧客からの商品配送に関する問い合わせを受けるのが僕らの仕事だった。問い合わせとは名ばかり、実情は苦情処理だった。まだ携帯電話もインターネットもGPSも一般には普及しておらず、パソコンすら部署に一台あればマシな時代だった。配送に出た車が今どこを走っているのか、持ち出された荷物がどこにあるかなんて神のみぞ知る世界の話だ。

昨日届くはずの贈答品がまだ先方に届いていないのはどういうことだ、もう一週間も前に届いているはずなのに先方から全く連絡が無いのはなぜだ、社内虚礼廃止で付け届けが禁止になったから今日届く予定の夫の上司宛の中元/歳暮の配送をすぐ中止して、果てはマンション管理人から、ごみ置き場にお宅の包装紙で包まれた箱が中身の入ったまま捨ててあるが一体どうなっているんだ。
マニュアルなんてあって無いようなもの、無理難題を突きつけ、その要求への確約を取り付けようとする顧客に「100%」、「確実に」という言葉を絶対に使わずに対応しなければならない。バイトを始めたばかりの頃、社会経験の無い僕らは馬鹿正直に「確約できません」「100%の保証はできません」などと言っていたが、ただでさえ怒っている顧客に、そんなことを言えば燃え盛る炎に燃料を投下するようなもので、ますます怒る。強靭なメンタル、柔軟性、臨機応変さがなければ生き残れない職場だった。その分、時給も格段によかったし、一緒に働くメンバーには、社員にもバイトにも戦友のような結束力があった。

お問い合わせセンターは、百貨店から一時配属される管理職のセンター長を筆頭に、リーダの五年目社員一名、新卒社員三名、残りは大学生のアルバイト十数名で構成されていた。同じ年なら夏と冬は社員は同一メンバー、学生バイトもほぼ同じメンツだった。僕たちバイトは、その年の社員それぞれにあだ名を付けた。

センター長は定年間近の、表情も性格も体もすべてが丸く、デスクにどんと構え、その風貌と存在が置き物の信楽焼の狸を思わせる人物で、僕らは「信楽しがらきさん」と呼んだ。役職名に長と付いていても、本当に置物のような人で、トラブル報告をしても、特に何かをするわけでもなく、何の当てにもできない人だった。

入社五年目のリーダーは、どんな大きなトラブルがあっても動じず、そのぬうぼうとした容姿がベテラン俳優にそっくりなことから「柄本えのもとさん」。
ただしその風貌に似合わず言葉は辛辣で容赦なく、センター長はいてもいなくても同じ、そもそも会社のお荷物社員だと言ってはばからなかった。流石に本人の前では言わなかったが。彼は冗談ばかり言ってメンバーの緊張をほぐそうとするのだが、取っ付きにくい雰囲気と、バイトを下に見るような数々の言動があり、バイト仲間たちは彼を敬遠し、嫌っていた。だからほとんどのバイト仲間は、彼のあだ名にだけはさんづけせず「柄本」と呼び捨てにした。

有名私大新卒のイケメンで、どこまでもポジティブ、まだ学生気分が抜け切らずコンパに明け暮れる「おぼっちゃまくん」。
彼は誰よりも要領が良く、誰よりも仕事が早く、そして誰よりも早く退社する人だった。この人のことだけは、あまり印象に残っていない。

おぼっちゃまくんと同じ大学の新卒で、高身長でスタイル抜群のソバージュ美人、派手な私服姿はまるでファッション誌から飛び出したようなのに、制服姿はなぜか生活に疲れた中年女性に見えてしまう、少し猫背でハスキーボイス、その気怠い雰囲気と話し方が往年のベテラン女優を思わせることから付いたあだ名は「桃井ももいさん」。
本人曰く、両親の勧めでいわゆるお嬢様大学に入学したものの全く肌が合わず、翌年すぐにおぼっちゃまくんと同じ大学に入学し直したそうだ。だから他の二人の新卒より一歳上だった。おぼっちゃまくんによれば、彼女は実は名家のお嬢様で、学生時代にはその美貌と背の高さを生かして、ファッション・モデルのバイトをしていたこともあるという。いつもおおらかで、細かいことを気にせず、「ドンマイ」が口癖だった。バイト仲間にとっては頼りになる姉貴のような存在だった。

神戸随一、人によっては関西一と呼ばれるお嬢様学校を幼稚舎から大学までかよった生粋のお嬢様新卒、私服では優雅にスカーフを纏い、仕事では制服を颯爽と着こなす、いつも背筋をぴんと伸ばし、顎を引き、長い黒髪を後ろに引っ詰め、キリッとした目元と口元が目を引く美人、あだ名はズバリ「お嬢様」。しかし彼女にはどこか侵すべからずという雰囲気があり、結局、僕らは彼女を本名のままの「杉咲さん」と呼んだ。
たまに髪を下ろしていることがあり、そうすると目元と口元がほんの少しだけ緩み、凛とした美人から可憐な美少女のようにがらりと雰囲気が変わる。その見た目の激変にやられた一部の男子バイト連中は、彼女をアイドル視し、杉咲ファンとなった。ただ見た目の変化はあっても気分の変化は全く表情に出さず、いつも笑顔を絶やさない人だった。

バイト・メンバーのほとんどは、某公立大学の応援団員とその女子マネージャーたちだった。彼らは団として代々そのバイトを引き継いでいた。公立大だからか私大応援団ほど男臭い連中はいなかったが、そうは言っても応援団、挨拶や言葉遣いに上下関係の厳しさが表れていて、結束力も固かった。
そんな中で、バイト情報誌で見て、時給だけに釣られて応募した僕と、同じ大学に通う僕の友人だけは少し浮いた存在だった。正確に言うと、僕の友人はすぐに応援団連中と意気投合したので、僕は荒くれ野武士集団に放り込まれた商家の若旦那のような気がしたし、端からもそう見えたと思う。

午前九時半、朝礼。それが終わると、メンバーはそれぞれに準備体制に入る。と言っても、何かを特別にするわけではない。心の準備だ。
九時五十五分、各メンバーが窓側にズラッと並んだ電話ブースへそれぞれ入っていく。眼の前には業務用の白い固定電話とお客様お問い合わせ表とペンのみ。ヘッドセットなどという便利なものなど無い。この時の心境は、スタートの合図を待つ陸上競技選手のようだ。僕は高校で長距離走をやっていたからそう例えるが、競馬をやる人なら、ゲートで出走を待つ競走馬と言うかもしれない。その時間が近づくにつれ、急速に心拍数が上がり、手の平に汗が滲む。

十時、全てのブースで一斉に電話が鳴る。それを合図に、僕たちは機械仕掛けの人形ように電話を取る。「お電話ありがとうございます、太九百貨店、お客様お問い合わせセンターでございます…」それから十二時までひっきりなしにかかってくる電話に対応し続ける。電話の合間に各地の配送所に電話して商品の出荷状況を確認したり、一般商品とは別に扱われるギフトカードに関する問い合わせを引き継ぐため、上階のギフトカードセンターへ行ったりもする。

正午、かかってくる電話の本数が急激に減る。そのタイミングで、交替で昼食に出る。午後一時になると、またひっきりなしに電話が鳴り始める。そして、それが五時まで続く。

電話の本数が少ない時は、部屋の真ん中にどんと置かれた大きな楕円形のテーブルで、お茶を飲んだり、だべったりして思い思いに過ごす。その間にかかってくる来る電話には、あらかじめ決めた順番に出る。こういう時は、緊張の緩んだ団員上級生バイトから「善は急げ」ならぬ「電話急げ」などという下らないダジャレが飛び出たりする。

業務は本当に過酷で、社員もバイトも休暇を取ることを「命の洗濯に行く」と言う程だった。何の因果か、その後、コールセンターのプロフェショナルとなった身からしても、あそこまで厳しい環境はなかなか無いと思う。
実際、応援団の一年生女子マネージャーの一人は、業務を始めて数日目の終業後、問い合わせ表を手にしたまま泣き出してしまった。社員とバイト総出で慰めたが、その日を最後に、彼女は二度と戻って来なかった。本当に真面目な子で、問題を解決できないのは自分のせいだと全てを一人で抱え込んでしまっていた。
それは他人事ひとごとでは無かった。その職場は、まさに生きるか死ぬかの戦場のような場所だった。一歩間違えれば、誰しも彼女のようになる。それを誰もが薄々感じながら、毎日毎日、薄氷を踏むような思いで業務をしていた。

柄本さんが杉咲さんとドライブ・デートをしたらしい、そうバイト仲間の誰かがまことしやかに話し、杉咲ファンに衝撃が走った。職権乱用だと怒っている者もいた。僕は内心、全く釣り合わないだろうと思っていたが、案の定、一週間もたたずに柄本さんが振られたらしいと新たな噂が流れた。柄本さんも杉咲さんもプライベートを全く語らない人たちだったので、どこからそういう噂が流れたのか不思議に思っていたところ、何ことはない柄本さんが仲介を頼んだというおぼっちゃまくんが情報源だった。

桃井さんは本当にコミュニケーション能力の高い人で、まだ新卒にも関わらず、社内の人間関係によく通じているらしく、社会人の悲哀を面白おかしく話してくれた。そして、自分はこの会社には合わないから長居はするつもりはないと、いつも言っていた。
僕の友人はそんな桃井さんを慕い、親しくする内に恋してしまい、デートに誘ったが敢え無く断られたと、随分後になってから友人本人から聞いた。桃井さんにすれば、僕たち大学生なんて、所詮、子供にしか見えなかったと思う。

杉咲さんは、当初は、信楽さんや柄本さんから明らかに特別扱いをされていた。信楽さんが何かと声を掛け、柄本さんがあれこれ世話を焼いていた。厳しい業務に付いてこられるか心配されたのだと思う。そういう僕も外見がやわだからだと思うが、バイトを始めたばかり頃は、やはり、信楽さんが何かと気を使い、柄本さんもフォローしてくれた。ただ周囲の予想を翻し、彼女も僕も業務を淡々とこなし、メンタルの強さも他の人たちに引けを取らなかったと思う。もしかしたら、他のメンバーとあまりつるまない杉咲さんと僕のほうが彼らよりタフだったかもしれない。
どちらも人と一緒に騒ぐタイプではなく、賑やかなメンバーたちの中で少し場違い感があったからか、休憩時間にはよく二人で話をした。話と言っても仕事の内容ばかりで、たまに彼女が僕の学生生活について尋ねるくらいだった。彼女は自身のことはほとんど語ろうとしなかったし、僕も敢えて聞こうとはしなかった。だから僕は、彼女のプライベートについては学校以外のことは何も知らなかった。その学校の話すら又聞きで、彼女自身が直接語ったものではない。

僕の友人は、ギフトカードセンターに行くのを楽しみにしていた。ギフトカードの発送作業を行う部屋は厳重なセキュリティが施されていたが、その外では多くの女子大生バイトが関連作業を行っており、殺伐とした僕たちの職場とは全く雰囲気が異なり、華やかなで賑やかだった。僕たちの部署の男子バイトの中にもそこへ行くのを楽しみにしていた人たちは多かった。僕は、そこへ行くと異質な存在のようにジロジロ見られるのが嫌で、よく引き継ぎ作業を友人にお願いしていた。
逆にギフトカードセンター側から僕たちの部署へ引き継ぎに来ることもあった。そういう時、女子大生バイトは必ず二人で来た。どうも僕たちの部署は、彼女たちに恐ろしい場所と見られていたようだ。確かに他部署と違い異様に男ばかり多く、午前中などは特に殺気立っているように見えたかもしれない。それを案じたのか信楽さんは、彼女たちの対応には、極力、女子バイトか女性社員やが当たるように言った。そして、女性が誰もいない時は、僕が対応に出るようにと言った。信楽さんは僕の物腰が柔らかいからと言ったが、僕は見た目が軟弱なので無難と思われたのだろう。

バイト・メンバーの応援団員たちは、僕も僕の友人も同じ仲間として扱ってくれたが、中に一人だけ何かと僕を目の敵にしてくる男子団員がいた。彼は僕と同い年で、少し調子のいい奴で、他メンバーの前ではおどけてばかりいるのに、なぜか僕にだけはキツいことを言った。僕はそれを、僕が彼の先輩たちと敬語を使いながらも対等に話すことに腹を立てているのだろう、その程度に受け取っていた。しかし、彼は僕の友人には普通に接するし、僕に対する言動は激しくなる一方で、その理由が何なのか僕にはわからなくなった。
ある時、彼は僕に「お前は女か?」と言った。僕はそれまでにもそういう類のことを言われ続けてきたので相手にしなかった。しかし、彼がたびたび「女」というを言葉を侮辱語として使うので、ある時、女性を見下してるのかと彼に尋ねたら、それからは別の言葉を使うようになった。しかし、その言葉は別の人たちを蔑むものだった。彼は理性的な人間だからこそ、僕から指摘されて自分が女性を貶めてしていたことに気付いたはずなのに、結局は、言葉を変えただけでまた他の人たちを貶めていた。彼が僕に対してなぜそこまで執着するのか、僕には不思議でならなかった。


夏が終わり、秋が過ぎ、冬が来て、歳暮セールの時期となり、社員とバイトメンバーが再集結した。業務の過酷さは夏とは比較にならないほど厳しかったが、僕たちは、夏に強めた団結力で、日々を乗り切っていた。

そんなある日、誰かがまた別の噂をもたらした。それは、杉咲さんが、翌年、結婚退社するらしい、相手は裕福な家の御曹司らしいというものだった。杉咲ファンの連中はがっかりしていていたが、僕はいかにもありそうな話だと思った。なぜなら、その冬も、僕は杉咲さんとよく話をしたが、時折、なぜか、人生に対する諦念のようなものを彼女から感じることがあった。夏より彼女の笑顔が少なくなったようにも感じていた。
彼女との会話の中で、僕はその噂が真実かどうか彼女に確かめることはしなかったけれど、できれば彼女にはキャリアを続けて欲しいと思った。

冬バイトの最終日、解散式を兼ねた打ち上げが行われた。最後の集まりということで、夏の打ち上げよりも盛り上がった。食事や酒が一段落すると、杉咲ファンは先を競って彼女の隣の席を目指した。どうせ僕は町人だからと、野武士に混じって戦果を上げようなどという野心は毛頭なかった。彼らはなぜあそこまで必死になれるのだろうと、僕は冷めた目で見ていた。
僕は敢えてそうすることで、僕自身の杉咲さんへの想いを封じていたのだと思う。僕と彼女とでは住む世界があまりに違いすぎた。陳腐な言葉だけれど、僕にとって杉咲さんは本当に「高嶺の花」だった。遠くからただただ眺めて見るだけの存在、望んだとて決して手の届くはずのない存在、いくら想っても触れることすらできない存在だった。

会が中弛なかだるみしたタイミングで、杉咲さん自らが僕の横に移動して来てくれた。僕は嬉しかった。少し疲れている様子だったので、「大丈夫ですか?」と尋ねると、杉咲さんは「はい」と以前の笑顔を見せた。少したわいもない話をした後、躊躇はあったが、僕は思い切って聞いてみた。「ご結婚なさるんですか?」杉咲さんは、「ご存知でしたか。そうなんです」と答えた。僕は、「おめでとうございます」と祝福した。「ありがとうございます」と杉咲さんは答えたが、その表情は少し寂しげに見えた。僕はそれ以上そのことには触れないほうがいいと思い、話題を変えた。

信楽さんがめの挨拶を終え、みんなが帰り支度を始めた時、また杉咲さんが僕のそばに来た。杉咲さんは僕に対して、「澤さんには本当に感謝しています。短い期間でしたがありがとうございました」と僕の名前を出して、礼を言った。僕は、「僕は何もしていませんし、僕のほうこそ杉咲さんにいつも助けて頂きました。ありがとうございました」と言った。すると杉咲さんは、「私に普通に接してくれたのは澤さんだけでした。だから私も澤さんにだけは気を使わず話しができました。澤さんとお話して、澤さんの素敵な笑顔を見るとホッとするんです。もっとお話したかったです。就職活動を頑張ってください。何のお返しもできず申し訳ありません」と言った。もうその言葉だけで僕には十分だと思った。(僕は自分の笑顔がずっと嫌いだった。写真でも僕の笑顔は少ない。男のくせに気持ち悪いとかヘラヘラするなと言われ続け、自尊感情も自己肯定感も低かった。でも杉咲さんみたいな人たちは僕の笑顔を素敵だと言ってくれた。そういう人たちに出会えたから僕は生きて来られたと思う。)

杉咲さんはさらに続けて、「もしよければ、このスカーフを貰って頂けませんか?」と言った。杉咲さんと言えばスカーフ、スカーフと言えば杉咲さんというくらい僕の中では、スカーフは杉咲さんの象徴だった。そのスカーフを頂けると聞いて、僕は舞い上がってしまった。天にも昇る心地というのはああいう心理状態を言うのだと思う。僕は「是非、ください」と答えた。杉咲さんは腰に巻いた色鮮やかなスカーフをを外し、僕に手渡してくれた…はずだった。

僕が受け取ったはずのスカーフは、次の瞬間、僕の手からするりと抜けて、僕を目の敵にする応援団員に引ったくられていた。彼は熱烈な杉咲ファンで、それを周囲にも公言し、杉咲さん自身にも言っていた。今にして思えば、何の努力もしない何のアピールもしない僕が杉咲さんと親しく話し、スカーフまで手に入れることが、彼には許せなかったのだろう。
彼からどんなことを言われても—今の時代なら大問題になるようなことでも—、僕は我慢していたが、その時だけは、さすがに怒りが抑えられず、「返せ!」と強く言った。しかし、「返して欲しかったら取ってみろ」などと子どものように逃げて行く彼を見て、相手にするのをやめた。あんな奴はどうでもいいと思うことにした。騒いで杉咲さんに嫌な思いをさせたくなかった。
負け惜しみのようになってしまうが、あのスカーフを手に入れなくてよかったと思う。手に入れられなかった高嶺の花への思いをいつまでも引きずっていては前には進めない。

杉咲さんと一緒に、打ち上げ会場の居酒屋を出ると、僕からスカーフを奪い取った応援団員は、それをヒラヒラさせ踊るようにして、無邪気にみんなに見せびらかしていた。
杉咲さんはそんな彼を見てから、何も言わずに笑顔を僕に向けた。僕も杉咲さんに笑顔を返した。
杉咲さんが、なぜ応援団員にそのスカーフを僕へ返すように言わなかったのか、そもそもなぜスカーフを僕にくれようとしたのか、もしかしたら杉咲さんは僕に我武者羅がむしゃらにそのスカーフを奪い返して欲しかったのだろうか、その本心はわからない。
でも僕は、杉咲さんからの感謝の言葉、スカーフを僕にくれようとした杉咲さんの気持ち、そして最後の杉咲さんの笑顔、それだけでいいと思った。そのすべてを僕が受け取ったことは、杉咲さんに伝わったと信じている。

杉咲さんに幸せになって欲しい、僕は心からそう願った。

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