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It's Only a Paper Moon ーー「月ノさんのノート」を拾って


昨日の夜、フェスの帰り道でノートを一冊拾った。紙に刻み込むかのごときガタガタした文字列が、ノートいっぱいにびっしり書いてある。いや殴り書きなのに文字がキレイに横に並び過ぎだ。禍々しいものを賽銭箱の中から拾ってしまったな…。しかもなんか、ガムみたいな香水の匂いがする。

フェスでボルテージを上げすぎたので、うつらうつらしながら読んでると、どこからともなく古い音楽が流れて来た。

 ♪Old Old Song You Heard♪




2 + 2 = 5 ーー血迷ったひとりごと

 ――えいっ、諸君、何をいうのだ、問題が表や算術なんてところまで行ってしまって、ただ二二が四だけ幅を利かすようになったら、もう自分の意志も何もないじゃないか? 二の二乗は、わたしの意志なんかなくたって、やっぱり四になるんだからな。自分の意志となると、そんなものじゃありゃしないんだ!          ドストエーフスキイ『地下生活者の手記』

ドストエフスキイの小説に出てくるおじさんによると、人は2+2が5になる世界を探しにいくために、苦痛だろうが何だろうが全て飲み込んで、水晶で出来た家よりも、おんぼろアパートを選ぶようなことがあるらしい。

そんなことをしたら、数学のテストも地球の自転も、スーパーのにいちゃんの小銭の数え間違えもなにもかもなくなるだろうが、そんなことはどうでもよい。でも待ってよ。2+2が5で、ナベアツが3でアホにならなかったら、「三馬鹿」という言葉はこの世から絶滅し、にじさんじの3ばかがこの世にいなかったかもしれない。それは嫌だな…。

ほかでもないが、わたしがいま書いたことの中で、何か一つでも自分で信じることができたら、どんなにいいかしれない。諸君、誓っていうが、わたしはいま書き散らしたことを、ひと言も、それこそただのひと言も信じてはいないのだ! というより、信じているのかもしれないけれど、どういうわけか、自分ではずうずうしいほらを吹いているような感じがする、そんな気がしてしようがないのだ。    ドストエーフスキイ『地下生活者の手記』

口で言うだけなら、どんな真実だっていくらでも曲げることができる。それはある種の人間くささだ。でも一方で、どんな言葉だって、いつの間にか自分の頭で解釈したり、誰かに受け取られていくうちに、どんどん嘘くさく、解説くさく、正しくなってしまうらしい。

人間は、やさしすぎて、頭がよさすぎた。





ATAMAでっかちな話 Inspired by KADOKAWA 

昔々、フランスのベルクソンさんが『笑い』という本を書きました。筒井康隆さんによると、どうやらタモリさんが読んでらっしゃったらしいです。

ベルクソンさんは、「笑い」というのは人間が人間らしさを構成する「ぎこちなさ」の一種だと考えた。ネコやイヌは笑わない(あるいは人間でいう「感情」というものはない)。だから、いつも自然な表情でいる。

一方で人間は、わざわざ頬の筋肉を変な方向に引っ張って、機械のようにぎこちない表情をする。だから、ベルクソンは、現実の状況にうまく対応できない時に、何とか笑いを生み出して、危険に体が突っ込むのを回避したのではないかという。ベルクソンさんは、「笑い」は社会的な懲罰だと考えて、人が人を笑わせるのは、ある種の攻撃的な部分があると考えた。なかなか、つらい世界ですわね…。

「日本には、ベルクソンが言う機械的な笑い以外もあるんじゃないかな?」と書いたのが、角川ソフィア文庫から読みやすい文庫が出版されている、民俗学者の柳田国男だった。柳田さんは、解説の劇作家井上ひさしも「この人は、長くて面白い文章を書くけれども、結論をはっきり言ってくれない」と言って嘆いていた。

柳田は言う。どうやら古代、確かに人は戦争で負けた敵をあざ笑ったり、妖怪をあざ笑ったりしてその恐怖を遠のけようとしていた。でも、そもそも江戸時代後期の十返舎一九『東海道中膝栗毛』から、どうも笑いの種(ネタ)というのはあっさり枯渇しやすいものだった。一歩間違えれば単調な繰り返しになる。

柳田は考えた。近代より前、敵や味方というのはわかりやすかった。悪い魔術師を倒したり、化け物やタヌキを頑張ってやっつけたというのは、功名談というよりもまずは「思い切り笑うべき歓喜の時」だった。わるいわるい鬼さんをやっつけて、めでたしめでたし。終わり。


しかし、日本国内で戦が続き、社会が拡大して、世界が平和でなくてはいけないと言うとき、敵や味方というのは簡単に白黒つかなくなった。そこで室町時代あたりから、どんな人を対象であっても、わかりやすくみんなが笑える「あや言葉」(いまでいうところのミルクボーイが必要になった。(柳田国男「笑いの文学の起源」)



しかし、こうした分かりやすい笑い以外に、日本には特徴的な「微笑み」というものがあった。微笑みは、「世の中が行き詰った、苦しい状態になった時」に、声もあまり出さずに相手を静かに見ることによって、静かに見守ることによってせめてもの救いを渡そうとする女性の努力だったのではないかと述べている。

柳田は、微笑みについての文章をこんな言葉で締めくくっていた。

笑いは最も多くの場合、笑われる者の不幸を予期している。刃物では傷つけない一種の闘諍(とうじょう)、または優劣の露骨な決定を免れ難い。今まではそれを避けるために出来るだけ縁の遠い、笑われても構わぬものを捜してはいたが、結局は笑う者自らを孤独にすることは同じであった。笑って世の中を明るくするというのは、手近にまだ笑われてよいもののいる間だけである。そういうものを極度に少なくするのが、永い間の人間の努力であった。幸いにして我々は、ヱガホがその笑いの先触れでも準備でもなく、むしろその反対に、笑うまいとする慎みの一つであることを知った。ただその中には受身のものと働きかけるものと、または自分一身のためにするものと、人を考えて何物かを与えようとするものと、二種の価値判断が有ることは争えないのである。                柳田国男「女の咲顔」




Fake Plastic Tree 燃えないゴミ

プラスチックは、燃やすと環境に良くないらしい。誰かが言う。「あなたの言葉は、所詮は中身のない偽物(plastic)の愛でしかない。私自身も偽物でしかない。なら本物なんてどこにあるんだ?」

本物か偽物かなんて、受け取った人が決めるだけだ。


Space Oddity ーー星たちの系譜

数年前に亡くなったロックンローラーのDavid Bowieは後年、星について彼が多く歌うのは、星の存在から見れば人間の世界のことをよく見渡せるからだと述べていた。あまりに遠すぎる存在であるからこそ、逆に我々に何故か近しいものを感じさせることがある。ホーキング博士は、亡くなる前、「人間が冒険できる土地は地球上にはもうなくなってしまった。私たちに残されているのは宇宙だけだ」と述べていた。

昔々、ヤスパースっていう哲学者の人は、神様みたいなすごいひとが現れた時、その言葉はまるで「暗号」みたいに聞こえるんじゃないかって言っていた。誰かの不思議な言葉が聞こえていて、素敵な映画を見た体験があってそれがどんな意味かを知りたくなる。挫折してしまう。その挫折を乗り越えた人が、自分の限界を超えて、ある種の霊感に目覚めることができる。なかなか電波なお話に聞こえますな…。

ところで、昔も今も、月と地球の行進には暗号、あるいは「信号」が使われていた。長尾くんでおなじみモールス信号は1と0の集合で出来ている。音声通信は、音を一回電気信号に変えて伝える。でもこれって本当はおかしなことだ。人間はどうして1と0だけでそこに意味を見出すことができるんだろう。まるでどっかの誰かが仕組んだみたいに。

交換日記だってそうだ。隣のあの子の機嫌が悪かっただの、どのライバーさんがタイプだの、くだらない話をくるくる回している。そしたら、偶然好きなライバーにネタで「ユードリック」と書いたら、同じこと言っているやつがいて、めちゃ爆笑されることもある。でもその文字も所詮文字のはずだ。そして何かをたらい回しにしているだけで素敵な偶然も、何故かつかみ合いの喧嘩も起こる。

ませた女子高校生の日記を読みすぎて、頭が少しおかしくなっていたらしい。頭がずきずきして、ぼーっとした微熱があるような感覚が続いている。 気づくと酔いながら、適当なことを日記の余白に書き散らしてしまったらしい。なかなかに不審者の極みだ。

怪しげな曲のリストをノートにすみっこにそっと書き込んで、また賽銭箱にノートを投げ込んだ。罰が当たったのか、神社の階段から転げ落ちて血まみれになった。





☠WARNING!! この先は月ノ美兎立ち入り禁止ゾーンです。立ち入った場合、世にも恐ろしい呪いがあなたに降りかかります。あと、家のフライパンが勝手にくるくる回ります。くるくる。










(昔書いた記事)

多くの方の感想(「委員長の違う一面が見れた」)と違って、自分がノートを拝読した時の最初の感想は「そうだよね…」だった。この件については、上記のnoteに、ノートが落とされる前に詳しく書いた。思っていたことが合っていたからえらいとか、そういうことではない。心象風景とかいうワードが飛んできたのはまじでビビったけど。

そしてもう一つ、偶然だが、みとさんの言っていることが、何故かBUMP OF CHICKENの藤原さんとやたら重なって見えることにも気づいた。なんせ映画版の寄生獣の主題歌を歌っている人でもある。なんか宇宙のことめっちゃ歌っている。このあたりに気づいて、「ああ、みとさんについて書くのやめるつもりやったけど、また罪を重ねるのね…」と誘惑に弱い自分を嘆いた。この記事は、単独でも一応は読めるが、「月ノさんのノートを読んだ人なら感じることのできる」部分を散りばめて一つのパッチワークにした。二次創作というか、日記の余白に書いた落書きである。ちなみに書くのに3日と10冊の本を要した。何をやっているんだワイは…。

最悪、読まれなくてもいいし、こんなへたくそな文章すっ飛ばして貼ってある音楽でも聴きに行ってほしい。白紙には、どんな風に進めばいいよって、小さく地図を書いてあげるのがよいってもんさ。このnoteで気になった言葉は検索すると、おそらく新しい道がある。

ところで、この文章を書いていて3日経った頃、「お の れ 月 ノ 美 兎!!」みたいな謎の怒りに変わってきた。忍者龍剣伝は、邪気王に負けると一気に最初のステージに戻されるのだった気がするが、そんな感じでひったすら文章を書いては消し、書いては消し。

なんせ数少ない読者への問いかけで、あんな思わせぶりことを書いてしまうのだ。それは委員長も本当に意地が悪いでござるよというものである。わりとマジで初めてVのひとに怒ったかもしれん。(是非本を未読の方は読んで確認してほしい)あ、あと、委員長、ここまで読んでしまったら、ハルヒのエンドレスエイト全部見直さないとダメだから。はい、とりまアマゾンプライムを用意して。暖かい部屋で静かに一人(あるいは友達のライバーさんたちと)で見るのだ。恐ろしいねぇ。

どうせ、こんな長文で英語まみれのnoteは見てないだろうけど。

委員長が明らかに何かの意図に連れてこられて活動をしているように見えたことは何べんもあった。小島真由美さんから知ったであろう、スピッツの夏の魔物を歌っていたことがあったけど、スピッツは例えばこんな曲も出している。ノートを読んでいる方が聞いたら、彼女がどれだけ自分の好きなものの方へ引き寄せられているか、感じられると思う。


何故暗号に人は惹きつけられるのかとか、話せることはまだあるけど、みとさんの手のひらの上で転がされているようでしゃくにさわるぜ。僕自身のみとさんへの解釈はもう前のnoteで済ませたし、それよりも、彼女がもっと「わけわからない」人間になる手助けをした方がいいだろう。彼女の不思議さは、まだ僕にはわかっていない。


P.S.

英語の問題の一問目は多分、アメリカとインドネシアだと△は絶対もらえそうだし、下手すると〇だろうな…




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