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創作『犬は吠えるがキャラバンは進む』

終の棲家だと思っていた家を手放すことが決まったとき、キッチンでお湯を沸かしながら泣いた。

お正月を迎えたばかりで、数日前からコツコツ磨いていたキッチンはピカピカ。お湯を沸かすやかんにも、私の顔が映っている。

この家に越してきて。
これからずっとここにいると思っていたから、大事にだいじに使っていた。
だから、余計に悲しかった。
中敷きをして、物を直置きしたことのない水回り下のスペース。
人に見られても恥ずかしくないくらいせっせと磨いた排水溝。
指紋がつかないように、息を吐きかけながらこまめに拭き上げたドアノブ。
どこを見ても泣けた。

私はなんのためにこの場所を心地よく保とうとしていたのだろう。
大事にしていたのは私だけだったことに、言われるまで全然気が付かなかった。
そういえば、あの人はこの家に住んで10年、一度も大掃除をしたことがなかったとふと気づく。
申し訳なさそうな顔をして、「いつもごめんね」「ありがとう」と言うけれど、結局自分の部屋の窓ふきさえしたことがなかった。

ああ、なんてばかばかしい。
なんて間の抜けた話。
もういいや、掃除なんかしなくっても。手垢も水垢もついたままでいいや。
どうせ、もうすぐ、私のものではなくなるんだもの。



けれど、いざ手放すと決まった後。
不動産会社の人から。業者の人から。内覧会に来た人から。
いろいろな人が、口々に手入れの良さを褒めてくれた。
当たり前だけど、手に入れたときよりも古くなっているのに、価値が上がっていくこの家に不思議な気分。

じわっと、心の中に沸き上がるものがある。
なんでもちゃんと、応えてくれるものなんだな。
「家は生き物」だというけれど。
人が住んでこそ、家は生きられるというけれど。
大切に思っていた分、応えてくれた。
今は、自信を持って、この家を紹介できる。
誰にだってお勧めできる。

一人で住むには広すぎるこの家。
留守の間に、まるで泥棒が入ったかのように、ごっそりと荷物がなくなったこの家。
開かずの間のように、主をなくして死んでしまった部屋のある家。

大事にだいじに想い合ってきたからこそ、全部をしっかり使って、生かしてくれる次の人に、譲らなくては。


別れの日は確実にやってくるけれど。
この家は、最後の時まで、私の味方だ。
任せとけ。ちゃんと、いい人にもらわれるようにしてやるからな。
いつものように掃除をした後、突然の来客予定が入った日曜の午後、ピカピカの洗面台を見ながら思う。

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