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幸福論をうたう中年
目薬のしみ方でその日の調子がわかる。
今日はまあまあだ。
明日は新人が入社する。
研修資料だとか、デスク周りの整頓とか、まあ色々準備がいるのだが、綺麗にしすぎずにそれなりに現実感をもたせて、準備をする。
そんな私を、怪訝な目で見る同僚や上司をいなしてそこそこの残業時間で退社。
会社を出て、家に帰るしかないのだが一瞬目を閉じて地面を見て、まだ時間があるな、と思う。
本屋に行っても読みたい本はない。
CD屋なんてとうに潰れた。
洋服も別に欲しくはない。
行く先はスーパー。
普段買うよりもちょっと高い食材を買って帰宅。
冷蔵庫にそれをしまって、まず一服をする。
グローのうすい煙の行く先は自分の鼻先くらいで、煙草よりも深呼吸が難しいそれをぎゅっと握りしめた。
いろんなひとやものに、つまらないと言われている気がしながら、一瞬目を閉じてみる。
昨日のいらぬ会話を今更思い出す。
女ってめんどくさいよなあ。
そんなこと言うのがめんどくさいよ。
感情でものを言ってくるのが無理。
ほとんどのひとが感情でものを言っているじゃない。
話の面白いやつと過ごしたいよ。
本当に話だけ?話自体が面白くなくてもキャラが面白いひとのほうがいいんでしょ。一緒にいて楽しいひと、と言った方がいいよ。
色々経験した人は魅力的だよ。
だからといって何も経験していない人をつまらないと思うのは想像力がなさすぎると思う。
最近のお笑いはつまらないよ。
例を述べよ。
テレビはコンプラばっか意識してるからテレビはつまんないんだよね。
お前はテレビの何を知っているのか。
でもさ、ユーチューブとかもさ結局、テレビの二番煎じじゃない?
ラジオにしたら?
そんな、喧嘩になりそうで交わすような不毛な議論をしながら暗闇で散歩。
結局、他のひととは視点が違うっぽい鋭そうな発言は、SNSで既に消費されていて、わたしたちは幾度となくディスコミュニケーションなのだ。
飲み屋の会話もまとめ記事も同じ。
ただ、違うのは発言者が本人かどうかだ。
嘘を見極めるか信じるか。その時の気分でしかない。
あらゆるひとが、あらゆる自信を持っているわけではないと思う。
ただ、どうしたってこだわりや信念はあって、それは時に凶器だ。
狂気かもしれない。
私は、明日新人が入社する夜にそれに遭遇してしまた。
夕食を作るのも億劫で、改めて家をでてコーヒーを買いに行った。
コンビニに入ると椎名林檎の幸福論が店内に流れていた。
発売された当時は大して興味もなく、キャッチーでちょっとヘンテコと奇抜、今思うとカワイイカルチャーの中の1つ、という感じ。
だけど、コーヒーを手に私はたまらなくなった。
時の流れと空の色に何も望みはしないように、
いたたまれなくなってアイスの棚で冷えて霜だらけの箇所を何となく見つめていた。
息苦しくなって、急いでコーヒーを買って店を出た。
昔たいして思い入れがあったわけではない曲だけど、なんだか感傷的になった。
思春期に聞いて心を砕く音楽に三十過ぎて気持ちが持っていかれるとは。
私はたまらなかった。
ほんとにたまらなかった。
コンビニを出て、私は泣きながら幸福論を歌っていた。
一人で。
夜道で。
好きなのか嫌いなのかわからないけど、知ってる曲。
歌った記憶もないけど、歌詞もなんとなく覚えてる曲。
私は、いつこの曲を覚えたんだっけ。
そんなことを思いながら、私は何故か泣きながら幸福論を歌って道を歩いた。
だけど、何度繰り返しても幸福なんです、とは口が避けてもいえなかったんだ。