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化粧の底力

溺愛している愛猫が末期の癌になり、ここ最近、鬼のように落ち込んでいるわけだが、そんな時だからこそ毎日必ず、かるく化粧をする。
コロナ騒動が始まってから、家にいる時間も増えマスクもする為、ファンデーションは塗らなくなった。
先月めでたく39になった私のアラフォー毎日メイクは、基本的には目尻にだけ茶色のアイライナーを引いて、まつげにマスカラを二回塗って終わり。
ニキビを隠したい時や、アイシャドウなど濃い目のアイメイクをする時だけ、少しだけコンシーラーを塗る。

若い頃から化粧は大好きだった。
もともと自分の顔は地味で好きではなかった上に、中学に入り、初めて自分の肌に毛穴というものがある事を発見し、それはすぐさまうら若き乙女のコンプレックスとなった。
当時、ティーン用の、色のつかないオイルコントロール・パウダーが流行っていたので、初めてパウダーというものを薬局で買ってみた。備え付けのパフでかるく鼻を叩くと、毛穴が魔法のように消えて、顔自体が少しだけ綺麗になった様な気になった。
その後雑誌などで研究を重ね、マスカラやアイライナー、アイシャドーを使うようになり、高校生の頃には、遊びに行く時に片目だけに緑色のカラコンまで入れるようになっていた。
よく遊びに行っていたボディーピアス屋の寡黙なお兄さんが片目だけカラコンをしていてそれが格好よかったので、彼の真似をしていたのである。

化粧をすると、自信がなくても別人になれる気がした。
服とメイクと髪型で、とりあえず人は変われるので、音楽シーンやファッションシーンなど、外見が重視されるタイプのコミュニティに入りやすくなる。
若い頃から一つのスタイルに縛られるのが苦手だった為、パンクやロックのライブに行く時はパンクスのような格好をし、ゲイクラブに踊りに行く時は露出の多いスタイルに太ももまであるフッカーブーツを履いて遊びに行った。
仕事も基本的には好きな格好で働ける場所が多かったので、気分で古着のワンピースを着たりする日もあったが、基本的に一貫して派手な髪型をしていたので、日本人顔の私がその髪型や服装のテンションに合わせるためには、それなりの化粧が必要だった。
その為20代から30代の前半までは、コンシーラーとファンデーションを厚く塗り、素肌の全く透けない滑らかな顔の上に、また別の顔を描くような濃い化粧を毎日していた。
美意識が変な方向に向いていたので、男の家に泊っても、仮面のようなメイクを落とさずに朝まで過ごし、すっぴんを他人に見せるなんてとんでもないと思っていた。化粧を取ってカラコンを外したら、魔法がとけて私はカエルに戻ってしまう。化粧を濃くすれば濃くするほど、化粧を落としたあとの自分の顔が嫌いになった。
軽い醜形恐怖症が入っていたと思う。
そういえば美大の卒業制作も、醜形恐怖をテーマにした作品を作った。
濃い化粧をして派手な外見さえしていれば、皆に恐れられている意地悪な上司や、ライブハウスに集まる排他的な女の子達に何を言われても、ポーカーフェイスでいられた。
いじめや差別は、反応しなければ力を失うと思っていたので、常に強気な態度は崩さなかった。
相手を威嚇するような外見と態度をしていたので、私の事をよく知らずに嫌う人も、少なからずいたと思う。
この頃は、知らず知らずのうちに自分の設定したキャラクターに外見を合わせる事によって精神のバランスを取っていた。
アメリカの生活や仕事にも慣れ、自信もそこそこつき、弱いアジア人に見られたくない、アメリカ人に負けたくない、という気持ちが一番強かった時期だ。

派手な化粧と髪型は、30歳をピークに少しずつ落ち着き出し、35に差し掛かった頃には、黒髪に普通目のメイクに落ち着いた。
ファッション業界から抜けて、外見にこだわる必要がなくなったと同時に、見える物(外見)から見えない物(精神性)に興味が移り、自然と派手な物や人への興味が一気に落ちていった。
付き合って今年で6年目になる彼とも、この時期に出会った。

外見の重要性が低くなり、だんだん化粧を薄くする事によって自分のすっぴんが嫌いではなくなってきた。
これは私にとって大きな進歩だった。
精神的にものすごく楽になり、丸くなったねと言われるようになり、顔つきまで別人のようになった。

そして現在、立派な中年女性になった私は、皮膚のハリも20代の頃とは全く違い、10年前と比べるとそれなりに年齢を感じさせる顔になってきた。
相変わらず好きな格好をしているし、アメリカ人はアジア人の年齢がよくわからないらしく、若く見えると言っていただけることもあるが、美容の施術なども特にしていないし日焼けも好き放題しているので、それなりにImperfections(欠点)がある。シミやソバカスもあるし、毛穴も大きくなったし、全体的にたるんで、10代の頃からずっとあるクマももっと目立つようになった。ファンデーションを塗らないというのは年齢を隠さないという事なので勇気のいる事だったが、慣れると意外にも割とどうでもよくなった。
自分の欠点を許せなかった頃は、他人の欠点まで気になったりしていたけど、今はそれが気にならなくなり、自分に対しても他人に対しても、全体的に楽になれたと思う。

それでも今私が、毎日のように泣いてしまうのにも関わらずメイクをする理由は、メイクをすると少しだけ元気が出るからだ。
すっぴんでいると、体が家に根を張ったように、出かけるのすら億劫になるが、化粧をするとおまじないのように自分にスイッチが入る。
何かに落ち込んでいる時期というのは、日常の普通の作業が途端に面倒になり、やるにしてもいつもの倍近く時間がかかってしまったりするような事が多々あるが、マスカラだけでも丁寧に塗ると、とりあえず今日も1日頑張ろうという気にはなる。
男の人で言ったら、ひげを剃る感覚に近いのだろうか。


相変わらず、全くご飯は食べないけれど、昨日今日と、愛猫の容体は安定していて、自分で起き上がりトイレにも行けるようになった。
私が泣きはらしている時よりも、元気でいる方が、なんとなく猫も楽そうにしていることが多いような気がする。心が繋がっていると信じたい。

私にとっての化粧の底力とは、別人になる事でもなく、コンプレックスを隠すためでもなく、元気のない時にかりそめの元気をくれるものだった。

"Sayoko", 2018
Pen and Ink on paper, 11"x14"(28cm x 35.5cm)


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