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御伽の森 ③




——あの少年を、助けなさい



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プロローグ 
神隠し
憂鬱退屈夢うつつ ―――今回はここ
北極星を見つける旅へ

御伽の森Ⅰ
御伽の森Ⅱ
御伽の森Ⅲ
御伽の森Ⅳ
エピローグ

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『憂鬱退屈夢うつつ』


「ライオンさんに、なりたいの」

 ステージ中央から右に少し逸れたところで、小さな男の子が元気よく発表している。

「どうしてライオンさんになりたいの?」
「強くて、かっこいいから!」

 保育士さんからの質問に対して、少し恥ずかしそうに、しかしハッキリと芯のある声でその男の子は答えていた。

 この日は保育園のお遊戯会があり、最後の催し物として園児がそれぞれ将来なりたいものについて発表していた。

  それぞれ生き物を発表していく。

  うさぎさん、ゾウさん、キリンさん、カメさん、ライオンさん……。

 三歳から六歳までの小さな子供たちがそれぞれその生き物になりたい理由を保育士さんに質問されて答えていく。

  僕はそれを懐かしそうに、ぼんやりと眺めていた。これは、三歳の頃の僕だ。

  そして、この光景を眺めている僕は今十八歳。

  ふと昔の映像を保存してあるテープを見つけて、テレビで見ていたのだ。

  今の僕はライオンさんどころか、雨に濡れてぶるぶる震える小動物みたいになっている。

  こんな純粋無垢な少年に、今の自分の姿なんか到底見せられないだろう。

  僕は高校三年生にして夢を失い、路頭に迷っていた。僕はこのお遊戯会の帰り道に、家の近所で建築現場を見て、大工さんになることを決意した。

「これは僕の人生をかけてやるべきことだ」という確信めいたものが自分の心の中に響いてきたのだ。僕はこの感覚をよく経験する。

 僕は、前回の記憶とも呼べるものを頼りに人生の意思決定をしている。

  前世の記憶ではなく、前回の記憶。よく既視感を意味する「デジャブ」という言葉があるが、これがこの感覚には最も近いだろう。

 今まで長く続いてきたものには全て言語化できない謎の「親近感」があった。

  これが僕のやるべきことだと確信させる謎の感覚が毎回降ってくるのだ。

 しかし、今の僕はあの確信を基に進んできた道からドロップアウトしてしまった。

 あの日、建築物が出来上がっていく光景を見上げて大工さんになると決意してから、大工さん、宮大工、建築士と少しずつ変化はしていったものの、ずっと建築関係の仕事に就くことを夢見て生きてきた。

 他の選択肢など考えることはなかった。絶対にこの道に進むと決めてきたからだ。

  その道を失ったいま、僕はどう生きていけばいいのか分からなくなってしまった。

 この世界、少し厳密に言うと、この人間社会では、「目に見えて成果の分かるもの」以外は人生に不要なものだとみなされてしまう。

  お金になるもの以外は、全て趣味以下の烙印を押されてしまうのだ。

  人生に害を与える存在、一人前の大人から堕落した大人へと突き落す存在。

  しかし、そもそも一人前の大人とは何なのだろうか。人より苦労して、社会で活躍できる大人とは何なのだろうか。

  そもそも人間とは、何者なのだろうか。

  自身がやりたいことをしたり、守りたい存在を長期にわたって守ったりしていくには力がいる。

  そしてその力とは、すなわちこの社会においてはお金のことであろう。

  だが、僕にはイマイチ良く分からない。

  この社会に生きている人達全てが、何か催眠術にでもかかっているように見える。

  私達は自身が何者で、「人間」という巨大に膨れ上がった生物集団としてどこへ向かっているのか、誰も理解していないのだ。その命続く限り、私達はいったい何をすればよいのだろうか。


  この世界はお互いの問題を解決しあうことで成り立っている。

 髪を自分で切ることができない人の髪を美容師が切り、自分で病気を治せない人達の病気を医者が治し、互いに補完しあって生きている。

 つまり、他人に価値を与えられない人達は必然的に人から甘い蜜を吸うだけの寄生獣のような位置づけになってしまう。

 世間が寄生獣ばかりになってしまったら、とても社会は回らないだろう。

 建築士になって、独創的な建築物を作り人の生活に貢献しようと思っていた僕にとって、急に寄生獣に自分が堕ちていく感覚は耐え難かった。

 自分が建てた建築物が人の生活を豊かにしたり、芸術として人の楽しみの一つになったりすることに、抑えられないほどの興奮を覚えていた。

  こんなにかっこいい職業が、他にあるだろうか。

 でも、もうタイムリミットが近づいてきていた。僕は選択を迫られている。

  十八歳ともなれば大学へ進むのか働くのか決めなければならない時期だ。

 一つの道へ向けて一直線に全速力で走ってきた人がつまずくと、再起不能なダメージを受ける。

  でも、社会は待ってくれない。

 自分だけが取り残されていく感覚がした。

「お前のやってきたことは全て無駄だったんだ」「もう用なしだ」と残酷な宣告をされた気分だった。

 お前はこれからすべてを失い、人から笑われ人の助けを借りて何とか飯を食っていくだけの寄生獣になっていくのだ。

  堕落した価値のない人間として残り数十年細々と生きていけと言われた気がした。

 もう、どうすればよいのか分からなかった。

  被害妄想気味かもしれないけれど、実際社会はドライだと思う。

  具体的な目標を失った僕は迫りくるタイムリミットから背を向けるようにして人生の答えを探していた。恐怖で体が引きちぎれそうになる。

  呼吸が、できない。

 自分は何のために生きていくのか、人はどうして生きているのか。どうしてこの宇宙は誕生したのか。

  僕はこの答えを求めていた。

 考えてもしょうがない不毛の極み、そんなことは分かっている。

  でも、熱中するものが無くなって虚無感と焦燥感と空白の時間だけが押し寄せてきている今、このことについて考えずにはいられなかった。

  高みを目指して上り続けてきた山から急に突き落とされ、最後落ちて死ぬ前に、たまたま手が引っかかった崖の一番先端の岩場に全ての望みをかけているようだった。

  これが分かれば何とか生きていけるかもしれない。あまり綺麗な未来は待っていないかもしれないけれど。

別に、全てを投げ出したい訳ではない。

  自分の人生を棒に振りたい訳でも、人に迷惑をかけたい訳でも、楽だけして生きていきたい訳でもないのだ。

  どちらかというと僕は、少しでも自分が楽しいと思ったことを突き詰めていきたいし、その道でちっぽけな存在なりに少しでも人の役に立ちたいと思っている。

  でも、純粋に何かを目指して何かに取り組んでいる人に横からナイフを突き立てるように突如そういう人を地獄に突き落とすような出来事とは不意にやってくるのだ。

  僕は今、長年かけて頂上を目指して上ってきた山の途中でがけ崩れに巻き込まれるように滑り落ちていっている。

  ただ、自分が楽しいものを突き詰めて人の役に立ちたかっただけなのに。

  全身にものすごい痛みが走り続けている。

  僕は熱中するものが見つかったとき、どれだけ幸せか知っている。

  友達とどうでもいい話をしながら笑い転げることがいかに楽しいか、知っている。

  好きな人ができて、その子と少しでも話せた日がいかに嬉しいものか、知っている。

  一生懸命に取り組んだことがあった日に食べるご飯がいかに美味しいか、知っている。

 ただ、僕はこの社会のことが本当に分からない。唯一分かっていることは、自分が生き物であるということだ。

  生物学的には僕はヒトである。

「動物界・セキツイ動物門・哺乳綱・霊長目・ヒト科・ヒト属・ヒト」

  また、その中でも篠宮司という名前を持ったオスだ。
 
  でも、人間は他の生物と違って社会的な生き物だ。数十億という束で行動する巨大な生物集団。

  そして、僕達には他の生物と違って目に見えないものが見えている。

  国家、組織、法律、友情、夢……。

  そして目に見えない化け物に排斥されないように生きているのだ。

  僕も今は何か分からない正体不明の化け物に飲み込まれそうになっている。

 自分が何に苦しんでいるのかさえ認識させてくれない、どうすればよいのか分からずただただ空白の時間を虚無感とどうしようもできない焦燥感と共に過ごしていく。

 苦しい、あの感覚は間違いだったのだろうか。

「これだ、これは僕の人生を懸けてやるべきことだ」というあの感覚。

 全てが水泡に帰し、僕のこころは深い海の底に沈んでいく。

  水圧で自分の体が押しつぶされてしまうような感覚がした。胸の内側に真空空間ができたように、体が縮む感覚がする。

  人は生物学的には人であるという事実は変わらないけれど、社会的には絶えず変化し続けている。

  小学生、中学生、高校生、大学生、専門学生、社会人、親、社長、フリーター、それぞれのステージで優劣を図る指標があり、そこで一喜一憂する。

「ゔっ……」という声が漏れた。

  もう僕はまともな人間として生きていける希望を完全に失ってしまった。

 この地獄を味わいながら残り八十年も生きていかなければならないのか。

  生き地獄、という言葉が僕の脳裏をよぎった。死にたいとは思わないけれど、どうやって生きていけばよいのか全く見当がつかなかった。

 どうすればよいのだろうか、本当に分からない。「俺にどうしろってんだよ」と投げやりな自分に向いているんだか社会に向いているんだか分からない怒りの言葉を吐き出した。  

  そして、こういうときに大体運命の導きはやってくる。

  そして、ふとまたあの感覚が下りてきた。

  言葉が聞こえたわけではなく、イメージが下りてきた。強烈に僕はあそこへ行かなければならないという感覚がした。

「綾杉の木へ向え」

 気が付くと僕は、夜中に静かに夜道へと歩き出していた。






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