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君っていい人?


 人は感情の生き物であり、非常に面倒くさい生き物である。

 その時々の気分によって考えや発言が百八十度変わることがあるし、行動に一貫性なんかありはしない。

 人の目が気になって仕方がないけれど、利己的でありたいし、凄い人だと思われたいという滅茶苦茶な考え方、行動をする変な生き物。

 それが人間なのだ。

「アンビバレンス」という心理学の用語がある。
 相反する特徴を人は併せ持っていることを指す言葉だ。科学的にも人間はどうやら面倒くさい生き物であることが分かっているらしい。

 しばしば僕達は行動に一貫性を求められる。

 真面目にコツコツ頑張っている人がたまにサボると、非難はされないまでもマイナスな印象を持たれてしまうことがあるし、逆に不真面目な人間がたまに真面目な行動をとると、なぜか好印象を持たれる。

 明るい人間は暗くなると凄く闇のある怖い人だと思われてしまうし、暗い人が明るくなると意外といい人、だと思われる。

 つくづく、人間って不思議な生き物だよなぁと思う。

 自分の主観や感情によって全てを判断している。そこに後付けの論理を付け加えてそれっぽく誤魔化しているだけだ。

 言い訳をするのがとても上手だし、嘘をつくのも上手だ。

 良い人だと言われている人も、内心悪いことを考えていることがある。理性があるからストップがかかっているだけだ。

 それに、「良い人」というラベルを人に貼るのは大抵の場合、受け手にとって「都合がいい人」だから、自分にとっての理想的な人であり続けてほしい、という願望を押し付けるために言われる。

 人に平等に接するいわゆる人格者と言われている人達が常に人格者であり続けることは、とてつもない忍耐と労力が必要になる。

 人を助けるとか、人に平等に接するとかは、自分に余力があって初めてできることだ。

 だから、僕は軽々しく誰かに「君良い人だね」と言うことに凄く抵抗感がある。

 どちらかというと、人格者に出会ったら「尊敬している」「無理しないでね」と相手の行動に対する姿勢に敬意を払うようにしている。

 良い人が良い人であることを求め続けられるのは本当に苦しいことだ。

 強くあろう、良い人であろうとするのはやめた方がいいのではないかと思う。そんなに人間強くないし、良い人だと思っていても実際それは都合のいい人であることが大半だからだ。

 人間は生まれながらにして善人であるとする「性善説」と人間は生まれながらにして悪人であるとする「性悪説」があるけれど、これを読んでくれているあなたはどちらだと思うだろうか?

 以前僕が通っていた空手の道場の師範が、「人間元々悪である。だから教育が必要なのだ」と仰っていた。

 妙に腹落ちした感覚がある。生まれながらにして全員が良い人ならば、道徳教育も必要なければ警察も必要ない。

 人間関係は本当に面倒くさい。できることなら山奥で仙人みたいな生活がしたい。

 でも、それでもやっぱり僕は人が好きだ。

 論理性を人に求めてはいけないし、たまに理解できない行動に出ることがあるけれど、そこまでひっくるめて面白いなと思う。

 本心を言えばたまに嫌になることはあるけれど、人との関りを絶つことはできないから、人間は面倒くさい生き物であるということを、受け入れなくてはならない。

 人はワガママだし、とても弱い。
 けれど、人には立派だと思われたいし、強がりたい生き物だ。この面倒くささを愛せる人間になりたいと、つくづく思う。



 しかし、人の二面性を愛せるようになりたいといっても、これだけはなりたくないというか、嫌いだと思うものが一つある。

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