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社会主義と独裁について

どうも、reiichiです。

今回の記事も社会主義についてです。

よろしくお願いします。


社会主義=独裁なのか

ソ連、中国、北朝鮮など。

これらの国の独裁体制が

社会主義=独裁という認識を作っている。


実際に、

社会主義者を名乗った時に

独裁を支持する気かと罵られたことがある。


しかし、

社会主義を安易に

独裁体制と結びつけても良いのだろうか。


それ以前に、

そもそも独裁は社会主義が理想とするものなのだろうか。



路外論

疎外論は

本来人間の内側にあるべきものが外部化され、

それが人間を支配することで

人間が主体性を持てなくなり、

人間としての本質を失ってしまう現象である。


宗教で例えれば、

人間の生き方や考え方が

「神」という「観念」として外部化され、

人々は「神の教え」などといった「観念」に従って

生きるようになる。


つまり、

人間が作った「神」という観念が

かえって人間の生き方や考え方を支配するようになる。


これは疎外論の簡単な例だが、

マルクスは「観念」が肥大化し、

人間の本質が奪われてしまう社会構造を問題視した。


そして、

人間の本質を奪う疎外が

解消された社会を目指した。


つまり、

人間の本質を奪う疎外がある社会は

マルクスの理想とは程遠く、

社会主義が達成できているとは言えない。



疎外論と独裁

では、独裁についての話をしよう。

ソ連、中国、北朝鮮などの国は

一般的に社会主義国と認識されており、

これらの国が独裁体制を保っていることから

社会主義は独裁であると認識されている。


(中国に関しては、

共産党による一党独裁を保ちながら

市場経済を導入しているので

どちらかと言えば資本主義国なのだが。)


しかし、

疎外論から見れば

そもそも独裁がある時点で

社会主義の理想とは

程遠いことが明確となる。


独裁体制とは

強力な政府が絶対的な権力を握り、

生産手段や政治、法律などを支配する体制である。


これを疎外論的に言うと、

「政府」という存在が人々の生活を完全に支配し、

それが肥大化することで

社会における様々な決定権は政府が握るようになり、

人々は社会において主体性を持てなくなる。


こう見れば、

独裁体制を保っている国は

人間の本質を奪う疎外が存在していることが明確であり、

社会主義の理想とは程遠いことが分かる。



社会主義が目指す本来の社会

疎外がある社会とは

肥大化された「観念」が人間の生活を支配するようになり、

それにより人間の主体性が奪われている社会である。


従って社会主義が目指す本来の社会はそれとは逆で、

全ての人間が社会において主体性を持てる構造である。


政治、法律、生産手段など、

それらが少数の人間により支配されることなく、

多数の人間が民主的にコントロールできる社会。


それこそ、

社会主義が本来目指すべき社会である。


疎外論を用いて分析を行えば

社会主義は決して独裁というわけではなく、

むしろ全ての人々に主体性を与えるという点では

民主的な体制である。


したがって、

社会主義を「独裁者」と罵るのも、

あるいはソ連、中国、北朝鮮などのように

社会主義を名乗って独裁体制を実施するのも、

疎外論から捉えれば間違えた考えであることが明確となる。



参考にしたもの

松尾匡、橋本貴彦(2016)『これからのマルクス経済学入門』筑摩選書


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