Kurageという名の宇宙船に乗って・前編
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ネットの普及や技術の進歩で大きな変化を遂げてきた素材、ラバー。
日本で本格的な輸入ラバーウェアを扱うショップAZZLOが2000年に閉店する頃は、ケアや扱いも大変なラバーはまだまだごく一部のマニアのものでした。
それから4年の年月が経ち、西池袋にKurageの前身とも言えるショップ「KURAGE & Gummiba」がオープン。日本で唯一、フルオーダー可能なオリジナルデザインのラバーウェアを発表。そして、2012年に「Kurage」として舵を切り、現在の場所へ。
活動は国内外問わず多岐に渡り、日本でラバーと言えばKurageというほどの地位を確立しました。
今回はそのKurageのデザイナーKid'Oさんに色々なお話を伺います。
●kurage設立のきっかけとロゴなどについて。
Kid'O:
今年(2021年)で17年になります。子供の頃から何かを作るのが好きだったから、いつかこうなるのかなと思ってましたね。年齢的に考えると遅いくらいなんだけど、もう10代の頃からこんな感じになるだろうなーと思っていたと思うな。
『デンキクラゲ』って言うゲイバーが今も池袋にあって。
そこによく遊びに行ってた時、ゲイショップでもやってみない?と言われて始めたのが『ニジクラゲ』。
セレクトショップだから当初は海外に買い付けに行ってました。
フレッド・ペリーとかボンデージグッズなど色々揃えていたんだけど、日本の感覚と合わなくて。独特でしょ、日本て(笑)。
※POPさよりダークさが際立つ昔の店内
全くダメだったからKurageにしてさ。クラゲって骨がないじゃない?ナヨナヨしたイメージでしょ。そろそろ何かで本腰入れるかって事で一本筋の通ったクラゲだから骨を下に付けた。
書体に関しては、クラゲのロゴを外しても大人に転べるから。
本当はエレガント大好きなんだよ(笑)。
いずれ来る色んな展開の為にね。カワイイPOPもいいけどそれだけじゃね。
僕のゴムを知るきっかけとかはやっぱりマルコム(マクラーレン)かな。
SEX(※下記)とかでボンデージスタイルやラバー取り入れてたから。
だからラバーって素材には驚きもないし、別に特別感はなかったよ。
※SEXは74年から76年の間、ロンドンでマルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドが経営するブティック。
Atomage、She-And-Me、London Leathermanといった既存の専門ブランドに加え、2人がデザインしたフェティッシュ&ボンデージウェアを販売。
Seditionariesを経て、80年末、店はWorld's Endの名で再オープン。
10代の頃にクラブに行くようになって、当時よく行っていたお店、原宿の20th Century RoomとかSECTOR(ゼクトアー)にワールズ・エンドやクリストファー・ネメスやガリアーノ、ゴルチェなんかがあったりして。クラブに行くといろんなファッションや素材に自然と触れるんだよね。
輸入買い付けをしている頃、ドイツのケルンにあるコスミックウェアというところへ2回目に行った時、オーナーに「作ってみたら?」と言われた。で、「あ、そうだな」って。
僕、自分のためには1回もゴムって買った事ないんだよね。
ゴムの衣装を見て「あまりいい仕立てじゃないし、これは自分でできるでしょ」と。
やっぱり洋服が好きだから、ハンガーやトルソーにかかっていて絵にならないような服は好きじゃないんだよね。
Kurageが今のスタイルになったのは、僕の場合、見て音が聞こえないと嫌だし、映像と音と空間、全てが噛み合って、僕はフェティッシュ感を感じると言うか。
ゴムを着ているからどうのっていうんじゃないんだよね。そう言うのはまったく興味なくて。
●影響を与えた音楽とカルチャー
Kid'O:
ずっと洋楽ばかりだったんだけど、小学校のときとかはジャパンとかやっぱりキッスとか聴いてたよね。
先輩達がタケノコ族をやってるから原宿(ホコ天)とか行って自然とYMOとかアラベスクとかそういう感じ。
ある時ストレイ・キャッツが来るから行こう、と当時ロック系ショップに勤めていた姉を持つ友達に誘われて中野サンプラザに行ったら「うわぁ、なんだこりゃ!」って衝撃を受けて、中学2年のときかな、その翌週にはローラー(東京ロカビリークラブ)のシンデレラってチームに入ったの。
今みたいにネットもないから、当時格好の真似するのに映画はよく見たな。『グリース』や『アメリカン・グラフィティー』、『グローイング・アップ』とか。擦り切れるほどその辺はよく見た。一つ一つ見て革ジャンとか真似して。
※右は昔の店舗に置いてあったKurageの看板。
映画「アメリカン・グラフィティ」のポスターからインスパイアされている。初期タイプのロゴや書体も現在とは異なる。
10代の最初はロカビリー。で、ツバキハウスとか行くようになって。17、18くらいまでかな?ツバキが終って、当時ロカビリーを回していたビリー北村さんと、(高木)完さん、(藤原)ヒロシさんと(大貫)憲章さんで『ジャングルジム』っていうのが六本木でやるようになったから、そこに行くようになった。
そこではじめてRUN-D.M.Cを聴いて。ハマったね。
それまでリーゼントでロカビリーだったんだけど、クラブ行くようになって、お洒落にも目覚めちゃった(笑)。結構新しモノ好きだから。
で、NY行くヤツとかがいたらスーパースター頼んだりとか。
音楽やカルチャーが入ってきて蓄積していく感じ。昔のはもう聴かないって言うんじゃなくて、要領が増えていった感じかな。周りに色んなジャンルの知り合いも大勢いたし、カッコいいとか気になるもの、どんどん吸収してったな。
ニュースクールが流行ってきてて、特にマルコム・マクラーレンがやってたBuffalo Galsというのがあってちょーハマった。当然のようにロンドン系に行くんだよね。
Malcolm McLaren - Buffalo Gals
※現在広く知られているマウンテンハットは
このWorlds EndのBuffalo Collectionが始まり。
マルコムのイケイケさ加減が好きで。
中学の時もアダム&ジ・アンツが来日した時、表で出待ちした覚えがある。
だからワールズエンドが好きで、その流れを引いたヴィヴィアンならよく買ってたな。最近はもう全然買わないけどね。
あと僕、集団が好きなんだよね。僕のショー、モデルがいっぱい出るでしょ?グループと言うか、大勢でたたみかけてくるから感じる何かがある。
族とか軍団でいるからオーってなる感じあるでしょ?あれは僕のフェティッシュ感でもあるね。阿波おどりもグッとくるよね、フェティッシュだよ。
ラバーとかボンデージって昔からファッションと背中合わせに来ているから。そこに音も自然と乗っかってくるし。そう言う事なんだよ。
それ抜きにしたフェチだとかエロだとか、全く興味ないね。
●店内の音楽とレゲエ文化
Kid'O:
レゲエ=夏、ハッピーみたいなイメージが日本ではあるでしょ?だからよくフェティッシュでレゲエ?なんで?って言われるけど、TortureGarden(イギリス)や他、海外で公演する時、その事で何も言われた事ないし、その説明がいらないから、やはり海外での活動の方がやりやすいね。
ドレッドにしてもそう。形になっていれば何も言われないのが海外だし、型にハマってないとなんか言われるのが日本だね。
レゲエはね、20の時にインド行ってヨーロピアンヒッピーと過ごしたのがきっかけだね。思想や瞑想、あの勝手なMIX 感(笑)。
だから僕のドレッドもジャマイカのラスタ経由と言うよりサドゥー経由だから。ヨーロッパレゲエシーンは好き。
いずれ宗教的なショーをやりたいなと思ってて。
それにはやはりDUBでしょ。うまくMIXしていきたいね。
ショーの音楽とか映像、編集も自分でやるよ。
大変だからって人に任せていたら面白くなくなってしまうもん。
もちろんそれが本業ではないから技術的な事は荒くて当たり前だけど、どんどん発表していかないと何も進まないからね。もう世の中にある事、ほっといても誰かがやる事、そんな事一生懸命やったって無意味でしょ。
店内で流すのは、まぁメインはやっぱりレゲエが多いいかな。
好きだから作業が進むしね。
逆にKurageに入ってきて、四つ打ちバンバン決めてたらちょっとでしょ。
表の庭いじって、ヤニ吸って、音で揺れるのがイイね。
なんのジャンルでも聞くけど音楽が好きだから下手なのはイヤ。
遅くても早くても、前のめりが好き。いつも音が聞こえてこなけりゃ面白くない。
●Kid'Oさんにとって作るという行為。
Kid'O:
絶えず何か作ってる、と言うか。もうそれこそ幼稚園の時からこんな感じ。
いうならKurageのオーダーは治療費を稼いでいる感じ(笑)。
もう病気なんだよね。
生まれ育ったのがトキワ荘の真裏で、漫画関係は絶えず周りにあったし、イカレた彫刻爺さんとか、なんか変な人も多かった。
店とか見ても分かると思うけど、バランスをとったりデコったりするのが好きなんだよ。ずっと止められないからね、一生。
極端にいうとゴムだけじゃなく、そこに植物、水の流れ、音、「お、イイネ」と思うのはどんどんデコっていく。
つまらないでしょ?いつまでもなんか、お決まりのフェティッシュ=暗黒から来ました、みたいなの。
とにかく僕に必要なのは空間。楽園を作る空間だよ。
ゴムの可能性としては、まだまだ自分でも確信があるし、作れるか作れないかは常に考えているけど、作ったものには正直あまり思い入れがない。
今ならもっと出来ると思ってしまうし、まだ全然満足していない。本来したい事の10%もできていないね。
作った事で分かる事はあるけど、勉強という感じで傑作というのはない。
まだ全然まとまっていないからね。
ショーもそうだけど、その場にたまたま居合わせた人が「なんだこれ、初めてみる、いいじゃない。」そんな感じが僕としてはいいんだよね。
●デザイン画は描かないそうですが。
Kid'O:
描かない。ていうか、もう本当に机に向かうのが嫌い。
小学校6年の時に「こんな人生は義務教育まで!」と思って授業を受けてたから(笑)。早く机に向かうのを止めたい、耐えられないって。
だから今もデザイン画は一切描かない。すべて頭の中。で、実際に作ってこうじゃないな、と思って作り直すのを繰り返す。だからウチなんか儲んないよ(笑)。
一発OKのものなんて一つもない。お客さんのオーダーも全てそう。全部何度もバランスとりながら作り直してる。無駄があるから完成に近づける!のかなー。
ディテールには特に気をつけてる。
伸びるからってサイズが合っているのと小さいのを無理に着てピッタシとは違うんだよね、当然ルックスが。
意味ないでしょ、ゴム着て素敵にならなきゃ。
そこらへん気になっちゃう人間が集まっちゃったからKurageスタッフは「もういいんじゃない?」って止めてくれる人がいないんだよね(笑)。
簡単でいいからとか。。無理。
お話頂いたり、初回パターン代を頂いてる限り、成功とか、素敵になるまでは責任は持つよ。
●制作の今と昔、変化を教えて下さい。
Kid'O:
自分が進む道はもう見えているから全て計算してやってるけど、試行錯誤していた初期は、とても苦しかったね。色々見たり参考にしたり、まんま影響受けないように気を付けた。
土台を作った今はとってもやりやすくなった。
どうしたら取り上げてもらえるか考えているときは自分がやりたくない事もやらなくちゃいけなかったけど、今は本当に楽になったよ。
シンプルなキャットスーツでもKurageの着てますって言ってくれるんだからさ。
技術的な面でも今は進んでますよ。前は全てハサミやカッターでやっていた。もちろん今も手作業な事は変わらないんだけど、レーザーカッターとか導入されて凄い楽になった!どこのブランドもこれは使ってるんじゃないかな。
昔の作品は、「オレの技術はどうだ!」ってところを魅せたい感じはあるよね(笑)。でも、もう派手なのとか、驚かせるのはやる気はないね。そこは終ったかな。
●海外でのショーについて。
Kid'O:
海外のショーはモントリオール(Montreal Fetish Weekend)が最初。向こうからオファーが来た。
やっぱりアジア人だから、1回だけじゃダメなんだよね。Kurageが来た!という反応になるまで何回もやらないと。
今はどこかに出演すると分かると向こうから売り込みにきてくれるけど、モデルに関してはもう大変だった。だから最初は日本から沢山参加してもらいました。
テンポ、流れが大切。「俺の衣装見ろ!」的なマスターベーションは興味なし。
お客さんを楽しませる為にも、Kurageのショーで一番大事なのは動けるかどうかなんだよね。
海外でやるにあたっては、面白がられる事も大切だけど 真似出来ない作品で行こうと思った。
彼らの敵にならないでしょ。本場で。
皆んなが思うフェティッシュぽい、もうあるような物。例えばAtsuko Kudoさんが流行っているからとか、好きだからとかで同じような事しても先人がいるんだからさー。
似たようなものを引っ提げて、海外でどうですかって胸張ったところで、アジアから来たただの商売敵。誰にも相手にされないよ。
僕のショー見てくれてる人たちには、ただただKurageを楽しんでもらいたいから、POPカワイイから大人までうまく流れを作る。
Kurageの特徴でもある口のないマスク。目だけ出ていて誰かわかんないって言われるんだけど、アレも一つの作戦。
今はマスクOnには拘ってないしそれも作戦だね。
●私はラバーって言うとイギリスなんですが、Kid'Oさん的にラバーと言うと?
Kid'O:
僕のラバーはドイツだな。ピーター(Peter W. Czernich)だもん。ピーターがやって作り出した世界。存在はとても大きいね。
最初に頭かち割られたのも、彼の初期作品『RUBBER SPORTS』。
本格的にショーや撮影をやりたいと思ったきっかけは『フェティッシュ・アカデミー3』だから。
この軍団的な感じと冷ややかな目。ビーンときたね。
レゲエ界で例えるなら、今でも昔のリズムトラックを使って新しい音を作ったりとか、若手のバンドが昔の大物呼んでセッションしたりとか。そこにリスペクトがある。
ピーターと作品作ったりとか、MARQUISやHAVEY RUBBER。彼の書物に載せてもらうのは憧れ、目指していた所で、今じゃ一緒に仕事しているなんて開店当初は想像もできなかったよ。
※右、HAVEY RUBBER表紙のためにピータのデザインを現実化した作品。
左がピーターのデザイン画。ちなみに帽子とドレッドのインスピレーションはKid'Oさんのスタイルからきている。
ストーンズに憧れて始めたバンドの人達が、夢舞台で一緒にセッションしているような感じ。
昔をオールドスクールと決めつけて除外するんじゃなくて、うまくミックスして新しいものを作り出す。
Kurageが海外で紹介される時、
”Kurage picked up ancient and traditional elements and created something brand new."
(クラゲは古くからある伝統的な要素を取り入れ、真新しいモノを作り上げた)
だから海外でも受け入れられたんだろうね。
ピーターはモントリオールの2回目のショーの時に来てたんだけど、そこに食いついてきたんじゃないかな。
※PeterさんとKid'Oさん
●ピーターのスタジオで撮影もされてましたね
Kid'O:
最初は嬉しかったよね。おぉ、ホワイトルームかぁ!って。
雑誌とか映像で見たシチュエーションが目の前にあるんだからね。
それだけウェルカムしてくれるっていうのが嬉しかった。
いろんなきっかけがあるけど、ピーターがいなければKurageはなかったかな、と言うくらいの恩人だよね。
●良いなと思うラバーブランドはありますか?
Kid'O:
Sebastian Cauchos。彼みたいに商業ベースではなくやりたいことがはっきりしてるのが好き。
Absolute DannyとSchwarze Modeは好きだったかな。
特にSchwarze Modeはステッチが入ってて素晴らしい仕立てなんだよね。
あと初期のInner Sanctum。
Sebastian Cauchos
オランダ人デザイナー兼写真家、セバスチャン・カゥチョス。
独創的で宗教的デザインが特徴。ラバーがフェティシズムやBDSMではない日常的なオートクチュールファッションとして取り入れられる事を目指している。セバスチャン曰く中東のカスタマーが多いそう。
セバスチャンの衣装を着たメリーとアニータ。
2人は海外のkurageのショーでもお馴染みのモデル。
Absolute Danny
ダニー・リンデンが1995年にアムステルダムに作った店舗。2013年閉店。
Schwarze Mode
1986年ベルリンで設立。ドイツで最初のラテックスブティック。
現在は閉店。
Inner Sanctum
1994年ロンドンで設立。
2009年現オーナーが買い取りハンブルクへ場所を移す。
※SkinTwo Magazine No.38
Cover Inner Sanctum.
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インタヴューは後編に続きます!
池袋 Kurage ::Specializing in Latex art
Latex Haute-Couture Quality
Latex Clothing made in JAPAN.
●Shop Adress
Tokyo Hakuyo Excellency 1F
2-20-6 Ikebukuro Toshima-ku
171-0014 Tokyo Japan
●Opening Time
13-18 hr.
Shop Close Tuesday
●Contact
+81(0)3-3988-5818
info@kurage-shop.com
OFFICIAL WEB
WWW.KURAGE .TOKYO
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