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「左」と「右」の違いなんて、「阪神ファン」と「巨人ファン」の違いぐらいかもしれません

興味深い記事を見つけました。

政治的な立場をめぐっては人それぞれ違いはあるが、安易に「左(パヨク)」か「右(ネトウヨ)」の二元論で考えるのは危ないというのが記事の主張ですが、私も全く同感です。

ただいつも思うことが「左の人」と「右の人」は一見真っ向から対立しているように見えるが、実は「違い」よりも共通点のほうが多いのではないかということです。

思いつくだけでもこれぐらいは挙げられます。

  • 政治に興味がある

  • 共通の正しさを求めている

  • 社会全体のあるべき姿を考えている

  • 世の中をより良くしたいという思いはある

  • 知的レベルがそれなりに高い

異論反論はかなりあると思いますが、個人的にはこの関係は「阪神ファン」と「巨人ファン」の関係と同じじゃないかと思っています。

両者は一般的には「仲が悪い」というイメージがあると思いますが、野球ファンという点では共通です。

「左」と「右」の違いと「阪神ファン」と「巨人ファン」の違いを図にするとこんな感じでしょうか。

要は立場が真逆というだけで、実は同じ物差しで物事を見ているということです。

自分とは反対側にいる相手は気に食わない存在ですが、同じ物差しで物事を見ることができる以上同じ言葉で「対話」は可能です。

まあ嫌いな相手と話し合いたい人はあまりいないのでおそらく罵り合いになってしまいますが、それでも互いに相手の言葉は理解できるという関係です。

ただし、これが下図のような関係になるともはや「対話」は成り立ちません。

「左」だろうが「右」だろうが、政治に全く興味がない人にはどうでもいい話であり、対話をするモチベーションもなければ言葉も噛み合いません。

阪神ファンでも巨人ファンでも相手が野球に興味があってこそ話が成り立つのであって、野球に全く興味がない相手にいくら力説しても相手は「ふーん」というだけです。

単純な二元論で考える人もどうかと思いますが、それでも自分の意見に対してケチをつけてくるのは同じ世界にいるからであり、同じものを別の角度から見ているだけの違いです。

違う世界にいる人にとって自分の意見など最初から届いていないので、批判も何もないというわけです。

そんなわけで、自分から見て憎たらしい相手も、実は同じ世界に生きる「同志」かもしれません

とはいえ、阪神ファンにとって「読売」は”憎き敵”のように、「嫌いなものは嫌い」というのが人間なので、相手と無理に仲良くなる必要はないと思いますが…

最後までお読みいただきありがとうございます。

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