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「誰々が悪い!」となれば、それ以上考えなくてもいいので”楽”

前回の記事で「悪者が居た方が人は安心する」と書きましたが、このテーマについてもう少し考えてみたいと思います。

というのも、企業で起きる不祥事といった「人が引き起こす問題」を見ていると「誰々が悪い」で解決できるような単純なものではないのに、”犯人”を見つけてそこで思考停止になることが多いと感じたからです。

犯人を厳罰に処しても同じ犯罪は起こる

世の中では理解しがたい凶悪な事件がたまに起きますが、犯人が捕まると「厳罰に処すべし!」という声が毎回上がってきます。

もちろん犯人のしたことには相応の責任が問われますので法に則って刑罰が科せられますが、「犯人を処罰して終わり」になってしまうと忘れた頃にまた”別の犯人”によって似たような事件が引き起こされてしまいます。

社会としてそこまでやるかどうかは難しいところはあるかもしれませんが、犯罪の再発を本気で防ごうと思えば、犯人本人の人格はもちろん、犯人を取り巻く人間関係や生まれ育った環境などの構造的な要因について考える必要があるかもしれません。

しかし、そこまで考えるのはあまりにも複雑で大変であり、感情的にも受け入れづらいので、「犯人がすべて悪い」で片づけたくなる気持ちも理解できます。

職場で「犯人捜し」に走るのは”楽”だから

一方で職場で起きる問題も似たようなことはあると思います。

ある企業で上司によるセクハラが問題になったとき、周囲への見せしめの意味も含めて降格処分を課しましたが、しばらくしてまた別の上司がセクハラ問題を引き起こしてしまいました。

もしセクハラを「個人の人格の問題」として片付けるのならその都度処罰すれば済みますが、職場からセクハラが無くならない以上、何らかの構造的な要因があると考えられます。

しかし、それを明らかにしようとすると膨大な労力がかかり、場合によっては社内の”タブー”にも触れることになるため、誰もやろうとしません。

「セクハラ上司のせい」にして片付けた方が”楽”なので、結局は犯人捜しに奔走してしまいます。

人が引き起こす問題はそもそも根が深い

機器のトラブルやアプリのバグといった「コト」の問題なら「なぜなぜ分析」のように論理的に原因究明を行えば真の原因にたどり着くことができ、問題を解決することはできます。

ところが血の通った人間は機械と違って感情があり、その時の気分や状況によって取る行動も変わるため、「なぜなぜ分析」では本当の原因にたどり着かないことがあります。

そのため、「罪を憎んで人を憎まず」とはならずに「問題を引き起こした人が悪い」で済ませたくもなります。

現実的に他者に対して悪意を持っている人も存在しているので、「問題を引き起こした人が悪い」というケースもありますが、実際に問題行動をこすのは様々な条件が揃う必要があるため、やはり根深い構造的な要因に目を向けたほうが再発を防ぐうえで有効であると考えます。

そういう意味では、人が引き起こす問題はいきなり「解決」を目指すのではなく、まずは腰を据えて向き合うほうが重要かもしれません。

今回もお読みいただきありがとうございました。

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