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絶対的な「悪者」が居た方が、人は安心できるのかもしれない

最近世の中を騒がしているニュースの一つに、日本一のマンモス大学である日本大学の田中元理事長が脱税容疑で逮捕されたというのがあります。

私も社会人になってから日大の大学院に通って修士号を取得したことがあり、最終学歴は一応「日大」になるのでこの問題にはそれなりの関心があります。

田中元理事長がマスコミから「悪のラスボス」のように扱われたのは3年前のアメフトのタックル事件のときからですが、実は私はその試合を現地で観戦しており、タックルされた選手も試合の後半から普通に出ていましたので、まさかあのような大騒ぎに発展するとは思いませんでした。

当時もアメフト部の監督とコーチがやり玉に挙がっていましたが、その後警察の捜査を通じて「指示はなかった」という結論になりました。

おそらく単純に監督とコーチが悪いという話ではなく、様々なすれ違いからあのような不幸な出来事が起きてしまったと思いますが、こういう理解に苦しむことが起きてしまうと、人はどうしても「悪者がいるに違いない」と決めつけてしまうことがあります。

これは企業でも同じであり、例えば相次いで新人が退職するといった「やっかいな問題」が起きてしまうとつい犯人捜しをしてしまいます。

そしてそれらしい”犯人”が見つかると、「問題は解決された」と思い込んでしまいます。

しかしこのような問題の場合、誰か一人が悪いということはほとんどなく、様々な要因が複雑に絡み合って起きています。

仮に新人に暴言を吐くパワハラ上司が居たとしても、その人の性格のせいとは限らず、数字のプレッシャーや上意下達の文化といった要因がその上司に暴言を吐かせている可能性もあります。

このように人や組織の難しい問題を解決しようとする場合、問題を引き起こす真の原因に辿り着くためにはまずは「犯人捜しをしない」ということから出発する必要があります。

とはいえ、「犯人捜しをしない」ということは当事者にとって気分のいい状態ではありません。というのも「このままでは問題は解決されないのかもしれない」という不安が伴うからです。

変な例えですが、ミステリー小説などで山奥のホテルで客の一人が死体で発見されたとき、もし警察がその場にいる全員を集めて「皆さんを犯人扱いしませんのでご安心ください」なんて言ってしまうと、むしろ「早く犯人を捕まえてくれ!」と恐怖におびえてしまうと思います。

こんなときに如何にも悪そうな人がいると、人はむしろ「きっとコイツが犯人に違いない」と安心することができるのかもしれません。

そういう意味で、分かりやすい悪者の存在は人を安心させてしまい、却って問題の本当の原因から目を背けてしまう可能性があります。

だからこそニュースで如何にも悪そうな人を見ても、「全部コイツが悪い」と決めつけないよう心掛けていきたいと思います。

今回もお読みいただきありがとうございました。

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