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「仕事ができる人」を目指さない生き方を受け入れられるか?

今日から5月の営業日が始まりますが、人によっては仕事をお休みして大型連休を取っている方もいらっしゃると思います。
(私もお休みをいただいております)

4月は例年通り多くの会社さまで「新入社員研修」を実施させていただいておりますが、講師として今年新社会人になられた方々と接してきた中で、改めて新人教育のあり方について思うところがあります。

今までの新人教育は「仕事ができる人になってもらう」のが大目的であり、そのためにビジネスマナーや仕事の進め方を学んでいただくのが新入社員研修の役目でした。

実際に私どもの研修でも「仕事ができる人になるためには」という前提で話を進めますので、最初から「私は別に仕事ができる人になんかなりたくない」という人がいると困ってしまいます。

もちろんこれはこれで何ら間違っていません。
企業としては業績に貢献できる人材になってほしい、社員個人はできるだけ多くの収入を得たい、ということで「仕事ができる人」を目指すのは両者にとってメリットのあることかもしれません。

ところが今では価値観が多様化し、「若いうちに出世して高い報酬がほしい」という上昇志向が強い人もいれば、「出世とか高い報酬とかはいらないので気楽に働きたい」という野心がない人もいます。

そうなると今までの新人教育のようにただ「仕事ができる人になるためには…」という前提で話をしてしまうと、前者にとっては良いのですが後者にとっては「私は別にそこまでやりたいと思わない」になってしまいます。

実際にところ、企業の中で社員全員がハイパフォーマー(高い業績を上げられる人材)というのはほぼあり得ない話で、俗に「2:6:2の法則」と呼ばれるように「仕事ができる人」が2割、「普通の人」が6割、「仕事ができない人」が2割いるのが現実的な構成です。

どう頑張っても誰かは下の2割になってしまう以上、「全員仕事ができる人を目指しなさい」というよりも、最初から「上の2割に入りたい人は仕事ができる人を目指す、そうでない人は給料に見合う人を目指す」と言ったほうが実は新人の方にとっても自分に合った生き方を見つけやすくなると思います。

もし「仕事ができない人」でも給料分の価値を生み出しているとしたらその企業はとんでもなく強いので、それが実現するだけでも教育の成果としては充分です。

ということで、今後の新人教育では「みんなで仕事ができる人を目指しなさい」という建前をやめて、「より多く稼ぎたい人は仕事ができる人を目指しましょう、そうでない人は給料に見合う仕事ができればいい」という現実的な生き方を最初から提示したほうが良いのではないかと思います。

もちろんこれについては様々な考え方があると思いますので、「こんな考え方では社会人として意識が低すぎる」という意見もあるかもしれません。

ただ今後も価値観の多様化は止められないので、企業も様々な生き方の社員を受け入れることを求められるようになると考えています。

今回もお読みいただきありがとうございました。