「飽きる」の本来の意味を知ったので、三日坊主を卒業します
桃栗三年 柿八年、と言われますが、
柿の種を蒔いて実がなるまでは、リアルに六~七年くらいかかるらしい。
諺は、ほぼほぼ正しかった!と、言えますね(よかった)。
秋といえば、収穫の季節ですが、
この「あき」という言葉には、もともと「充足する」という意味があると言う。
ちなみに、「あき」を平仮名で書いたのには意図がある。
日本語は、漢字と平仮名で成り立っているが、漢字はもともと中国からやって来たものなので、漢字で日本語を表現したときには本来(古来)の日本語の意味とズレが生じることがある。
なので、本来(古来)の日本語の意味を捉えるときは、漢字の影響を外して「音」だけで考えるとわかりやすい。
この考えは、万葉集研究の第一人者であり、「令和」の年号の名付け親でもある中西 進先生が提唱しているものである。(参考図書は、文末にてご紹介!)
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という前提のもと、「あき」の話に戻る。
中西先生によれば、「あき(秋)」と言うのは、「あき(飽き)」や「あき(諦)」と同じ音の仲間であり、もともとの意味にも繋がりがあるらしい。
漢字で見たり、現代の意味で捉えると、全然違いそうなのに。面白い観点である。
この「あき」には、「充足する」と言う意味と同時に、「充分すぎてもういらない」と言う意味も含まれるのだという。
なるほどー!
「いっぱい満たされた」から、もう「飽きた」と言う流れなんですね。
さらに、「諦める」の本来の意味も、ここに繋がってくるのだ。
なんとなんと!
「これ以上できないほど充分に努力した」から「諦める」と言う流れだったのか。
現代の「飽きる」「諦める」は、中途半端に(満たされる前に)投げ出すような意味合いが強い印象だけど、本来は、中途半端とは逆(に近い)意味だったんだ……。
衝撃の事実。
時代とともに、本来の意味からズレてしまったのですねぇ。
確かに「音」で捉えると、本来(古来)の日本語の意味や成り立ちを理解しやすい。
それに、本来(古来)の意味を理解できると、思考と行動も少し変わりそうだ。
「飽きる」と「諦める」が、充分に満たされる「あき」の仲間なんだと思えたら、三日坊主のわたしも、もう少しだけ粘り強くなれる気もする。
例えば、投げ出してしまいそう!って思ったら、
なんて自問自答して、
なんて結論づけたりする。
そうしたら、少しずつ「飽きる」「諦める」までの努力の時間が増えていくはずだ。
ただ、無理して続けるのが良いという訳でもない。
三日で終えてもいいのだけれど、その時の気持ちとして「中途半端」ではなく「もう充分、満たされた」と言える自分でありたい。
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「あき」は、充足の「あき」。
この1つの根っこの意味を知るだけで、「あき」にまつわる言葉への印象がガラリと変わった。
日本語って、面白いなあ。
秋が深まるタイミングで、このような気づきを得たわたし達は、これからきっと、たくさんの収穫があるに違いない。
◉ 参考文献
こちらの書籍は、日本語の「音」に着目して、日本語のもつ「古来(本来)の意味」を解説。目から鱗な話ばかりで、とても興味深かった一冊。
= お わ り =
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