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「今の自分なら!」と思っていたのに社会でだいぶ揉まれてきた


こんにちは。シングルマザーのれいこです。


今はフリーとして試行錯誤の日々ですが、去年は会社勤めをしていました。


離職率が高く数ヶ月で職場を辞める人も多い環境。入社時には「嫌ならやめればいい、お試し感覚で仕事してみたらいいよ」と伝えてくれてたので本当に数ヶ月、お試し感覚で働くつもりでした。


営業なんてできっこないし、幼児抱えて2人で暮らしてたら会社にも迷惑かかるしいろいろ無理だろうなぁ。と自分で自分に諦めた気持ちと、
子どもがいることや過去を言い訳にしないで新しいことに挑戦してみたい。という気持ちと。


ここに書ききれなかった想いをひっそり置いておきます。


よっし!仕事するぞー!!



二つの想いを抱えて入社した私は、「営業としてお客さんにバリバリいくぜ!」のキャラで最初は元気よく明るく、自分が過去に憧れてた先輩とか思い出しながらお仕事してたんですけど、無理なことはするもんじゃないですね。根が暗いのでめっちゃ疲れました。


「私、みんなに明るく振る舞えるほどのパワーないわ・・」とすぐに気づき、じゃあせめて身近にいる人と楽しく仕事ができる時間を増やそう、ってことで社内の人たちが私といて前向きな気持ちになれたらいいなぁと会話に気を付けてみました。


こっちは全然苦じゃなくて、当たり前のことをしてるだけってくらいの感覚なのに先輩によく思ってもらえてお客様のところに連れて行ってもらい、お仕事させてもらってました。社内営業が向いてたんですね。


そんな私ですがお試し感覚でお仕事してたつもりだったので数ヶ月で辞める予定だったんです。


上司とも相談して、退職したいことを伝えました。そのときは話し合いの中で折り合いがついて納得し、「まだ辞める時期じゃないのかな?」と心にしまうことに。


一度納得してしまったけど辞めることは決めている。じゃあ1年後だな〜と目の前の日々を積み重ねることにしたんですが、ちょっとおかしなことが起き始めます。



少し前まで可愛がってくれてたはずの
上司の態度が一変したんですね。


れいこちゃんと話すと元気になれるわ。竹島語録は聞いてて気持ちいい。れいこちゃんのことを自分勝手とか自己中とかいう人がいるけど、私はそうは思わないよ」


と上司なりの言葉で褒めてくれてたのですが、
次第に当たりがきつくなるように。
(竹島語録・・?芯があるってことでいい?)



お客さんとはいい感じなのになぁ・・



気のせいかなぁとも思ってたんですが歴代の新人先輩方も同じようにきつく当たられてたのをみてるので「あ、私の番がきた・・」と思いました。いくら自分が信じようとしても、相手は私を信じていない。ちぐはぐになっていく。



しかもそれが上司なので自分の苛立ちを私で解消するように、仕事の理不尽な指示を次第に出すようになりました。基本は平日の勤務ですが場合によっては休日に仕事をすることもあります。子どもは親に預け、スーツに手を通し向かいます。



理不尽の蓄積があるので現場に向かう車内は何の会話をしても噛み合わない。仕事前は流石に空気を良くしたかったんですけど、お互いに無理だったようで。お客さまがいい人だったこともあり契約には繋がりましたが空気は最悪。




取り繕った会話で楽しげに話しますが、内心は楽しくなく見てる方も違和感があったと思います。お客さまにも申し訳ない気持ち。なんのために仕事をしてるんだろう。この日の夜はなんだか心がしんどくて、帰ってからぼろぼろに泣きました。



私目線で話していますが、上司は拠点長から理不尽な怒りを受け取ることが多く、自分の部下からもよくわからない感情をぶつけられていることのある立場の人でした。


優しい人で、受け止めきれずに辛くなっていたんだと思います。そして立場が弱い人へ怒りの感情を流していく。



世間ではその仕事の仕方が当たり前で、
みんな我慢をしながら生きているのかもしれない。



けどそんな当たり前を受け入れて生きていけるほど私は強くありません。それを受け取ってしまうと息子に怒りを流さなくちゃいけなくなります。生きていくためだと割り切って1日の大半を過ごすしか方法はないの?



楽しく生きて仕事にしてる人だっているよね?
私だってそうなりたい。


仕事してた頃。夏。


ここに長くいてはだめだ。上司と関係性が崩れてしまった以上、心の平穏が見込めません。そうして「絶対に1年経ったら仕事辞めよう」と決意します。




離職を減らしたい会社との攻防戦



離職を減らしたい会社は社員個人の申し出を「なかったこと」にする風習がありました。令和の時代にびっくりですが、ちょっと昭和気質な職場でした。


その前に働いていた会社はITの人材業で、ここも入れ替わりが激しかったんですが「がんばってきなよ、なんか違ったらまた戻ってきてもいいんだから。」と言って優しく見送ってくれました。


それが当たり前だと思っていた私からすると、そもそも聞き入れてもらえないってなに・・?新しいことしたいっていってるよ・・?という自分本位な気持ち。でも大事な気持ち。


営業で入社したのでお客さんはいたけれど、ほぼ先輩と回っていたのもあり引き継ぐような資料を作らずにササッと辞めれそうなのに辞めれない。


「お金に不満あった?ないよね?」
「拠点長が許してくれないよ」
「私あなたがいないと困るんだけど!」


辞めたい、に対して返ってくる言葉。あれ?私がおかしい?今までの人生甘やかされすぎてたんか?子どもいるんだから血の滲むような仕事をしなければ?それしか方法はないんか??いや、そんなことない、はず。


社会が甘やかしてくれないなら私が自分を甘やかすぞ!ってことで押し切って退職してきました。だって無理なものは無理なんだもん。お金の不安、子育ての不安、仕事の不安。いろんな不安を抱えてでも誰かからストレスを受ける環境にいることは、もう終わりにしたかった。



辞めたあとの過ごし方


エネルギー満タンで社会に出たはずだったのに、上司と関係が拗れてからいろんなことがうまくいかなくなって疲れてたので自分の好きなことを好きなだけする時間を取りました。


以前の自分だったら「こんなにゆったりしてはいけない、何かしないと」って気持ちで焦って何かを学んだり転職サイトを通し相談したりしてました。


職業訓練に通った回数は29歳で2回あります。それ以外にも就労支援も受けました。キャリアにめちゃくちゃ迷ったし「こんな自分じゃだめだ、もっと学ばないと」って簿記の資格試験会場の帰りに、39度の熱が出てることに気付いて点滴を打ちに行ったことはいい思い出。

簿記の勉強中。アパレルを退職したあと。


暇になることが怖かったんですよね。自分が社会に何も貢献してないってことは生きてる意味がないと思ってたくらいに。でもコーチングと出会って、自分の深い部分の対話を重ねて最終的に「自分が楽しいと思うことをやるのが一番いいね」ってことに気づいていきました。



辞めてからは楽しいと思う自分造りの土台として漫画を読んでみたり、好きな星占いに没頭してみたり。そんな時間も大事だったんですね。




発信活動ってなんかおもしろいよね



疲れていた自分が元気な自分を取り戻せたな、と思ったタイミングで発信活動すると「なんだこれ、楽しいな・・?!」が止まらない。


あんなにしんどかった発信がひょいっとできるようになってる。たまに言葉が出ない時もあるけど、そんなときはちょっと日常に変化を持たせたりして。


以前Twitterでお付き合いしてくれてた方やコーチ、知らない方もスキで関わってくれたり、
何より自分の周りにいる友人たちが「ブログ見てるよ」と言ってくれるのもうれしい。

何も言わなくてもそっと見ててくれる友人の存在もありがたい。

面白く読んでもらえて何より


お仕事をやめて、新しい仕事に不安はあるけどそんな不安より周りに優しい人が溢れて、その気持ちを受け止められる自分がいることが一番うれしい。


「誰かに認められないとだめだ」
と願って勉強し続けてきたけど
今は誰かを深く認めて優しさを渡していきたい、そんな風に思ってる。




もし、「ちょっとこの人と話したいぞ・・?」と思ったら連絡してみてね。こっちも緊張しながらあなたにメッセージを返します。どんな人が発信みてくれてるのか分からないけど、気持ちは届いてるはず。


それってすごくおもしろいよね。
話し相手になれたらうれしいです。

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ありがとうございます。味の素の冷凍餃子をきゃぴるんるん食べます。