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人を好きになるのにも練習がいる


今、好きな人はいるだろうか。恋愛でも友人でも、この人といるなんかいいな、すきだなって感じられるような人。


私は今でこそ好きな人に囲まれている。その人には笑っていて欲しいなと心から思える大切な人たち。けど最初からすき!この人がすき!と思えた訳じゃない。


むしろ人の好意を「怖い」と思ってきた。すきだよ〜なんて言われたら私のどこが良くて好きなんて言ってるんですか?頭おかしいんじゃないんです?と全否定するシステムが搭載されていた。


役立たずで、ポンコツで、自分では何もできなくて、けどプライドだけは高くて素直になれない。そんな私を好きだなんて言う人が怖くて仕方なかった。その気持ちが理解できなかった。


学生時代の友達はすきだよ!なんていわなくても毎日一緒に行動するので自然と仲良くなれる。けど私を好きだからではなく、私がただそこにいたから仲間に入れてくれた。それだけのこと。


けどある日事件が起きる。高校2年生のある日、私を好きだと言う男の子が現れた。どうしたらいいのかわからなかった。けど押されるがままに付き合い、毎日「罰ゲームでした!」っていつ言われるんだろうと不安だった。


結局数年間その言葉を聞くことはなかった。好かれるわけがないと思ってた私だけど存在を面白がってくれる人と出会えて自分で笑ってくれることが嬉しくて、お別れの時は悲しさでいっぱいだった。


その後もバイト先で仲良くしてくれる人に出会えたり(ほんの数人)、恋人ができたりしたけど自分からこの人をすき!と言うことはなかった。私なんかに好かれたら嫌がられるんじゃないか、困るんじゃないか。


そんな反応を見たら夜も眠れないくらい考えてしまうことを感覚で分かってて、絶対に自分からは「すき」の2文字を伝えることはなかった。


私を好きな人とは一緒にいられるけど、自分からすきというだなんてとんでもないことだと思っていた。私から好きだなんて言われるのは迷惑に決まっている。本気だった。


けど、周りからの「すき」に気持ちが返せていないように思えて焦り始めた。どうやったら人にすきだって伝えられて、愛情を渡せるんだろう。


答えは簡単だった。素直な気持ちを伝えること。言ってしまえば簡単だけど伝えたことがない、怖い。いやでも待って。


周りを見ればたくさんの人が素直な気持ちを伝えてくれていたんじゃないか?私は自分の「怖い」気持ちしか見ていなかったじゃないか。


誰だって嫌われるのが怖い。それが好きだと思う人なら尚更のことで、もしかしたら何日間か寝込むのかもしれない。



けど誰かが出せる勇気を私が出せないわけがない。持って生まれたものじゃなくて自分で勇気を出すかどうかだけなのだから。


しかしこれには練習がいる。最初から誰もが高級料理店で働けるわけじゃない。修行だったり下積み時代がある。超卑屈女子だった私が試した伝え方は、少しでも「いいな」と思ったところを相手に言葉にして渡すことだった。


起きた出来事(海外旅行とか)にいいねぇと伝えるのではなくて、その人の考え方で自分に持っていないものを見つけたときに渡す。僻むんじゃなくて素直に言葉で渡す。


持ち物一つでもそのバッグいいね、高かったの?じゃなくてそれを選ぶセンスが素敵だねと伝えれば嫌な感じがしないはず。


「すき」と伝えなくても好印象だと言うのが相手に伝わる。物を渡すことでも伝わるけど、練習すれば目の前の人に気持ちを渡せる。渡せば渡すほど、自分も卑屈から遠ざかっていく。


簡単なことを言ってるわけじゃない。すぐできるわけじゃない。けど意識して行動すれば自分も周りも変わっていく。せっかく一緒にいるなら好きだと思える人と過ごそう。練習すれば大丈夫だよ。

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