長万部の水柱からの理解

北海道の「かにめし」で有名な長万部町。
飯生神社の裏の林から突如吹き出している『水柱』が話題となっている。

神社付近からの水柱ということで「御利益」に預かりたいのか、
ただ物珍しさに集まる「見物人」が多くいるということ。

近所に住む人は、その「騒音」に悩まされているようだが、
いずれにせよ、このまま放っておくことはできない問題。

まだ、水質検査が進んでいないので、
はっきりした原因等はわかっていないが、
採取した水を一部見ると、灰色に濁っているとのこと。

こういったニュースを読んで、
ただ
「すごい」「めずらしい」
「こういう自然現象があるんだ」
で、終わってしまっていては勿体ない。

どのような「神のメッセージ」をとして受け止めるかは人それぞれ。
絶対的な「正解」などというものはないが、
映画やドラマ等と一緒で、単なる感動で終わらせず、
しっかりとした考察、「意図を読み取る」という訓練は
していて損はないかと思う。

例えば、これを私の場合、
ちょうど、東電を辞めて新たな船出のタイミング。

「なるほど、灰色の濁ったたまっていたものが噴出したんだな」
「鬼滅の刃の水柱同様、まずは「自ら(みずから)」極めていけということだな」
一瞬、間欠泉のようにも見えたので
「なるほど、人生もこのように熱い水を時折、噴出す必要があるんだな」
と今からやろうとしていくことに対して、
自然(神様)からのメッセージがあると受け止める。

これは完全なこじつけで、めちゃくちゃな理解の仕方、
そういう反論もあるかもしれませんが、
本人がこれで自由になれ、力も湧き出て、
人生が前向きに好転するならば、そんな批判は関係ない。

「かにめし」「かみめし」「神召し」

神に召し使える、宗教っぽいし毛嫌いする人も多いだろうけども、
これを抜きにして今の自分はない。

「かんけっせん」「完決戦」

甲子園の「決勝戦」ではないが、
ここで「完全に決めなければいけない戦い」

子供たちの未来のための教育事業を推進していくが、
その先にある未来は果てしなく大きい。
この「完決戦」に本気で挑む!

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