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【昔の取材メモ】裏ビデオ製造工場 潜入撮 後編

 アジアの魔都・歌舞伎町。
 ヘルスやイメクラ、キャバクラ、違法カジノなどがひしめくネオン街でいま、とりわけ隆盛を誇っているのが裏ビデオ屋だ。現在、歌舞伎町には200軒以上の裏ビデオ屋が乱立しており、連日、丸見えSEX映像を求めて、店内は多くの客の人いきれでむせ返っている。
 なぜ、これほど多くの裏ビデオ屋が歌舞伎町に存在するのか。
「理由は簡単だよ。個室が大量に必要な店舗型の風俗店と違って、裏ビデオ屋は狭いスペースで商売を始められるからね。人件費だって、かからない。それに最近はビデオよりもDVDの時代だからね。原盤を1枚買えば、あとはどんどんダイビングして、商品化すればいいだけ」
 こう〝儲けのカラクリ〟を語るのは歌舞伎町の裏ビデオ屋・店長だ。
 むろん、違法の商売である。当局の摘発を受ける店も少なくないが、店長曰はく「倉庫がある限り、何度摘発されようと営業は出来る」と豪語する。
 ここでいう「倉庫」とは裏ビデオや裏DVDを貯蔵している秘密基地で、店舗とは別の場所に存在するという。
「商品を置いているだけじゃないよ。倉庫の中で、裏ビデオをダビングしたり、店舗用のサンプル画像を制作したりしているんだ。DVDの場合、パッケージも必要だからね。パソコンを使えるスタッフがMacを使って、ジャケットをデザインしているんだよ」(前同)
 もはや「倉庫」というよりも、工場ではないか!
 そこで今回本誌は、「絶対に場所は明かさない」「余計なものは撮影しない」という条件のもと、これまで誰の目にも触れることのなかった『裏ビデオ工場』の潜入撮に成功した。

──これは当時23歳だった僕が、実際に書いた記事の冒頭部分だ。
 記事はさらに裏ビデオ工場の内部に迫ったものとなる。

 裏ビデオ工場はとあるマンションの一室にあった。
 ごく普通のワンルームなのだが、玄関を開けると、入り口から奥の部屋まで棚が並び、そこには裏ビデオや裏DVDがびっしりと詰まっていた。なかには、1980年代、1990年代初期の頃に出回った伝説の裏ビデオもある。
「棚にあるのは原盤だよ。といっても、毎月70本以上は新作が発売されるからね。全部の作品の原盤を保管しておくのは難しいんだ。人気のない作品はどんどん処分しているよ」
 と教えてくれたのは裏ビデオ工場で働いている30代のダビング担当スタッフ。
 ちなみに工場内には、3人の男性スタッフが常勤しており、ダビング担当、サンプル画像の制作担当、DVDのジャケットデザイン担当に分けられているという。それ以外にもう一人、工場から店舗に商品を運ぶ「運び屋」もいるそうだ。
 いよいよ本誌はワンルームの室内に足を踏み入れた。
「すごい……!」
 思わず声を漏らしてしまったほどだ。
 室内には所せましと、ビデオデッキとDVDプライヤー、さらにダビング用の器材が30台以上、積み上げられる形で設置されていたのだ。
 ダビング担当のスタッフがこう語る。
「新作で売れ行きのいい作品は常に10本以上、ダビングしておかないと追いつかないですね。客の注文が入ってからダビングしているようでは、どやされます(笑)ただ、ダビングしすぎてもダメ。置ける場所も限られているので、どの商品がどれくらい売れるか、予測しながらダビングしています」
 それは営業時間内だけではない。深夜に店が閉まった後は、翌日の仕込みとばかりに、ダビングを開始。人気AV女優の新作などが入ってきた時は、朝まで一睡もせず、ひたすらダビングをしているという。
 サンプル画像担当のスタッフも寝る暇などない。
「お客さんが商品を買うかどうかを判断するのは、サンプル画像ですからね。いかにエロい写真を画撮(がさつ=画面撮りのこと)するかが重要です。基本的には女優の顔、フェラ顔、喘ぎ顔、正常位、バック、騎乗位、そして性器アップのシーンですね」
 1つの作品からベストショットを数枚画撮したあと、葉書サイズの用紙に分割して印刷。さらに、サンプル画像に添えるキャッチコピーも考えなければいけない。
「短くてソソる文章を心がけています。『綺麗なピンクのアソコにぶっといのがズッポシ!』とか『本物セーラー服乱交 大量中出し局部ドアップ映像もあり』とかね。最初の頃はほんと難しくてね。頭ひねって考えても、店長からぶん殴られることも多かったです」(前同)
 ある意味、職人の世界なのだ。それはジャケットデザイン担当も同じで、
「裏DVDのジャケットはそれぞれの店のスタッフが独自に制作しているんです。デザインで使う素材はAV女優の画像をネットから拾ってくるか、サンプル用の画撮写真を使っていますね。それらをパソコンのフォトショップで編集して、タイトルやキャッチコピーなんかも入れていきます」(ジャケットデザイン担当)
 デザインを終えると光沢紙にプリントアウト。さらにここからの作業が骨折りなのだ。
「DVDのパッケージに合うサイズに一枚ずつ裁断しないといけないんです。もちろん、裁断したものを、1枚ずつパッケージに入れていくまでが仕事。完全な手作りですよね」(前同)
 裏ビデオ工場では毎晩、こうした男たちが徹夜で作業を行っていたのだ。言うまでもないが、捕まるリスクも高い、日陰の仕事である。
 前出の店長がこう語る。
「倉庫スタッフの給料なんて25万ほどだよ。当然、土日もないし、ずっとあんな狭い部屋にとじ込められて、女性器ばかり見ながら働いているんだ。決してオススメできる仕事じゃないね」
 今夜も街のどこかのマンションの一室で、疲れ目、眠い目をこすりながら、倉庫スタッフたちはオマンコ映像を大量生産し続けている……。

 裏ビデオ工場の写真と原稿が袋とじで掲載された後、U君から電話があった。
「見城さん、あの記事を見た他の媒体の編集者から問い合わせがありまして。見城さんを紹介してほしいと言っているのですが……」
「ほんと? U君も知っている編集者?」
 編集者と名乗る面倒な輩だったら困る。
「はい。大学のときの先輩で、いま『週刊●●』にいる人です」
「それなら安心です。週刊●●かぁ。以前、挨拶に行って、企画も何度か送ったんだけど、全然通らなかったんだよなぁ」
「そうなんですね……でも、今度は仕事になるかもしれませんよ。あの記事読んで、見城さんに相当興味を持っているみたいでしたから」
 U君はなぜか自分のことのように喜んでいた。
「じゃあ、俺の携帯番号伝えといてください。よろしくです!」
 それからすぐに週刊●●の編集者から電話がかかってきた。
 裏ビデオ工場の記事がよほど良かったそうで、一緒に仕事をしたいという旨だった。後日、出版社に挨拶に行くと、その場で連載を任された。
「毎週、AVの撮影現場をレポートする内容でね。これまで別のライターさんにお願いしていたんだけど、あまりにも使えないからさ……代わりにやってみてくれない?」
 たった1ページの連載であったが、僕にはとても大きな収穫だった。
 週刊誌は毎週発売されるうえ、連載なら毎回、原稿が書ける。つまり、収入が少し安定するわけだ。
「やります!」
 他のライターを蹴落として、仕事を掴んでいくこともようやくわかり始めた時期だ。

(裏ビデオ製造工場 潜入撮 おわり)

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