見出し画像

カミーノ・デ・サンティアーゴ(サンティアゴ巡礼の道)の奇跡

スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を目指す巡礼の道のことはご存知だろうか。
スペイン語でカミーノ・デ・サンティアーゴ。カミーノ=道という意味なのでサンティアゴ巡礼路となる。カミーノというだけで、巡礼の道を指す。

スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂にはイエスの12使途の一人で最初に殉死した聖ヤコブの遺骸を祀っており、中世の頃からサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を目指して世界中から人々が巡礼にやってくる。
もちろん今も。
ヨーロッパからの人の多くは自分の土地から歩いてくる。何千キロも。

サンティアゴ巡礼はキリスト教徒以外にも開かれている。
目的は問わない。スピリチャルや自己啓発、観光、ただ歩きたいという目的でも受け入れられている。
そしてサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に到達するとコンポステーラという巡礼証明書を発行してもらえる。

ただ、このコンポルテーラをもらうには条件がある。
・徒歩で100km以上歩いていること(自転車の場合は200km)
・巡礼したことを証明できること

巡礼したことを証明するもには、クレデンシャルという巡礼手帳が必要だ。クレデンシャルに宿泊施設や途中の教会、バルなどでスタンプを押してもらうことで証明となる。
このスタンプが色々凝っていて、スタンプラリーのようにスタンプを集めるのも楽しみの一つなのだ。

私がカミーノを歩こうと思ったのは2冊の本と出合ったからだ。
パウロ・コエーリョの「星の巡礼」シャーリー・マックレーンの「カミーノ:魂の旅路」
私は何度も読み返し、いつかカミーノを歩いてみたいと思っていた。

カミーノだが、歩くルートが色々ある。
フランスの南サン・ジャン・ピエド・ポーからスタートし、ピレネー山脈を越えてスペインに入ってくる約800kmの道を選択する人が多い。
スペイン側ではその道は「フランスの道」と呼ばれている
一日20~25km歩くので1か月はかかる。
歩きたいと思っていたが、1か月は休めない。仕事を辞めたときか、定年を迎えた後でないと無理だと思っていた。

でも2010年、歩く時はやってきた。
当時勤務していた会社は年に1回土曜日から日曜日の9日間の休暇が認められていた。その年は同行者のあてがなく、旅の行く先を決めかねていた。

「そうだ!カミーノを歩こう!」
2010年は聖年で、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂でいつもは閉ざされている「聖なる門」が開く年だった。聖なる門をくぐると全ての罪が清められると信じられている。
次に聖なる門が開くのは11年後。
このチャンスを逃してはいけない。(別に大罪を犯したわけではないけれど)
10日間あればギリギリだけど100kmなら歩くことができる。祝日を1日プラスして10日間の休暇を得た。
100km歩けば巡礼証明書、コンポステーラをもらうことができる。


カミーノは季節のよい春から秋にかけて歩く人が多い。混んでいるときは行列になって歩くし、安価で泊まれるアルベルゲという巡礼宿は早く着いた人から泊まれるシステムなので、混雑した時期は到着してもベッドに空きがないという状態になる。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂があるガリシア州はグリーンスペイン(緑のスペイン)と呼ばれ緑が多い=雨が多いことで知られている。
私が歩いたのはその中でも寒く雨が多い2月。巡礼者がとても少ない時期だった。
周りからはこんな時期に歩く人はいないと、かなり反対された。
それでも私はこの時期しか休暇がとれないのだ。
決めたのだ、行くしかない。

歩くのだから全ての荷物を背負わなくてはいけない。
10kg以上の荷物を背負って歩くのは本当にきつい。
私は運動が苦手。学生時代は「Soraは運動神経切れてるよね。」と烙印を押されたくらい縁がなかった。
バックパックに5kgの荷物をつめて30分くらい歩く練習を2回してみた。
バックパックの荷物を1グラムでも減らそうと化粧品はあきらめた。洋服の枚数も、下着の枚数も泣く泣く減らした。
まぁ何とかなるだろう。

こうして私は初めての一人旅、初めてバックパックを背負ってスペインへ向かったのだ。

スペイン人がこれほど英語を話さない(話せない)とは知らなかった。
もちろんスペインではスペイン語を話してることは知っていたけど、英語を少しは話すだろうと思い込み、事前にスペイン語を少し覚えていこう、という意識がなかった。これには旅の間中悩まされることになった。

カミーノの最後の100kmを歩くためにはサリアという町からスタートする。(実際は100km以上歩くことになる)
マドリッドの空港からサリアにはバスで行くことにしていた。
問題は1回乗り換えなくてはいけないことだった。うまく乗り換えができるかドキドキしていた。
でももっと早く最初の難関はやってきた。マドリッドの空港から出発したバスがマドリッドの街中までしか行かなかったのだ。
次のバスはどこから乗るの?何時にでるの?
慌てまくった私は英語を話さないドライバーさんを捕まえて必死の形相で次のバスについて聞いた。
わけのわからない英語とスペイン語の会話のスタートだった。

画像2

結果から言えば何とかなった。
身振り手振りで乗車したバスは希望通り乗継地まで運んでくれた。次の切符売り場でも目的地を紙に書いて切符を買い、待っていたらサリアと書かれたバスがきた。
この日最後の難関はサリアのバスターミナルからホテルまでの道のりだった。今はスマホで検索すれば難なく行けるだろうけど、その時は地図を印刷して持っていった。
夜も遅く真っ暗な上、訪ねたくても人がいない。
道が合っているかわからない心細さで押しつぶられそうになっていたら、ホテルのネオンサインが見えた。走り出したくなるくらい嬉しかった。


画像3

カミーノには道に迷わないようにサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に向かいサインがでている。
黄色い矢印だ。
要所要所にこの黄色矢印があるのだが、歩き出した早々私はこのサインを見落として迷子になった。
黄色い矢印がでなくなったので、どうもおかしいと思った。
でも時期は2月。ほかにカミーノを歩く人もなく、通行人もいない。
とりあえず引き返した。心細さに注意散漫だった自分を責めた。
サインを見つけたときの安堵感は想像いただけるだろうか。


画像4

カミーノを歩く人が携帯するクレデンシャル(巡礼手帳)は巡礼していることを証明するためのスタンプをもらう以上に巡礼者の身分を保証するという役割がある。
例えば巡礼者はアルベルゲ(巡礼宿)に格安で宿泊できる。
アルベルゲは通常大部屋で2段ベッドがおかれていて、男女一緒だ。
シャワーが共同でついているが、良いところは男女別のシャワールームがありお湯がでた。男女一緒で水のシャワーしかないこともあった。
寒くても歩いていれば汗はかく。寒い2月に水のシャワーは本当にきつかった。
もちろんホテルもあるので、快適さを求める人はホテルに泊まる。夏の混雑している時期は他人の鼾がひどくて眠れないという話はよく聞いた。
でも何度も言うが2月。数人しか歩いていない。私はサリアとサンティアゴ・デ・コンポステーラ以外はアルベルゲに泊まったが、一番少ない時は私ともう1人、2人だけで宿泊ということもあった。

画像5

巡礼手帳をもっていると受けられるメリットのひとつが食事だ。
巡礼地ではレストランに巡礼者用のメニューがあって、3コース10ユーロ前後で食事ができた。
しかもハーフボトルのワイン付き。
写真はメインのタコのガリシア風。これにたっぷりのスープとパン、デザートがついた。食べきれない量だった。

スペインの夕食は遅い。スタート時間は早くて夜8時。
昼間歩き疲れた私は8時まで待てずに、スーパーで生ハムとチーズ、パンとワインを買ってアルベルゲで夕食にしたこともあった。
生ハムのオーダーの仕方がわからず、売り場の前で店員さんに生ハムを指して指3本だしたら薄くスライスした生ハムを3枚出してくれたときには嬉しかった。それがとても美味しかった。


このカミーノで私は一つのミッションを依頼されていた。
前にカミーノを歩いた知人から、道で会ったおじいさんに助けてもらったので、お礼にロザリオを渡して欲しいと。
情報はおじいさんの名前と、おじいさんに会ったというおおよその場所だけ。
スペイン語で書いたお礼のメッセージの紙とロザリオを預かっていた。
途方もない話だから会えなくてもいいからと。

そのミッションの場所は初日の行程にあった。

初日、迷子になった私を待っていたのは山歩きだった。実際山というほどではなく、丘程度だが、上り下りをしながら自然の中を、なぜか頭の中で「どんぐりころころ」を歌いながら歩いた。
舗装した車道にでたら雨が降ってきたので、レインウエアを着て歩き始めた。バックパックに慣れていないので、出し入れも一苦労だった。
濡れても大丈夫なようにフックのついたビニールに入れてウエストバックにひっかけて歩いていた地図を見ながら、そろそろミッションの場所だと確認した。

でも例によって人一人歩いていない。朝から人を見ていないのだ。
誰かきたら勇気を振り絞って声をかけようと思いながら歩き続けた。

前方から杖をついたおじいさんが歩いてきた。もうこの人を逃したら誰かに会える気がしない。思いきって話しかけた。
「セニョールXXXX?(XXXXさん知ってますか?と聞きたかったが・・・)」
「シー」
シー?Yesってこと?
貴方がそうなのですか?!?!?!

本人に会えるなんて!
びっくりして興奮して何がなんだかわからなくなった私は嬉しくて感動して、涙がでた。
わけわからない東洋人の女が突然自分の名前を呼び、興奮して泣き出すとは驚かれたに違いない。
でもニコニコしながら私がメッセージとロザリオを探すのを待ってくれた。
丁寧にお礼を言われ(たと思う)、ポケットからクルミとフルーツを出して私にくれた。
終始ニコニコしたおじいさんと握手をしてお別れした。

画像6

奇跡だ。
人に会うこともなく歩いていたのに、初めて出会った人が探していた人だってことに。
道に迷ったり、雨が降ったりしなければ出会わなかったかもしれないということに。
勇気をもって話しかけられたことに。
カミーノのマジック。

クルミは割れなかったけど、フルーツはいただいた。
甘酸っぱい味だった。



その日の終わり、旧坂を下った先の丘の上にあったのが宿泊地ポルトマリンの街だった。
この下りが足にきた。
アルベルゲに着いた私はまず靴下を脱いでみた。
足の裏はマメがいっぱいだった。痛いはずだ。

水泡は潰してはいけないとよく聞くが、巡礼してるときは針と糸を使う。
水泡に針で穴をあけ糸を通して放置する。
水泡の水を糸にしみこませて水分を取るのだ。
絆創膏をすると蒸れてよくないので、そのまま乾かす。
私の巡礼は足のマメとの闘いでもあった。



巡礼の旅では色々なことが起こった。
予定していた場所のアルベルゲが冬季閉鎖中で、次の街まで歩かなくてはならないことがあった。
一つ先の街に着いたときにはかなり疲れていた。コーラとアクエリアスを買って一気飲みし、這う這うの体でアルベルゲのベッドに着いたら震えと寒気で意識がもうろうとしいてきた。このまま死んでしまったらどうしよう・・・と思ったりもした。脱水状態だったのだと思う。(生きていてよかった)


印象的な人々と出会った。
ベルギーから歩きはじめたという修道士。平和のために歩くと言い、ものすごい速さで歩いていた。

パウロ・コエーリョの「星の巡礼」を読んで歩きたくなったと私と同じようにその本を持って歩いていたアメリカ人。

ゆっくり2人で歩いていた老夫婦。通りがかりの家のキッチンの窓越しに水をボトルにいれてもらっていた。

カミーノは3度目という自転車で巡礼しているフランス人女性。何度も来たくなると言っていた。

私のひどい足をみて、最初は自分もそうだったと、水泡のケアをしてくれた人たち。

スーパーへの道を訪ねたら、言葉が通じないので地面のレンガを道に見立てて右、左と差して教えてくれたスーツを着た地元の男性。

みんなみんな、とても親切だった。
感謝の気持ちしかなかった。



最後の夜に、旅の途中で仲良くなったという国籍混合のグループに出会って、ゴールのサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂まで一緒に歩いた。
大聖堂に到達した時には、みんなで抱き合って喜んだ。
たった100kmだったけど、色々な想いが沸き上がってきた。

翌日はみんなでサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の巡礼者のミサにでた。
迫力あるボタフメイロ(巨大な振り香炉焚き)を見る事もできた。
ミサの中で「どこからスタートした、どの国籍の巡礼者がきたのか」を言ってくれた。スペイン語でよくわからなかったけど、「サリア、ハポン」と聞こえてきたら、周りの人が私をみて微笑んでくれたので、私のことだとわかった。
くすぐったく、誇らしかった。

最後に「聖なる門」をくぐったのは言うまでもない。

画像7


帰国しても2週間は足を引きずりながら歩いていた私だが、まだ800kmを歩きたいという気持ちが消えたわけではない。
いつか歩く機会があると信じている。

先だと思っていた11年後の聖年は来年2021年なのだ。
また「聖なる門」が開く。

この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

よろしければサポートをお願いします。励みになります。