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きびだんごを鬼と一緒に食べる桃太郎。

めちゃくちゃよくないですか?鬼ヶ島の浜辺で、桃太郎と、犬と、猿と、雉と、鬼たちが、みんなで仲良くきびだんごを食べているんですよ?想像するだけでにやけてしまうほど、心温まる物語です。


【#162】20211209


人生は物語。
どうも横山黎です。

作家を目指す大学生が思ったこと、考えたことを物語っていきます。是非、最後まで読んでいってください。

今回は、「きびだんごを鬼と一緒に食べる桃太郎」というテーマで話していこうと思います。


☆童話の時代がやってきた

前回、明治時代の桃太郎について語りました。当時の日本は「強い国づくり」を目指していたため、『桃太郎』に求めたテーマもそれだったんだよというお話でした。


さて、大正時代が始まった頃、児童文学の時代が到来します。童話、童謡が盛んにつくられたのです。


新見南吉、小川未明、北原白秋などが有名かと思います。



日清戦争で勝ち、日露戦争で勝ち、なんだかんだ上手くいっていたので、日本政府の富国強兵の指針は変わりませんでしたが、文化を楽しむ中産階級の層が厚くなってきました。


『赤い鳥』という児童雑誌をご存知でしょうか?鈴木三重吉が創刊したもので、童話や童謡を載せていました。子どもの純粋な心をはぐくむために、童話、童謡の存在を重要視したそうです。


したがって、この頃につくられた『桃太郎』は「優しい物語」が多かったのです。



☆『桃太郎の足のあと』


たとえば、浜田広介の書いた『桃太郎の足のあと』という作品があります。この物語は、桃太郎が鬼ヶ島へ行く途中の砂浜のシーンで終わるんです。

 やはらかな砂地の上に、みんなの跡が付きました。犬の肢あと、猿の肢あと、雉の肢あと、見ればだれにもわかりました。ぽつぽつと付いたわらじの足あとは、桃太郎です。桃太郎は力持です。手も足も太つてゐいました。それでしたから、足跡は、砂地にくつきりと付きました。
 どなたが、それを見たでせう。砂地の上の足跡は、いつまでも、残つてゐるかとおもはれました。けれども、残りはしませんでした。波がさらさらと寄せてきて、砂をあらつて、足跡を綺麗に消してしまひました。
(引用:浜田広介『桃太郎の足のあと』)


なんと情緒的なラストシーンでしょう。お分かりの通り、ここには前回紹介したような英雄像はありません。力持ちで、太っていても、砂に刻んだ足跡は、波に洗われて消えてしまうのです。


浜田広介にとって桃太郎は、無邪気な子どもだったということがいえるのではないでしょうか。牧歌的な世界観のなかで、渚を楽しそうに歩いていく情景は、「皇国の子」でもなければ「英雄」でもありません。桃太郎だって、「子ども」なのです。



浜田広介は他にも鬼を題材にした物語を書きました。『泣いた赤鬼』です。僕は小学生の頃の学芸会でこの演目をみんなで演じたので、かねてから知っていました。優しい鬼の物語です。

狂暴的でも暴力的でもない、ただただ心優しい鬼の物語です。気になった方は一読していただきたいんですが、浜田広介の書く物語はどれも優しくて、童心を大切にしたものが多いんですね。



他にも、ホームシックになる桃太郎が登場する北川千代の『犬にあふまで』とか、コミュニケーションや愛情といった優しさ溢れる松村武雄の『桃太郎』など、一昔前の「強くてたくましくて、お国のために尽くす桃太郎」とはうってかわり、ほっこりする物語が追求されているんですね。



☆新見南吉の『桃太郎』


この時期の中で、僕が一番印象に残った『桃太郎』は何かというと、『ごんぎつね』でよく知られる新見南吉の物語です。『鬼ヶ島』という童謡を作っているんですが、鬼の視点で描かれているんです。

鬼ヶ島にいる鬼が海の方を見ていると、船がやってくるのに気付いたんですね。桃太郎の存在を認めるわけです。桃太郎やお供している動物たちが乗った船はそのまま鬼ヶ島の港に着きます。


この時点で興味深いんですが、とても印象的なのは最後のフレーズ。桃太郎が到着してから、鬼ヶ島はどうなったのでしょうか?


鬼がおります
鬼ヶ島
島の浜辺で
きびだんご
みんなでたんと喰べました
喰べて踊つて日が暮れた。
(引用:新見南吉『鬼ヶ島』)


めちゃくちゃよくないですか?


鬼ヶ島の浜辺で、桃太郎と、犬と、猿と、雉と、鬼たちが、みんなで仲良くきびだんごを食べているんですよ?
想像するだけでにやけてしまうほど、心温まる物語です。




ここには、僕の追求する「新しい『桃太郎』」に通じるものがあります。


僕は今、新しい『桃太郎』をnoteで共同制作しようという企画を進めています。「勧善懲悪」よりも「共生」をテーマにした方が、これからの時代にふさわしいんじゃないかなあと思って、アップデートにチャレンジしようということです。

共に生きることを大きなテーマとして掲げたとき、先程紹介した新見南吉の『鬼ヶ島』のようなラストシーンが求められているなあと思います。鬼を退治するのではなく、鬼と共に生きるヒーローを描きたいなあと思っています。

興味を持たれた方は、、是非、下のマガジンを覗いみてください。


最後まで読んで下さりありがとうございました。
横山黎でした。





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