見出し画像

まだまだ伸びしろはある。

――「よし、大丈夫だろう」と思っていても、穴があったり、おかしなところがあったりする。でもそれって、解き終わった解答用紙を見直しても自分じゃ間違いに気付けないように、自分の目で見つけることが難しいんですよね。


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「まだまだ伸びしろはある」というテーマで物語っていこうと思います。


◆いろんな人から意見を聴く会


昨日、小説『メッセージ』について「いろんな人から意見を聴く会」がありました。


『メッセージ』は僕が今書いている小説のことで、近いうちに紙の本として出版しようと考えています。実は去年、一度書ききった作品でnoteでも公開したんですが、出版にあたりよりよい物語にしようと思い、再創作をしていました。

で、ほぼ完成状態となった『メッセージ』をいろんな人に読んでもらって意見や指摘をいただいているのです。


昨日は、何人かの人とZOOMで意見を共有する会を開き、あれこれ議論していました。ざっと3時間弱(笑)


会を終えてみて思ったんですよね。

『メッセージ』には、まだまだ伸びしろがある。


◆矛盾も違和感も隠れていた


参加いただいた方々はみんな「良い物語」と受け止めてくれたので、印象としてはよかったわけですが、それでも各々ひっかかる点を持っていて、それを伝えてくれました。


たとえば、第1章の遊馬と由美の会話。遊馬の返答が親子の間で発するそれではないという指摘をもらいました。

確かに、ぶっきらぼうで愛想の悪い息子という設定ではあったんだけれど、本当は優しさが根本にあるわけで、もう少し物腰柔らかくした方がいいと思いました。「ああ」という頷きや、語尾を丸くしました。


あとは、第1章のフレーズに、

「ランドセルを背負っていた頃はまだ可愛げがあった。中学生、高校生とリュックに詰め込む量が多くなっていくのと同時に、愛想の無さが目立ってきた。」

というものがあります。

ここに関して指摘いただいたのは、中学生よりも高校生の方が、「リュックに詰め込む量、少なくね?」というもの。確かに、僕の経験からしても、背負ったリュックの重さは中学生のときがピークなんですよね。

もちろん、高校生のときの方が重かったという人もいらっしゃると思いますが、必ずしもそれがマジョリティーではないなと思ったし、このフレーズに関していえば、「学年が上がるにつれて」ということを少し別の表現で伝えようとしただけなので、書き換える選択を取りました。


こんな風に、小説『メッセージ』には、矛盾も違和感も隠れていたのです。


◆だから、共同創作


やっぱり人の意見を聴くって大事ですね。自分一人じゃ気付けないことを、誰かが指摘してくれるわけですから。

「よし、大丈夫だろう」と思っていても、穴があったり、おかしなところがあったりする。でもそれって、解き終わった解答用紙を見直しても自分じゃ間違いに気付けないように、自分の目で見つけることが難しいんですよね。

だから、誰かの意見を聴きながら、作品を創っていくことが大切だと再認識しました。


『メッセージ』は、去年と今とで、大きく分けて2回の創作期間があったわけですが、実はどちらの創作においても共同創作という形をとりました。

つまり、完成前から原稿を共有しちゃって、あれこれ意見をもらいながら執筆していくスタイルをとっていたってことです。

1回目は僕の友達まわりで、2回目の再創作のときはnoteのサークルを使って行っていました。実は、昨日の「いろんな人の意見を聴く会」に参加してくれたのは、1回目の共同創作に携わってくれてた僕の友達たちなのです。

生まれ変わった『メッセージ』に対して、「さらに良くなったね!」とほめてくれたし、それだけでなくちゃんと「ここはこうした方がいいと思う」と厳しいコメントも頂きました。みんなの作品を批判的に見る目は変わっていませんでした。ありがたいことです。


明日には最終チェックを済ませて出版申請したいなあと思っていたので、もう時間はありませんが、最後までこだわりぬきたいと思いました。


ちなみに、明日日曜日の13;00からも同じ趣旨の会を開こうと思いますので、ご都合つく方は是非ご参加を検討してください。

また後ほど案内いたします。


最後まで読んで下さりありがとうございました。

【#360】20220625 横山黎



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?