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みんなでご飯を食べることが社会を少し良くすると真剣に思う

おはようございます。
連日いろいろな人にお会いする機会を頂いて大変勉強になる日々です。

最近お会いした元OTさんで今はキッチンカーでスープを売りつつ、子供たち  特に障害や病を抱える子を兄弟に持つ子供たちの支援に尽力されている方。

息子さんとの思い出や過去の経験から、「死生観」というものについて小さい頃から考える場所を提供しています。

私自身も、最終地点や死について真剣に考えることが今を大切に生きることに繋がると思うのです。

県内とはいえ、なかなか私の家や事務所からは距離がありお昼に仕事を抜け出して向かうことが出来ないのですが機会を見つけて今年度中に伺いたいと思います。

正解は自分でつくるもの

私はOTとして臨床で働いた期間がとても短いです。
半年にも満たしていません。
だからコンプレックスでもあります。臨床を知らない、現場で働けない。
多分きっと医療従事者として病院で働けないんだろうなと、辞職した時に思いました。

それと同時に「多分働かないんだろうな」とも思いました。
病院で働くことももちろん大事です。必要不可欠なエッセンシャルワーカーです。

しかし私がお会いするOTさんは病院勤務にとどまらず、喫茶店を営んでいたり、キッチンカーに乗ったり、NPO法人で働いたり、ショップで働きながら美容系の知識を付けている人もいます。

そして多様な働き方をしている人たちはみんな目がキラキラしていて、楽しそうです。

みんなが同じでなくても良いんだな。と思える瞬間です。

正解は自分が決めるもの。
病院にいるから、辞めたから、転職したから、色んな人の色んな決断があって、それが失敗なわけでもないし正解かもわからない。
けれどもしかしたら「正解」かもしれない。

ライフコースに沿った仕事

人生は仕事だけじゃなくて趣味とか人とかによって大きく人生が変わると思います。
子どもが生まれたら「母親」という立場になって物事を見るし、病を負ったら「病人」や「患者」になるし。
その時に感じたこと、考えていること、課題に思うことを解決していけるようになりたいです。

超直近の私の課題は、子ども食堂の場所をつくることです。
子どもだけじゃなくて、大人も、おばあちゃんも、高校生も、そこらへんの暇な人も低額で食事が出来る場所。

25歳の私が今一番不安なのは「急な災害が来たらどうしよう」ということ。
でもそんなのわからない。
次に不安なのは「私の周りの人、みんなが幸せなのかどうか」です。
私を支えてくれる人、みんなが幸せか、それが気になります。
一人で背負ってないか、辛くなってないか、ごはんは食べれてるか。

ご飯が美味しければ大丈夫

絶望の淵にいると、食事も進みません。
私も食事が出来なくなるくらいのストレスにぶち当たったことがありました。
味もしない、何も楽しくない、生きている意味が見いだせない。
事故ではなく、老衰や疾患が原因で人が亡くなる時、栄養のレベルで生き延びるかどうか決まると感じています。
「食べれてるから大丈夫」とよく言われませんか?

でも一人で食事をするのは大変寂しいものです。
あ、外食は別ですよ。
一人で食事をするのが楽しい時、自由に食べられるから気が楽だけど。

「美味しいね」とか「これも食べてみて」とか。
テーブルを取り囲む当たり前のことが無くなると、その大きさに気付きます。家庭を持っていた人、温かさを知っている人は余計にその大きさに驚いているんじゃないでしょうか。

たまに人とご飯を食べるところ。
食べなくても、作ってもてなすところ。
そんな場所があったらいいなぁと私が個人的に思っています。

美味しくて温かいごはんと、いつもいる人たち。
関わってくれる人が全員主役で、調理する人も食べに来る人も、全員を幸せに出来る空間を作ります。

そこに私のやりたいことがある気がしてます。

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