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手段だけの横行、見失った目的

おはようございます。
北海道もやっと、春を感じる気候になりましたね、晴天が続き雪解けが加速され、まだ残雪の上を通る冷やされた風が肌寒いですが、カラダも気持ちもほぐれて来ました。

先日雑談でヒントを頂いたので、久々に投稿したいと思います。

皆さん、目的をもって日々営まれているでしょうか?
仕事や生活で何かしらの夢や希望、こんなこといいな、あんなこといいなと想って、また来週からは新年度・新学期のスタートですからまさにこの時期はそのように想いに馳せられる人も多いことでしょうね。

目的を持つことは大変よいのですが、日々生活を続けているうちに手段に代わってしまうことも多いのではないでしょうか?

たとえば、新入社員であれば期待に胸を膨らませ業務に挑んでみるとき、確かにまだ仕事そのものが誰かに教えてもらわないとできませんから、諸先輩からやり方を教わりその通りに進めていく、同じ業務は同じように進めているうちにどこか非効率であったりしてそれが気になる、自分で少し改善しようとして変えてみる、変えて改善できれば以後それで進める、このように誰しも改善しながら仕事をするものかも知れないと思っているときに、その業務を教えてくれた先輩から「なぜやり方を変えたの?元通りのやり方でやって、」などと言われ、アナタが「効率よくしたのです」と言えば、先輩は「アナタにこの業務の何がわかるの?いいから元のやり方に戻して!」なんて言われることもあるでしょう、この場合業務上の不備が無いものとすれば、手数が減り時間短縮になったとか、ミスが減ったなどの改善点があればそれは認めていただきたいものですよね。
私なんかは先輩に何を言われようが関係なくやっていましたが、大半の人は何か間違いを指摘されているようで正解を求めなければならないと感じてしまい非効率と思いながらも従う場合が多いと思います。

それでは何故このようなことが起こるのでしょうか?
私なりの解釈ですが、そこには2通りあると思います。

1.先輩がそのやり方しか知らない、他は全て間違いで違うものと認識。
2.安易に間違いを認めさせ、できないアナタを醸し、服従させるため。

2についてはとんでもないことですが、案外世の中には普遍的に存在しますし、学校生活でも似たようなことはあります。しかし今回はこの部分については説明しません。(いずれ記事にします。)

1ですが、これは完全に思考停止している(させている)状態ですね、まぁ考えることがめんどくさいからどうでもいいじゃんそんなこと、そのようにお思いのかたも多いでしょう、しかしそのどうでもいいことの積み重ねが実は業務時間を大きく削ります、どんなことでも効率的にこなしたいですよね? 今春からは労働環境・労働時間改善の各種法律が施行されますから、当然限られた資源のなかでは残業なく業務を推進するために業務効率化は必要なことです。
しかし、実際会社や組織には思考停止した業務というものは多数存在しているのです、業務マニュアルがあっても改善がなければいくつもの無駄が内在しているのが実情なのです。
では何故に改善しないのでしょうか?

理由はいくつもあるのですが、ここでは私なりにひとつだけ述べます。

面倒」、、だからです。
・考えるのが面倒。
・チェック方法が不明になるから面倒。
・方法を変えてその後問題になったときの対応を考えると面倒。
・根回しが面倒。
などなど、
まだまだ多数あるのでしょうが面倒なのは誰しも嫌がります。

ただ、面倒を内在させたままに時間の浪費をしていることがいいとは思えませんよね? 時間は少く限りあるのです。
誰しも同じ給料・時給なら一分一秒早く終わらせたい、残業はせずに早く帰りたい、他の業務を行い成果を上げたい、、そのような希望があるはずですsし、ましてや業務を履行することこそが目的です。
ならば、時短して ”目的達成” = 業務達成が大事ですよね。

業務ばかりではなく、目的が業務達成ではなく自身の感情に基づきそれを履行するために手段を択ばないというのも本来の目的から遠く離れています。
実際にこのような目的と手段がぐちゃぐちゃになり、もっと悪化すると犯罪やハラスメント行為に達することもありますから注意したいところですね。

今回の話はやや分かりにくいところもあったかもしれませんが、以後数回このように目的と手段についての話題がこちらでできれば良いかと思っておりますので、またお付き合いいただければ幸いです。

久々の投稿、拙い文章ですが、
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

また、よろしくお願いいたします。


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